花の羊城 広州のスゴ人スゴ録 :三浦 喜進さん
香港髪加集団有限公司 技術教育総監
Hong Kong hair plus Technical education director
三浦 喜進さん Yoshiyuki Miura
活火山桜島を望む鹿児島で育った一人のサッカー少年。将来の夢は「芸能人になること」だった。ヘアサロンを営む両親の下で育ちながらも、美容に興味はなかった。そんな少年が上京し、一人の先輩美容師と出会うことをきっかけに、本格的に美容の世界を志すことに。その志は日本という枠を軽々と飛び越えて行く―。
両親は美容師(のちに弟二人も美容師)という一家の長男。当然彼もその道へと思いきや、将来の夢は「芸能人になること」だった。鹿児島の一高校生だった彼は、芸能養成所のパンフレットを集めてみたりもしたが、結局は約束された道であったかのように父親の勧めで地元の美容学校に通うこととなる。
それでも夢は捨てきれず、「上京すれば芸能人になれるかも!」という安易な考えで、美容学校卒業後、東京都内のサロンに就職する。明確な意志で足を踏み入れた美容の世界でなかった。しかし、そこで出会った一人の先輩美容師との出会いが、彼の人生を大きく変えることとなる。
「俺、優勝するよ」そう宣言した先輩は、スタイリストの技術を競う東京都のコンテストで、言葉通りその栄冠を手にした。その先輩がどんなに努力していたかを見ていた彼は、この人に続こうと決心する。
原点にあるもの。「努力すれば、俺も美容界でどうにかなれるんじゃないか?」
その日から、1分でロットを何個巻けるかなど、技術向上のため練習の日々が続く。研究、反復、反省…。1年間ひたすら努力の結果、彼は次年度の都内コンテストで頂点に立った。この頃には、「芸能人になる」なんて夢はどこかへ行ってしまっていた。「有名サロンでキャリアを積み、将来は独立」というのが若
い美容師たちの一般的な夢だ。そんな同期や同僚たちの中で、「自分はひとつ違う路線で攻めてみよう」と、彼は他の美容師とは異なる道を歩み始める。
2003年北京へ。中国語を学んだあと日本に帰国。美容の仕事に就きながらその技術を磨き、再び中国へ。
中国に行くきっかけは、日本で知り合った北京出身の中国人から、中国での可能性を聞かされたことだった。「中国という大きな舞台で活躍してみたい」昔読んだ三国志の漠然とした印象しかなかった中国への思いが、行動へと変わった。2003年、中国スターバックスの一号店が北京にできたばかりの頃、弱冠二十歳を過ぎたばかりの彼はこの中国の首都で大きな夢を抱きつつ中国語を学び始める。
北京で2 年間学んだ後、帰国後も美容師として働きながら続けていた彼の中国語はHSK6級を取得するまでに。そして北京留学の日から6年後、学生としてではなく美容師として彼は再び中国の地を踏む事となった。日本で勤務していたサロンが広東省東莞に店を出すことになったからだ。まもなく同系列の香港のサロンへと移る。日系のサロンではあったが、ローカル顧客も多く、通訳なしで客と接することのできる彼の存在は、その美容技術の高さと共に注目を集めることとなる。
2013年から、その高いコミュニケーション能力を買われ広州の美容教育機関で教鞭をとることになった。若い中国人美容師たちを相手に美容専門用語にいたるまで中国語による講義だ。今や彼の活躍は広州に留まる事なく中国各地に赴いて講習、講演を行っている。「中国の美容師に高い技術と知識を提供し、日中友好に努めていきたい」と語る三浦氏。中国全土での生徒数、WeChat登録者数は5000人を越える。ますます精力的に活動を続ける彼の視線はさらなる展開を見据えている。
こうしてスゴ録には、また新たな1ページが刻まれたのであった。
どうもありがとうございました!(レポーター・編集部H)
三浦 喜進さん
Hong Kong hair plus
(香港髪加集団有限公司)技術教育総監
1977年5月15日生まれ、鹿児島県出身。1999年初渡中。語学を学んだあと、2006年日本に帰国。再び美容の仕事をし2009年香港でサロン勤務。2013年より広州にて、講師の道へ。2016年2月よりHong Kong hair plusにて、技術教育総監を務める。
WeChatID: hairplus-miura
Hong Kong hair plus
(香港髪加集団有限公司)
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地下鉄6号線沙河頂駅B出口3分
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(86)185-6547-0515(日本語、中国語OK)
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