殿方 育児あそばせ!第19回
葉子にお任せ!
さて、今回はほんの少しばかり時をさかのぼったところから紹介したいと思う。
今年の初めのころ、小葉子が1歳半くらいの時に家で撮った写真だ。買ってもらったばかりのライドを自らモディファイしているのだ。(本当は、パパがハンドルの高さを六角レンチで調整したのを見ていたらしく、真似をしている)この時ちょうどツナギを着ていたので、さながら腕のいいメカニックに見えた。彼女は何かと私やママの真似をしたがる。靴磨き、掃除、化粧、オシャレ、スマートフォン、さらに腕立て伏せやスクワットの筋力トレーニングまでも。
次はおもちゃの電池交換。私が交換しようとしたところ、自分にやらせろと名乗り出た。ドライバーで器用にビスを回し、電池のフタを開け、電池を新品と交換。(実際は、ドライバーをうまく使えず、パパに助けを求めた。電池交換はプラスマイナスの方向の区別はまだつかず、おもちゃが動き出さないことをパパにうったえた)
まだまだ難しかったようだが、これで良いと私は思った――まず、自分で挑戦する。うまくいかなかったら、うまくいく方法を知っている者に助けを求める。これはシンプルではあるが、人生において非常に強力な戦略だと感じた。
次の写真は、何をしているのだろうか。ハンガーをカーテンレールに掛けて、つなげている。上手に掛けることが出来たが、何が彼女をこうさせているのかはわからない。洗濯物を干すママの真似だろうか、はたまた創作であろうか。
子どもの行動をよく見ていると、行動の結果がどうであろうと、単に純粋な好奇心であったり、善意であったり、そこには悪意はみじんもないということが見て取れる。(善意すらないかも知れないが……)完成した作品を誇らしげに私に見せてくれた。
何も、わざわざ特別なことをしなくとも良い、ただただ、今この日常を、この日々を大切に過ごしていきたいと思った。3人そろえばそれで充分だ。いつも一緒が良い。ずっと一緒が良い。
パソコンとスマホを駆使して、忙しいパパのお仕事も、葉子にお任せである。(もちろんごっこ遊びだ)得意げなところが愛らしい――が、これにはたいへん面食らった。仕事のデータが吹き飛んではたまらない。パソコンには小葉子のアカウントをつくり、スマホは使っていない機種を渡そうと思う。(むろんペアレンタルコントロールは必須のこと)
最後の写真は散歩中に出会った猫とたわむれているところだ。一見すると何の変哲もない写真であるが、小葉子の手元をよく見るとウェットティッシュが見える。なんと小葉子はウェットティッシュで猫の頭を拭いているのだ。実は我が家では模様のな猫を飼っているだが、彼女は猫のしま模様をウェットティッシュで消そうとしていたのだ。これは、小葉子の勘違いではあるが、優しさ――善意である。私たち両親が日々、小葉子を世話することの真似であろう。
今回のテーマを通じて、子どもというものは、大人の行動をよく見ているものだと深く感じた。総じて子供のいたずらも、ひょっとすると良いことを成そうとしているかもしれない。頭ごなしに叱るという事は避けなければならないと思った。いたずら自体が大人の行動を真似しているという事もある。子供の習慣というのは、恐らく親の行動が大きく影響するのだろう。ちなみに私は年を追うごとに、考え方や習慣が、親に似てきていると感じている。思春期に少なからず反発していたはずだが、親が好きだった物は大体私も好きだし、嫌いな物も、物事の決定のベースとなる事柄もほぼ同じ。(私がX JAPANが好きなのは母親の影響だ)結局のところ親の影響というのは、良くも悪くもぬぐうことはできないのだろう。親となった者として、親たちの責任というのは、日常に途切れることなく存在していると思った。
神沼昇壱(かみぬま しょういち)
随筆家。広州在住の日本人。2002年に中国に渡り留学と就職を経験。その後、中国人女性と結婚した。2021年現在一児の父として育児に奮闘中。