なぜ、日本人に武士道は伝わらないのか 第9回

2021/02/24

P09 school bushido_745_2

 

 

世界中で注目されている
日本人特有の性格や行動の数々。

それらの由来は武士道精神にあった。

しかし、肝心の日本人にその武士道精神が
浸透していないのが日本の現状である。

筆者が外国生活を通して感じた
日本人の違和感を「武士道」や「葉隠」などの
武士道関連文献をもとに紐解いていく。

 

 

 

 

 

 

 第9回 武士の死生観 

 先月、私が中学三年間でお世話になった柔道部の監督が亡くなった。

 先生は小柄な体つきで表情はいつも穏やか、私服はVANジャケットを主体としたアイビールックで髪の毛もビシッと決まっていて、一見柔道家には見えない出立ちをしていたのだが、当時まだ中学生で世の中の厳しさを知らなかった私にも「この人には逆らってはいけない」という独特のオーラを放っており、いわゆる人間の恐ろしさというものを良い意味で初めて体感させてくれた人であった。

 力とか大きさとかではない「強さ」をその生き様で教えてくれた先生の訃報は私だけではなく多くの教え子や関係者を悲しませた。

ちなみに、私がその知らせを聞いたときは香港にいたのとコロナのせいで日本への入国制限がかかっていたため告別式には残念ながら参加できず、最後の最後で顔を合わせることができなかった。

 それはもちろん自分が中学生だったのは20年前の話で、先生だけでなく周りの人間も皆20歳も歳を取ったわけなので、当然このような出来事がこれからはますます身の回り、もしくは自分の身に対しても起きうることは避けられない。

 身近な人が死に直面すると自分自身も自然と「死」と向き合うことを余儀なくされるわけで、死について考えていると自然と「生きる」ことについても考える時間が増えてくるものだ。

 

 正統的な武士道を説き当時(1700年代)の武士たちのバイブルとして広く普及した 「武道初心集」に次のような記述がある。

 

 「武士たらむものは、正月元日の朝、雑煮の餅を祝ふとて、箸を取 おおみそかる初めより、其の年の大晦日の夕べに至るまで、日々夜々、死を常に心にあつるを以て、本意の第一と仕り候。(中略)総じて人間の命をば、 夕べの露、あしたの霜になぞらへ、随分はかなき物に致し置き候中に も、ことさら危うきは武士の身命にて候を(中略)」

 

 「日々夜々、死を常に心にあつる」 とあるように、心の中には自らの死をいつも意識しながら毎日を送ることは、たとえ戦のない泰平の世にあっても武士の生活態度の基本でなければならなかったことを指している。

この覚悟の前提には、人間の命が「夕べの露、あしたの霜」のようにはかないこと、戦闘や病で人はいつ死ぬかわからないことなどの認識が潜在しており、これらのことは命の脆さ・はかなさ、死の訪れの偶然性・予測不能性などが根拠とされている。この文章から読み取れることは、短い人生の間で価値ある死を選ぶために、日々を、そして一瞬 一瞬を、忠義・孝行という目的の実現に生きよということが武士道における死生観であったと考えられる。

 

 武士道における様々な考えの全ては「死」に基づいている。死とは何であるか?と追及した先に「生」があり武士道があった。武士にとっては日常生活に表裏一体として「死」の世界があり、しかしそれは決して悲観的なものではなく、そこに西洋文化で出てくるような死神などは出てこない、出迎えてくれるのは仏様であると信じていた。人生を謳歌しようというような「生きる」ことへの焦点よりも、「人はこの世に生まれたときに泣き、死んであの世に行くときに安らかに眠る」というような極楽浄土の考え方は日本特有のものである。

 

 約2年間の闘病生活を経て天国へ旅立った先生がどのような思いだったかは本人以外には分からない。恐怖もあったに違いない。でも何よりも無念の気持ちが一番強かったと思う。先生の残した記録や記憶を考えれば素晴らしい人生であったことに間違いないが、それでも無念でならなかっただろう。そう考えると、私なんか先生の足元に及ばないが、それでも私なりに一日一日を覚悟を持って過ごすべきである必要はあると強く思う。

 


profile筆者プロフィール

宮坂 龍一(みやさか りゅういち)
東京都出身。暁星高校、筑波大学体育学群卒業。
香港の会社、人事、芸能、恋愛事情にうるさい。

 

Pocket
LINEで送る