なぜ、日本人に武士道は伝わらないのか 第4回
世界中で注目されている日本人特有の性格や行動の数々。それらの由来は武士道精神にあった。
しかし、日本人の間では武士道精神が何たるかが驚くほど浸透していないのが日本の現状。
日本最初の国際人と言われた新渡戸稲造先生による「武士道」を読み解きながら、日本人への理解を深めていく。
第4回 日本文化を売りにしすぎた日本人
武士道は明白な形態はとらないが、それにもかかわらず、その道徳的雰囲気の香りは、今でもなお我々に強い感化を与えている。(講談社「武士道」第1章道徳体系としての武士道より)
韓国人や中国人と話していると「よく教育がされている」という印象を受ける。というのも、かれらは自分たちが何者かということを1人1人がちゃんと分かっているからだ。
2010年、ソウルのサムゲタン屋で韓国人の友人たちと食事をしていると店内のテレビで韓国と日本のニュースが流れた。その瞬間、向かいに座っていた友人が「あの場所は私たちのものだから」と私に対して突然言ってきたのだから驚いた。
2011年、中国の湖南省で日本語講師をしているときにもまた中国と日本との間で一悶着(もんちゃく)あり、私の安否を心配した1人の女子生徒がメールをくれた。
「先生、大丈夫?今日は外に出ないほうがいいね…」というような感じで1行目こそ日本語で一応建前を利かしてくれたのだが、2行目からは全て中国語で本音が止まらず、最後の結論は「だから、あの場所は私たちのもの」ということだったのをよく覚えている。
2020年、今香港でも若者を中心に「ここは私たちの場所だ」というメッセージが世界に向けて発信されているのは皆さんもよく知っている通りである。
普段は日本人と合コンしたり、日本語を勉強したり、タオバオでメイドインチャイナの商品を爆買いしているような普通の若者たちが、ひとたび「場所」の話になると目の色を変えて、さっきまで仲良く話していた人たちに対しても時に暴力や暴言をも厭わないような闘う集団に豹変する(ことができる)のはなぜなのか。
武士道の言葉を借りれば、それはかれらが学校教育で知性よりも霊魂を磨かれてきたからであろう。武士道教育でも、人格を磨くことが最も重要とされ、知識や考え方などの知的な才能は教育の本当の目的ではないとされていた。
韓国や中国、香港の若者たちは、物心がつく前から、そして物心がついた後も自分たちは何者なのか、自分たちの守るべきものは何なのかを徹底して教育されてきた。かれらの魂にはそれぞれはっきりとした色がある。それらは歴史や理屈、倫理と言ったものを超越した思考であり、常識では説明も理解もし難いその土地特有のものである。よって、それらの考え方に「なぜ」という疑問は存在しないし愚問であろう。
そういうわけで、かれらの発言や行動を日本人が見ると「どうかしてるぜ」と思うことは多々あるのだが、かつて日本人の武士道精神を目の当たりにした外国人たちもそっくりそのまま同じことを思っていたのだから文化とはそんなものなのである。むしろ余所者(よそもの)には理解できない、真似できないからこそ固有の文化といえるのであり、大和魂と呼ばれる所以なのではと私は思う。魂の色と言えば、三島 由紀夫が次のような表現を持って日本の未来を危惧していた。
「日本はなくなつて、その代はりに、無機的な、からつぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであらう」
新渡戸先生も述べているように、文化とは本来はその土地に漂う「香り」であり、その場所でのみ感じられるものであった。それが今、日本文化に感化された世界は、それを模倣し、自分たちのものとして発展している。
このような文化の流出の原因は日本が経済政策と称し日本文化を売り物にしすぎたこと、そして日本文化の弱体化にある。文化の弱体化、つまり日本文化が誰にでも真似ができてしまうほどに脆くなった要因はまぎれもなく武士道教育の欠如によるものだ。武士道精神の宿らない日本人の見せかけのふるまいを真似することは容易(たやす)い。私の妻なんかは舞妓の格好をして京都を歩いただけで観光客の注目の的であった。それもそのはず、本物の舞妓など今はほとんど見られないので、舞妓のふるまいなんてものは誰も知らないのである。知られているのはその格好だけだ。
それでも一応、諸外国の過激な言動に対しては武士さながらに「何様のつもりだ」とSNS上では威勢よく私たちは声を上げる。しかし、その言葉に武士のような覚悟はなく、むしろ皮肉にも今もなお武士道たる教育を受けているのはかれらの方なのである、ということに多くの日本人は気がついていない。何様かを考えるべきは日本人の方だろう。(つづく)
筆者プロフィール
宮坂 龍一(みやさか りゅういち)
東京都出身。暁星高校、筑波大学体育学群卒業。香港歴7年。柔道歴22年。妻は香港人。