深センものがたり 第21回

2020/04/01

waya title第3季 よもやま話

 

2000年から2002

P20 GZ_WAYA_734 中国が世界貿易機関(WTO)に加盟し、外資の対中投資が更に加速していった。深センにも日本人の方が多く来るようになった。羅湖の街角で15年ぶりに日本人の知人と偶然出会って、互いにびっくりしたものだ。

 当時の深センは世界一のニセ〇ノケータイを産む地として有名であり、街の公園に「ドラ〇もん(のようなネコの置物)」がいたり、屋台で「ウルトラマンマン」と名付けられた人形を売ってたり、超派手な安物を山積みにした「無印〇品」という服屋が堂々とあったり、パクリ問題として日本の報道で取りあげられていた。

 

P20 GZ_WAYA_734お節介な人たち

 ある日、膝にケガを負って、初めて深センの病院へ行った。先に診察料金を支払って、各診察室を患者が自由に選んで並ぶスタイルだ。番号札による順番待ちなど無い。うかうかしていると横入りされるので、前の人との隙間を空けないのがポイントだ。

 筆者の番、医師が「丸椅子に座って患部を出して」と指示。その途端、後ろに並んでいる数人が筆者の患部をのぞき込む。「おお~」とか、「ほぉ~」とか、「アイヤー」とか、まるで自分のケガのように顔をゆがめながら、各々心配したり、どうすればいいかお節介に教えてくれるのだ。驚いたことに彼らの言葉に医師が反応して、「そうだ。それは良いやり方である。」とか言う。気をよくした彼らは更に続ける。方言が強く、まったく意味は不明であるが、心配してくれる気持ちはいささか嬉しかった。

 傍らに若い看護師さんがいるのだが、彼女はずーっとケータイを触っていて、医師や患者の話などまったく聞く耳もたずだったが

 

P20 GZ_WAYA_734ミニバス

 再び香港人のビジネスパートナーH氏に登場していただく。時は2000年頃、第2国境の外へH氏同行のもと、工場へ打合せに出かけた。戻る時間が遅くなり、田舎の道もセピア色に染まっていた。当時、羅湖の街に入る道路は夕刻以降8時頃まで大渋滞で、タクシー利用にも苦労する。H氏へミニバス乗車を提案するが、彼は「危ないからボクは絶対に乗らない!」と、断固拒絶された。待てど暮らせど空車タクシーが無く、仕方なしに筆者はミニバスで羅湖まで戻った。

 以前に第2国境ゲートで筆者一人を残して香港へ戻ってしまった、いささか薄情な一面を見せつけたH氏であるが、今回は筆者に置いてきぼりをされたのである。

 後日尋ねると、タクシーに乗るまで更に1時間ほど待ったとの事であった。

※ 当時のミニバスは事故も多く、セキュリティー全般に大きな問題を抱えていた。深セン市ではその後、特区内の走行は全面禁止された。

 

P20 GZ_WAYA_734心温まる逸話

 この頃、深センの日本人に伝わった逸話を紹介する。ある日本人の出張者がホテルに宿泊、インク残りがあと僅かなボールペンをゴミ箱に捨てて帰国した。それから何日か過ぎた頃、なんと、そのボールペンが郵便で会社へ送られてきた。添えられたメモには、部屋を清掃したスタッフが、貴方様のお忘れ物を部屋で見つけたので送ります。長い間ご不便だったと思います。と書いてあったそうである。思わず笑みがこぼれるような心温まる話しではないか。

 


宮城 紀生深セン在住19年のベテランコンサルタント
宮城 紀生
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会社設立・運営、法律相談、会計財務税務
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