花樣方言 「無」の境地

2016/07/04

日本には、無アクセントの地域というのがあります。場所はだいたい次の通りです。宮城県の南半分、山形県の南東部と中央部、福島県と栃木県と茨城県のほぼ全域、千葉県の北西部、静岡県の大井川上流地域、福井市とその周囲、愛媛県西部、宮崎県のほぼ全域、熊本県の内陸部、福岡県南部、佐賀県北部、長崎県北部、五島列島、八丈島、南西諸島の一部の離島。アクセントの「ない」方言が日本に「ある」という事実は、日本語のアクセントについて知る上で、とても重要な意味が「ある」と思います。

中国語の場合は、声調のない方言というのは見つかっていないのですが、もしも現代中国語に声調がなかったとしたら、これは大変です。衣、移、以、意、など膨大な数の語彙が区別できなくなります。日本語に無アクセントの地域があるということは、日本語にとって多様なアクセントの型は必ずしも必要なわけではないということであり、実際、雨と飴、橋と箸のような対立は、中国語などの場合に比べて遥かに少ないのです。無アクセントの地域では雨と飴や橋と箸が区別できないで日常生活に支障をきたしている、などという話はついぞ聞いたことがありません。アメが降ってきた、と言えばそれは飴ではなく雨に決まっているし、ハシを渡る、と言えばそれは橋に決まっているからです(一休さんでない限り)。

日本語のアクセントの役割のうち、意味の弁別は付随的で剰余的なものです。アクセントは、言葉の意味の区切れ目をわかりやすくするために、話者の無意識のうちに、大いに役立っています。無アクセントといっても、冒頭に挙げた諸地域の言葉は、一定の型を持っています。○●、○○●、○○○●とか、○●●、○●●●のように、語頭が低く始まって語尾が高くなります。抑揚によって、言葉を一語一語いちいち区切りながら話す必要がなく、すらすらつなげて言っても負担なく意味が伝わるようになっているのです。高低アクセントであれ強弱アクセントであれ、世界の言語の主流はこういったタイプの定型アクセントです。フランス語やトルコ語もアクセントは常に後ろと決まっています。フィンランド語やハンガリー語では常に語頭です。ドイツ語は接頭辞が付かない限り語頭。アイヌ語は第1音節の音韻的条件によって語頭かあるいは2番目になります。イタリア語やスペイン語は後ろから2番目で、条件によって後ろから3番目。アクセントが語によって違う英語やロシア語や関西弁や東京弁のような言語のほうが、世界的に見れば少数派です。

ここ数年、無アクセント=定型アクセントの当たり年が続いています。去年の夏、満島ひかりさんが声を担当した実写版『ど根性ガエル』が好評でしたが、この新しいピョン吉は、語頭が低くて徐々に高くなっていく栃木茨城タイプの定型アクセントで話します。とても気になったので40年前のアニメ版も見てみたのですが、やはり記憶の通り、昭和のピョン吉は普通の東京式アクセントです。仙台の北側から千葉県北西部にまで連なる日本一広い東日本の「無アクセント地帯」は最南端が東京下町の江戸弁圏に接しています。ピョン吉の出身地を東京の外という設定にしたかったのでしょうか。ピョン吉のこの定型アクセントには幾分「?」が残ります。

おととしは『妖怪ウォッチ』の年。妖怪キャラ、コマさんが定型アクセントです。コマさんの「ずら」と「もんげー」は有名で、香港の広東語版でもこう言っているので存じておりましたが、定型アクセントだという情報は得ていなかったので、初めて日本語版を見たときは思わず「もんげー!」と驚きましたね。コマさんは300歳をこえているそうですが、徳川の一団が関西起源の多様なアクセントを江戸に持ち込むまで、確かに関東一円はおしなべて、コマさんの話すような栃木茨城タイプの定型アクセントだったはずです。ちはやふる

『ちはやふる』のアニメと実写映画には、定型アクセントの福井弁が出てきます。この少女漫画が多くのファンを獲得したのは、競技かるたが激しい勝負の世界を持っているからでありましょう。福井は実際、競技かるたがとても盛んな地域で、小学校から百人一首を教えています。全国の競技かるたの公式大会では、歌が定型アクセントで詠まれます。京都アクセントではなく、東京アクセントでもないのです。このことが福井と関係あるのかどうかはわかりませんが、なかなか公平なルールだと思います。京阪アクセントや東京アクセントの人たちだけ有利になるということがありませんから。そして、どこに切れ目があるのかもよくわかります。

ちはやぶる神代も聞かず竜田川からくれなゐに水くくるとは○●●●●○●●●●●●○●●●●○●●●●●●○●●●●●●

競技かるたでは、無アクセントが標準アクセントです。

大沢さとし

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