深センものがたり 第20回
第3季 よもやま話
このコラム執筆時(2月中旬)、新型のウイルスは依然活発な状態である今、深センで住む部屋で思った事を述べさせていただく。よもやま話としてお付き合い願いたい。
忘れた頃にやってきた…
深センに住み始めて2年目(2002)、サーズが流行った。これは広東省と香港が中心だったので、約4か月間は仕事や移動にかなり苦労をした。順調であった仕事にキャンセルが相次ぎ、出張で訪れた中国国内や日本では広東省から来たというだけで厳しく検査を受けた。日本でアポを得ている会社のロビーで突然キャンセルされた苦い想い出がある。
そして17年後の今回。サーズ時の経験があっても慣れるものではない。やはり未知のものとの出会いである。出口が見えない不安。自分だけは大丈夫だ、気合が入っておれば大丈夫などの非医学的な意気込みは、もろくも消え去った。
しかも、となり街の香港へ行けば2週間外出できない。SNSでは出どころ不明の情報が飛び交っている。受ける精神的圧力はハンパやない。
部屋にこもって約1ヶ月、多くの知人に ”手洗い“ と ”うがい“ を習慣とする重要性を訴えている。
家族を守るために食料や医療品を大量に購入する人の気持ちはわかるが、それを必要とする人にとって、それが無くなると生死にかかわる問題にもなる。低価で手に入れたマスクを高値で転売して儲けることは、特にこのような状況時には人道的に許せない行為だと思う。
故郷は遠きにありて思うもの
深センに初めて来たのは30年前。この間、多くの中国の方と知り合い、多くを語り知った。その中で感じたのは、両親をはじめ家族への思い、遠い故郷への思いである。我々日本人は尋ねられて話すことはあっても、自ら切り出すことは少ないように感じる。共に思う気持ちに差はないとは思うが、やはり中国の人たちは遠い故郷から離れて暮らす人々が多いので、より望郷の念も強いのであろう。
2003年に筆者の父が逝った。偶然に日本へ戻っている時であり、見送ることはできた。その後まもなく、学生時代からの親友が突然亡くなった。遠くに離れている後悔と寂しさを感じた。その数年後からであろうか、日本に対する思いが徐々に頭をかすめるようになる。家族や友人、お世話になった人々、そして政治や経済までも心配する自分に変化を感じた。「これは、望郷なのか…」と、いささか中国人の心境を理解したかもしれない。
余談であるが、それまで演歌嫌いだった筆者が、生まれて初めて ”北国の春“ を唄った…。
異国の地、深センに住んでいるからこそ、今も故郷日本や日本人の良さをあらためて感じている…
さて、皆さんがこのコラムに出会った頃、新型コロナウイルスが終息に向かっていることを願ってやまない。そして、手洗い、うがいを習慣とし、適度な運動と栄養を摂りつつ日々の健康に留意してもらいたい。
イヤな出来事は忘れた頃にやってくるもの、喉元過ぎれば熱さを忘れるものでもある。
深セン在住19年のベテランコンサルタント
宮城 紀生
miyagi@waya.net.cn
深セン華日(ワーヤ)コンサルティング
会社設立・運営、法律相談、会計財務税務
深圳市福田区深南大道6021喜年中心A610