花様方言 Vol.190 <収束vs.終息>

2020/05/20

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 コロナの騒ぎが「しゅうそく」に向かう、と言う場合は「収束」か「終息」か。両方出まわっていて、疑問に思う人が、ぼちぼちいるようだ。NHK放送文化研究所、というのがあって、そのサイトの「最近気になる放送用語」のところに【新型肺炎の「シューソク宣言」は、「終息」でしょうか、「収束」でしょうか。】というのがある。NHK答えて曰く【「終息」と「収束」とは非常に意味が近いのですが、使い分ける必要があります。】その理由として次のような趣旨で解説されている。【「終」は文字どおり「終わる」という意味なので、終息は「完全に終わる」。収束は「収まる」「束ねる」ということから、「(状況・事態などが)ある一定の状態に落ち着く」という意味。ゆえに、新型肺炎の「完全制圧」の場合には「終息」、(完全制圧ではないにしても)新型肺炎に関する(社会的)状況などがかなり落ち着いてきた場合には「収束」。】ちなみにこの「新型肺炎」というのは「SARS」のことだ。したがってこの文章は2003年に書かれたものであり、「最近気になる…」の「最近」とは17年前の「最近」である。

P08 Godaigo_741 だが、また最近(2020年の話)、この話題がぶり返している。つまりこの17年間で「終息・収束」の問題は終息(収束)させられなかった、ということだ。ただしNHKの解説は無駄にはなってない。現在出まわっている「終息・収束」の数ある説明は、どれもみな異口同音に、同様の趣旨で書かれている。すなわち【「A国では感染の広がりがシューソクに向かっている」「シューソクすればA国を訪問する」「早くシューソクしてほしい」、いずれも「終息・収束」どちらもあり得るが、意味はそれぞれ異なる。終息は「完全制圧」、収束は「ほぼ事態が収まっている」。音声コメントにスーパーをつける場合、その人が「終息・収束」どちらの意味で発言したのか、注意が必要である。】でもね、お言葉ですけど、それができなかったからこそ、17年たっても「終息・収束」は収束(終息)してないんじゃないの?

 「シューソクに向かっている」「シューソクしてほしい」と発言する人たちは、どちらの意味か、などとはいちいち考えて言ってない。書く場合も、場当たりで漢字変換にまかせるか、あるいはせいぜい根拠の薄い直感で「終息・収束」のどちらかを選んでいる。なにより「終息・収束」どっちが正しい?という問いが寄せられること自体、区別がつけにくいことの証拠だし、それも国民的議論になるわけでもなく、ぼちぼちいる程度、ということで、いまだ無意識の人が多いということだ。テレビで「シューソク」と出てくれば、それを音として聞いているだけで、いちいち漢字は思い浮かべない。たとえ字幕があっても無理。漢字と意味との間に法則性を見つけにくい。おそらく、音声コメントにスーパーをつける係の人も区別がじゅうぶんについてない。「注意が必要」はしょせん無理な警告だった。

 「しゅうそく」は、戦後しばらくの間、おもに「収束」と書かれた。それ以前は「終熄」だった。さらに以前、明治のはじめごろには、「しゅうそく」という言葉はまったく一般的ではなかった、か、そもそも存在しなかった。明治の大辞典『言海』には「終熄」も「収束」も載ってない。戦後は漢字を減らすために「当用漢字」が制定され、「熄」は当用漢字に選ばれなかったので「終熄」と書くわけにはいかなくなった。昭和31年に「同音の漢字による書きかえ」のおふれが出されて、これがその後の日本の漢字の命運を大きく左右する。聯絡→連絡、庖丁→包丁、編輯→編集、颱風→台風、雇傭→雇用、涸渇→枯渇、叡智→英知、などなど書きかえは多岐に及び、終熄→終息、も、このリストの中に含まれていた。が、むしろ「収束」による置きかえ(?)のほうが好まれたようで、当時の出版物では、事態の収束、紛争が収束、混乱を収束させる、伝染病の収束、収束しないインフレ…、「収束」に収束しつつあった、のかもしれない。そのころの岩波『日中辞典』や旺文社『和仏辞典』を見ても「しゅうそく」のところに「収束」はあるが「終息」はない。もっと調べてみたいが、目下、コロナのせいで図書館が閉まっている。

 当用漢字政策が破綻して「常用漢字」に変わると、かなり自由になって、訣別→決別、は現在、決別→訣別、と、逆行が目立つ。「下剋上」は「下克上」によって書きかえられていたが、島流しから戻った「下剋上」によって「下克上」は取って代わられ、まさに戦国さながらの下剋上の様相を呈している。臆測・憶測、これは今まさに合戦の真っ最中だが、目立たないので、書く人も読む人もほとんど気づいてない。肝腎→肝心、は、戻る気配がない。本来の城主「肝腎」が留守の間に「肝心」が強固に砦を築き、「肝腎」の逆襲をはばんでいる。ちなみに「強固」は「鞏固」の書きかえ。「しゅうそく」は、終息・収束、という字の違いにより、意味が二つに分かれてしまった。というか、一部の知識人たちが、分けてしまった。ヤボな辞書ではおおよそ「物事が終わって、やむこと」と「混乱などがまとまって収まりがつくこと」だが、明らかに「終」と「収」の字につられている。「白鳥」は「白い鳥」ではない。白ければハトやニワトリも白鳥なのか。ハクチョウ(生物学ではこう書く)には、黒いの(ブラックスワン)もいる。

 もしも日本がベトナムのように漢字を廃止していたら「しゅうそく」はきっと「しゅうそく」ひとつのままで、問題はなかった。てか、和語にしてみたら、コロナが終わる、コロナが収まる、「収まる」でしっくり収まると思うんだけどね(おさまる、の中に「終わる」の意味もある)。今回のコロナはSARSより手ごわい。「収束」には向かっても完全な「終息」は程遠い、ということか。

大沢ぴかぴ

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