花様方言 Vol.199 <縦割り>

2020/10/07

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 菅新内閣は縦割り行政の是正を目指すという。「縦割り110番」は流行語大賞を取れるか。(かつて小渕元首相のブッチフォンというのがあった。)何かと「和風」がはやっている昨今、カタカナの「アベノミクス」から今度は和語の「たてわり」だ。アベノマスクは記念に取っておこう。使ってもいいけど、あまりに小さいので目立つ。一目でアベノマスクとわかる。ユニバレならぬ、アベバレ。

 日本の漢字政策もまさに縦割り行政によって左右されてきた。終戦の翌年、当用漢字表が作られて、略字・俗字が正式に使われることになった。広辞苑の著者、新村出は「廣辭苑」としたかったが出版社が認めてくれず、一晩泣き明かしたという。当初、旧文部省は固有名詞も含めて、すべてを書きかえさせるつもりだったようだが、まず法務省が反対した。だから戸籍は旧字体のまま残った。よって、普段は「渡辺」「広沢」と書くが転出・転入届など「戸籍通りに書け」と要求される場合には「渡邊」「廣澤」と書く、という使い分けになり、この状態が長らく続いた。1981年に当用漢字は常用漢字に変わり、性格が「漢字使用の目安」とゆるめられ、「固有名詞を対象とするものではない」とはっきり規定された。ワープロ、パソコン、ガラケーと順次普及して手書きの手間がなくなると、画数の多い漢字が負担でなくなり、日常生活においても常に「渡邊」「廣澤」を使うようになった。2005年ごろ、「さわ」のつく人はほぼ全員「澤」と書く、と、郵便局の職員から情報を頂いたことがある。

(Confirmed)759_Godaigo もし広辞苑の初版発行が今の時代だったなら、せめて表紙の字くらいは「廣辭苑」で通っただろう。新村出も泣かずに済んだ。1990年代の香港ブームのころは、周潤發、張國榮、張學友、など香港スターの漢字はことごとく繁体字で書かれた。雑誌で周潤発とか九竜とか書こうものなら読者からクレームが来た。「竜・龍」には日本の漢字政策の変遷とその影響がよく表れている。まず、当用漢字には「竜」も「龍」もなかった。だから旧文部省の方針に素直に従うなら、恐竜は「恐りゅう」か「きょうりゅう」と書かなければならなかった。が、実際は多くの知識人が当用漢字にたてついていたので、「恐竜」も「恐龍」も、いくらでもあった。戦前はもっぱら「恐龍」で、はじめは龍馬(りょうま)と同じく「きょうりょう」と読んだ。戦後は画数の少ない「竜」が優勢になり、ゴルゴ13の実写版映画『ゴルゴ13九竜の首』(1977年)も「竜」で書かれた。その後「竜」は常用漢字表に入れられたが、1988年のジャッキー・チェンの『ポリス・ストーリー2/九龍の眼(クーロンズ・アイ)』では「龍」、しばらくの間「九竜」はほとんど見られなくなった。ジャッキー・チェン(成龍)が「成竜」と書かれたのは一度も見た覚えがない。橋本龍太郎という首相もいた。

 NHKも政府の漢字行政とは若干距離を置いているようだが、過去の大河ドラマでは『竜馬がゆく』(1968年)と『独眼竜政宗』(1987年)が「竜」、そして『龍馬伝』(2010年)は「龍」で、時代の流れには沿っている。芥川竜之介もほとんど芥川龍之介になった。ただし恐竜は最近ほとんど「恐竜」だ。MS-IMEが「恐龍」と変換しないのは大きい。(cf. 海野十三『恐龍艇の冒険』1948年、夢枕獏『大江戸恐龍伝』2013年。)埼玉県の北部に「籠原」という駅がある。JRの始発終着駅なので通勤客や鉄道マニアなら必ず知っている。かつては「篭原」とも書かれ、近所に東和銀行篭原支店というのもある。2007年、駅名よりおよそ100年遅れて「籠原南」という地名が正式にできた。そして2010年には「籠」(かご)が改定常用漢字表に加えられた。龍→竜、なのだから、籠→篭、ではないのかと思われそうだが、そうはならなかった。NHKは放送中、「かごはら」の字幕が間違ってました、「×篭原→○籠原」です、と謝罪したことがある。NHKは「篭原」のような字をすでに「間違い」と認定しているようだ。

 「渡邊」さんも、辺境とか二等辺三角形とかは「辺」と書くに決まっている。法務省のレガシーで、人名だけ「渡邊」になった。(渡邉もある。)芸能界には、渡辺直美、渡辺謙、渡辺満里奈、「辺」がけっこういる。「さわ」も同じ。新しい人はハライチの澤部のように「澤」だが、宮沢りえや大沢たかおのように古い人たちは「沢」のまま。万田久子→萬田久子のように現役活動中に旧字体に改める人は少ない。だから芸能界にはいまだ「沢」が多いのだ。(『半沢直樹』も「沢」である。)「ぜいたく」は「贅沢」と漢字で書かれることが増えたが、「贅澤」というのは見たことなかろう。たくあん(漬物、および和尚の名前)も「沢庵」だけで、「澤庵」は見ない。軽井沢、米沢、三沢、藤沢、下北沢、地名も略字のほうが公式だ。地名は「沢」で人名は「澤」、という書き分けが進行しているのである。ちなみに「さわ」の地名・人名は東日本に多い。対して西日本は「たに」(谷)。両者は相補分布を見せる。つまり起源的には、同じ(似た)概念の、地域による命名の違いだ。「さわ」と「たに」で日本列島は東西に縦割りされている。

 NHK『チコちゃんにられる!』で「ぎょうざ」を漢字で書け、という問題が出て、「餃子」の「⻞」を「飠」と書いたゲストが正解にされなかった。これは誰かが必ず注意するだろう。改定常用漢字表で字体についての説明が強化されて、「⻞」も「飠」も可である旨が明記されている。5歳児のチコちゃん(ほんとは57歳)が知らなかっただけなら仕方ないけど、NHKがあくまで「餃、餌、餅」を「飠」と書くのはNGと言うのなら、やっぱり縦割りだ

大沢ぴかぴ

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