花様方言 Vol.198 <「づ」を守る会>

2020/09/23

Godaigo_logo
 「づぼらや」の巨大フグちょうちんがついに取りはずされた。大阪の老舗フグ店は閉店である。名物の立体看板は今後、近くのレジャー施設、スパワールドが引き取って敷地内に「展示」する方針らしい。そもそも、あのような物体を道路の上に設置するのは違法だった。フグの全長は5メートル。許可基準は1メートルまでだから、尋常のはみ出し方ではない。松井市長も記者会見で言っていた。「もう完全に黙認よ」。結局、大阪市は強制撤去に踏み込むことはなかった。「大阪の名物看板。安全性を担保できるならオブジェとして残せる形を考えていきたい」。閉店が決まってからはむしろ保存に積極的だった。移転先候補のスパワールドによると、「ふぐちょうちんと通天閣をセットで眺められる場所はうちしかない」。地元民がここまでこだわる。それだけの力を、かの超法規的巨大フグは持っていた。

 「づぼらや」を守る会、というのがあるかどうかは知らないが、「づ」を守る会、というのなら存在した。漢語学者の高島 俊男さんが1996年、エッセイの中で結成を宣言している。いきさつは次の通りだ。雑誌の原稿で「二三百円づつ」と書いたら、編集者に「二三百円ずつ」と直された。戦後に旧文部省が決めた「現代かなづかい」(及び、それを引き継いだ現在の「現代仮名遣い」)では「ずつ」と書くことになっている。それを承知の上で、あえて「づつ」と書いたのに、書きかえられた。「執筆者個人の信念より、文部省の指図を重んじた」ことが気に入らなかったのだ。「そういう圧倒的権威を相手に…(中略)「『づ』を守る会」を結成して、はかない抵抗をこころみている…」。その後、多くの入会申し込みがあったそうだ。

P07 Godaigo_757 「づつ」は確実に勢力を広げている。巷で見る表記に、なんと「づつ」の多いことか。「現代仮名遣い」は道路交通法などと違って罰則はない。「みづ」(水)と書いたところで逮捕される心配はない。それどころか、前書きで「仮名遣いのよりどころ」と規定されていて、「…科学、技術、芸術その他の各種専門分野や個々人の表記にまで及ぼそうとするものではない」と書いてある。もし大阪市の道路占用許可基準がこんなにゆるかったら、きっと大阪中の道路がづぼらや並みの巨大立体看板によって埋めつくされるだろう。(これは芸術や!と主張すれば許可されてしまう。)実際、「づ」は、わざわざ守ってやらなければならないような絶滅の危機には瀕していない。平成22年、「ずつ」も含めて、うなずく、ぬかずく、つまずく、腕ずく、黒ずくめ、きずな、いなずま、ゆうずう(融通)、かたず(固唾)などは「づ」で書くこともできると改定された。そして勢い余って、ずぼら、むずかしい、見ず知らず、など、あくまで「ず」と書くべき領域にまで「づ」は越境してくる。「ず」を守る会、を作るというのはどうか。

 新仮名では「づ」で始まる言葉はない。だから「づぼらや」は目立つ。(固有名詞も例外、と規定されている。)『三省堂国語辞典』には2つだけ「づ」で始まる語が載せられている。ヅカ(宝塚歌劇団、ヅカガール)と、ヅラ(かつらの俗語)だ。この2つは「づ」の性質を理解する上で非常に重要な例外である。宝塚「たから+つか=たからづか」という「連濁」が独立をはたしたのがヅカジェンヌのヅカだ。常用漢字表の平成22年の改定では「側」(かわ)の訓に「がわ」が加えられた。「右側」(みぎがわ)のような連濁から、「被害者の側」(がわ)のような独立用法が生じたのだ。「映(ば)える」も「インスタ映え」からの連濁の独立。かつらは古語が「かづら」であり、これの短縮が「づら」。お盆で田舎に行って、おじいちゃんが「むつかしい」と言ってるのを聞いてきた小学生は無意識のうちに作文で「むづかしい」と書く。(むづかしい、は旧仮名。)現代日本語では「ず」(z-、摩擦音)と「づ」(dz-、破擦音)が区別を失ってるわけだが、実際には多くの場合[dz]のほうで発音されている。「づ」の遠い記憶が、ときどき先祖返りのように、よみがえるのかもしれない。

 現代日本人は「す」(s-)と「つ」(ts-)を区別できるのに、それを有声にした「ず」(z-)と「づ」(dz-)は区別できない。面白いことだが、特に不思議というわけではない。言語とはこういうものなのだ。だから「絆は、き+つな(綱)なんだから絶対に、づ。きずな、なんて許せない」という語源主義のイデオロギーも直すことは可能だ。「す」も「つ」も濁音は「ず」で書く、と統一してしまえばどれだけ楽か。金槌(づ)、絆(ず)、横綱(づ)、難しい(ず)、舞鶴(づ)、これらは実際、一発で漢字変換できずに多くの人がうっとうしく思っている。

 どんなに「づ」にこだわる人でも、こと漢字音の旧仮名となると沈黙してしまう。杜撰(づさん)、一途(いちづ)、伊豆(いづ)、牛頭馬頭(ごづめづ)。直訴(ぢきそ):食堂(じきどう)。陣(ぢん):人(じん)、女(ぢよ):汝(じよ)。乗(じよう)、上(じやう)、場(ぢやう)、饒(ぜう)、条(でう)、畳(でふ)。銃(じゆう)、獣(じう)、十(じふ)、重(ぢゆう)。誰でも旧仮名で書けるのは「痔」(ぢ)ぐらいなものだ。(ただし「じ」と打たないと変換しないかも。)道路の上にはみ出した看板といえば香港にかなう場所はないだろうが、最近、撤去が進んでいる。香港島の巨大な「ぢ」(ヒサヤ大黒堂)のネオンもなくなって久しいが、うけていたのは日本人観光客だけで、香港人はあれを特に文字とは認識していなかった。「づ」は、往年の「日劇」(日本のテレビドラマ)やアニメの終わりに毎日「つづく」の字を見ていたので今も香港人の記憶の中にしっかり守られている

大沢ぴかぴ

Pocket
LINEで送る