海外での「死」の取り扱いPART1〈初期対応編〉NEVER MIND 何があっても没問題!
それは突然やってくる。いったいどうしたらいいんだ?
海外での「死」の取り扱いPART1〈初期対応編〉
本当は身近なことなのに、機会が少ないだけに身近に感じないこと、それは「死」。それは突然やってくるものだから、何をどうしたらよいかなんて、いざ「死」に直面しても、すぐには分からないだろう。自国にいてもそうだから、海外に住んでいるなら、なおさらのことである。
そして、その「死」があてくしに突然やってきた。この広州で。
ある日の早朝、相方はこと切れていた。今年になって約4ヶ月の完全介護のすえだ。いつかその日が来るとは思っていたが、それが、ある日の早朝、6時半だった。
悲しい、だけではすまされない状況。まずは何を?そうだ、領事館に連絡してみよう。と、相方の国の24時間ホットラインに電話。音声ガイダンスに従って、数字と♯を何度も何度も繰り返す。きーっ!!緊急時になんなのこの手間はっ!オペレーターと直接話せるまでに所要時間約10分……マヂかよっ!と怒っていてもしょうがない。状況を説明し、指示を仰ぐ。「警察に電話してください」終わり。え?え?それだけ?
……ここで挫けてはいられない。警察に電話だ。いや、でも、あてくしのインチキ中国語&英語ではイタズラ電話と間違えられ、即座に切られてしまうのではないか?よし!ということで、寝起きの部屋着のまま(今思うに、かなりかっちょ悪い)アパート階下へ急ぐ。朝7時、顔見知りの保安さんにインチキ中国語の筆談&会話で挑む。普段「你好!」「我回来了〜」などと言っているだけに、保安さん、辛抱強く内容を聞いてくれる。そして、警察へ電話。ありがとう!保安さん!
門の所で約20分、管轄の派出所からおまわりさん2名と通訳女子(英語)がやってきた。保安さん、気を利かせて「日本人と外国人の夫婦」と言ってくれていたようだ。部屋へ急ぎ、状況を確認してもらう。おまわりさんAから通訳女子かましていくつかの質問を受けている間、おまわりさんBは病院に電話をしていた。
外からサイレンが聞こえ、8時頃、チーム病院3名が到着。テキパキと心電図を取る(たぶん)看護婦さん。お医者さん(だろうきっと)から質問を受け、今年になってからの状態を英語で説明した。さすがお医者さん、英語が通じてよかった〜。そして「こちらをご覧ください」と確認を求められたのが、一直線の心電図の紙。その昔、医療関係でも仕事をしていたので見方は解る。コイツはちょっぴり痛かった。文字通り、真っすぐな1本の線。これはあてくしへの記念などではなく、関係書類の一つとして警察に渡された。
さて、ここからなのだが、字数の都合上、次回以降、PART2〈警察編〉PART3〈葬儀編〉PART4〈総まとめ編〉へと続くのである。
この記事の掲載日は奇しくも相方の百カ日。悲しみに区切りをつける日だそうだ。相方は無宗教だし、ま、いっかー、と仏教の法要日を節目にしてきた。好物をお供えした初七日、スパークリングワインで祝った結婚記念日(これは仏教と関係ないけど)、『鬼灯の冷徹』の閻魔大王みたいのが裁いてるのかな、なんて思った三十五日。日本の家族とオンライン会食をした四十九日。変な言い方だが、この節目って日々を過ごす目標になるんだなあ。
普段からあてくしのすることに、惜しみない後押しをしてくれていた相方。このエッセーのことを話したら、いつものように「Oh! such a nice idea!」なんて言いながら、喜んでアドバイスをしてくれていたに違いない。
[ヘイワード 順]
母、妻、日本語教師、ライター、女の5足のわらじ(1足減りました)を履いて、今日も広州中をぱたぱたと、なんでもかんでも「なんとかなるさー」で乗り切ります!広州10年目突入、中国語は相も変わらず駄目駄目レベル。夜ごはんの主食はやっぱりビール。