殿方 育児あそばせ!第15回
歓喜の父と小葉子
さっそくではあるが、結論から書き始めよう。私は歓喜している。なぜかと言えば小葉子とママが旅行から帰ってきたからだ。離れ離れだった、つらく暗い日々は嘘だったかのように消え失せ、今は日々をココロ晴れやかに過ごしている――
二人が帰って来た日は、言うまでもなく空港まで迎えに行った。到着ロビーの前で待っているときの私と言ったら、喜びと待ち遠しさが入り混じり、心のなかはソワソワしていた。そういうのを周りの人に悟られるのも嫌なので、スマホを意味もなくいじってみたり、二人がこれから出てくるであろう出口から、わざと目をそらしたり、ベンチに座ったり、用もないのにうろうろしたり……。誰が見てもソワソワしていて、実に大人気なかった。
到着予定時刻から約30分。二人がようやく出てくると、首を長くして待っていたはずの私は、興奮を隠し、至って冷静にふるまった。「ご飯はもう食べた?」などと一言目に、照れ隠しとしか思えないセリフをはいていた。空港の中で久々に3人一緒の食事をした。
実のところ私自身、ひさびさの再会に、小葉子に対して、どのように接すれば良いか戸惑いがあった。しかし、そこは天真爛漫な小葉子に助けられ、あっという間に仲良しの3人が戻ってきた。私のことを忘れてしまっていて、パパと呼んでくれないのではないか? などと言う心配は、まったくの御無用であった。
その後の日々は、以前と同じ調子だった。(変わったのは私が食事を積極的に作るようになったことくらい)小葉子と一緒にテレビを見たり、おもちゃで遊んだり、スーパーに買い物に行ったり。休みの日には、散歩をしたり、近くのショッピングモールで遊んだり。いつも通りの生活が戻ってきた。
”日常“いま、この言葉の尊さを感じることができる。思えば、私が幼少のころの記憶をたどってみると、決まって日常の何気ない幸せがよみがえる。母親と共に過ごしたやさしい時間、祖父にいたずらをとがめられたこと、姉と一緒に庭を駆けまわって遊んだ日々――それが良い。それが良かった。
何も、わざわざ特別なことをしなくとも良い、ただただ、今この日常を、この日々を大切に過ごしていきたいと思った。3人そろえばそれで充分だ。いつも一緒が良い。ずっと一緒が良い。
あとがき
国慶節中に小葉子は2歳になりました。大人の目で見ての2年間、まだまだ短い時間ですね。子育てという私にとって未知の世界だったものを経験してみて、2年間は短いようであり、実にいろいろな思い出が詰まった2年間でもありました。きっと小葉子にとっては全てが初めての経験、全てが挑戦であり、それはそれは、大変だったけど充実した日々だったのではないかと想像します。そして今、私が思うことは、この子が元気であれば、それで良いということ。月並みではありますが、これこそが親としての最大の願いであると感じるのです。
神沼昇壱(かみぬま しょういち)
随筆家。広州在住の日本人。2002年に中国に渡り留学と就職を経験。その後、中国人女性と結婚した。2021年現在一児の父として育児に奮闘中。