花様方言 Vol.191 <和風の語順>

2020/06/10

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 日本のスーパーの肉売り場には「食肉」と書いてある。香港のスーパーの肉売り場には「肉食」と書いてある。「食肉」というのは、食用の肉、食べるための肉、ということだ。「肉食」というのは、肉を食べること、肉の食事、ということだ。肉を食べる行為や風習などを表す「肉食」は大昔から漢語にある言葉で、日本の坊主など知識階級は「にくじき」と呉音で読んできた。仏教でご法度とされていたのが肉食(にくじき)である。現代では「にくしょく」と読まれて、生物学などで「肉食動物」のように使う。「肉食」の文法構造は本来、修飾語+被修飾語であり、「肉の食」なのだが、日本人は目的語+動詞ととらえて、「肉を食べる」と思い込んでいる。だから香港の肉売り場の「肉食」は奇妙に見える。一方、香港人には日本のスーパーの「食肉」こそが「肉を食べる」に見える。日本語の語順が「目的語・動詞」であるのに対し、漢語は「動詞・目的語」だ。「盲導犬」とは視覚障害者を導く犬の意味だが、香港では「導盲犬」である。盲導犬だと、視覚障害者が犬を導くことになってしまう。

 「消火」(火を消す)、「殺人」(人を殺す)、「登山」(山に登る)、漢語式の「動詞+目的語」も日本語には多く存在する。けれどもこれらは、「しょうか」=火を消すこと、「さつじん」=人を殺すこと、「とざん」=山登り、のように一語にまとまった名詞として記憶されているので、誰も変だとは思っていない。だが、ともすると「弱肉強食」のようなものは、弱者の肉を強者が食べる、のように日本語式の文法で解釈されてしまう。「弱肉強食」は本来「弱肉は強食なり」(弱者の肉は強者の食なり)という主語+述語の構造である。「環境保護」は日本で「環境を保護」することだと思われているが、この成句は香港でもずっと前から使われていて「環保」と略して使うのが当たり前になっている。「環境保護」は、「肉食女子」「草食系男子」のような日本語からの借用ではない。「環境の保護」という、これも名詞+名詞(修飾語+被修飾語)の構造なのだ。「環境を保護する」と言うときは「保護環境」である。「動物愛護」は、香港ではもっぱら「愛護動物」である。香港愛護動物協會。まれに「動物愛護」もあるが、これは「動物の愛護」ということだ。「清潔香港」も「香港を清潔にしよう」で、この標語の「清潔」は「清潔にする、きれいにする、掃除する」という動詞である。

 語順の違いというのは、なかなか頑固なものだ。簡単には変わらないのである。日本語の最古の部類に属する文献に平城京の木簡というものがあるが、「鏡を磨く」という意味で「鏡磨」と書いてある。漢字で書いてるくせに語順すなわち文法は日本語式なのである。江戸幕府は綱吉のとき「生類憐みの令」を出した。「生類」は目的語、「生類が憐れむ」ではなく「生類を憐れむ」のである。現代日本の「動物愛護法」(動物を愛護する)と構造上は同じだ。『鬼滅の刃』というマンガが人気である。「鬼滅」というのは「鬼を滅する」という意味であろう。「鬼殺隊」というのが出てくるが、これも「鬼が殺す部隊」ではなく「鬼を殺す部隊」である。「和風剣戟奇譚」と銘打っているとおり、「鬼滅」も「鬼殺」も「目的語+動詞」という語順で、確かに「和風」に違いない。

743_Godaigo 「仏滅」は「仏が滅する」すなわち、お釈迦様の死のことだ。「仏を滅する」とは絶対に解釈できない。バチ当たりもいいところである。(ちなみに香港では消火器が「滅火筒」である。)滅鬼の刃、とか、殺鬼隊、とか、する気はなかったのだろうか。日本人の発想として思いつきもしなかったのかもしれないし、あるいは直感的に「鬼滅」のほうが「和風」と思ったのかもしれない。作者は、吾峠呼世晴(あとうげこよはる)という、このペンネームからして極めて普通でない雰囲気をかもしているが、キャラ名や技の名前など、出てくる用語全般にわたって、一貫してこの路線なのである。竈門禰豆子(かまどねずこ)、産屋敷耀哉(うぶやしきかがや)、鬼舞辻無惨(きぶつじむざん)、悲鳴嶼行冥(ひめじまぎょうめい)、不死川実弥(しなずがわさねみ)、縁壱零式(よりいちぜろしき)、煉獄瑠火(れんごくるか)、黒血枳棘(こっけつききょく)。小学校低学年にも大人気だそうだが、『妖怪ウォッチ』ではこんなことなかった。ジバニャン、コマさん、コマじろう、ケータ、ふみちゃん、ネタバレリーナ、ひらがなカタカナばっかりだった。鬼滅の刃(やいば)で漢字の洗礼を受けた子供たちは将来、どんな大人になるのだろう。わたくしなどは子供のころ『帰ってきたウルトラマン』の「帰」たったひとつにさえ抵抗を感じたものである。

 中国語でも、目的語を動詞の前に出すことはできる。北京語なら「把」を使って「我把信寄了」(私は手紙を出した)のようにする方法である。広東語にも、限定的だが「將」を使った構文があり、また様々な条件下で、目的語+動詞の語順が実現する。浙江省の東端に位置する寧波語は、いたって普通に目的語が動詞の前に来る。「把」のようなものも使う必要はない。中国語の中で最も日本に近い地域に位置する寧波語が、また寧波語や上海語などを含む呉語と呼ばれるグループが、日本語と共通する特徴をいくつも持っているというのは単なる偶然とは思えない。呉語の位置する長江下流域は、日本に渡来した弥生人たちの故郷であろうから。中国語の地域ごとの多様な異相は、漢語化以前の、それぞれの地に本来あった言語の特徴がうつし出されたもので、先住民たちの言語のなごりと考えたい。漢語の文法に不慣れな大和民族が「鬼を滅する」をそのまま「鬼滅」とするように。

大沢ぴかぴ

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