芸術を楽しめる広東エリア「東山口(ドンシャンコウ)」

2015/01/05

広州 赤レンガ建物

20世紀初頭の中洋折衷の建物とその風景に溶け込む記念館やカフェ、アートギャラリー。ちょっと出かけたくなったら、広州市内で「古きをたずねて新しきを知る」ことのできる「東山口」で過ごしてみよう。

こんなところがあったのか…と新しい発見があるかもれない。

地下鉄1号線に「東山口」(ドンシャンコウ)という駅がある。駅周辺はにぎやかな商業エリアだが、E出口から署前路を南に進むと趣きのある街並みが現われる。ここが今回紹介するスポット「東山口建物群」だ。赤レンガが特徴の建物とフォトジェニックな街並み…。東山口の建物群は20世紀初期、およそ3万平方メートルのエリアに建てられた。近代建築の専門家も注目する建築物が建ち並び、週末になるとカメラを手にした人々が数多く訪れる。

「東山口」(ドンシャンコウ)

【広州の近代建築群】広州には趣きのある建築物や街並みで注目されるスポットが幾つかある。よく知られているのは、華僑新村や沙面だ。華僑新村は、地下鉄5号線「区庄」駅と「淘金」駅にまたがるエリアで、かつて海外から帰国した華僑が住んだ高級住宅街。街路樹に覆われた別荘・邸宅街が文物保護区となっている。沙面は珠江に浮かぶ島で、かつてイギリスとフランスが租界に指定したため、領事館や貿易会社などがあった場所だ。歴史ある洋風建築と老木が生い茂る風情は全国重点文物保護単位に指定されている。これらに比べて、東山口の近代建築群についてはまだそれほど知られていなかった。ところが最近、東山口の建物群の歴史が華僑新村よりも30年ほど古いことがことがわかり、にわかに注目を集めることとなった。華僑の別荘・邸宅としての「華僑新村」、公館・商館としての「沙面」、ならば東山口の特筆すべきは何か?広州ではかつてこんなことがささやかれていた。「有銭住在西関,有権住在東山」=「金持ちは西関(現在の広州市荔湾区あたり)に住み、権力者は東山に住む」。中華民国時代、東山口・新河浦エリアには政府関係の要人などが多く居を構えていたことからこう言われていたのだ。

【東山口の建物群】建物群があるのは、東は亀崗大馬路、西は均益路、南は東華東路、北は廟前西街に接するエリア。建物のスタイルはいずれも中洋折衷。「民国初年」つまり1912年ごろから建て始められ、1920年代末に最大規模となった。その後の70数年の間、広州の街の移り変わりを静かに眺めてきた。開発・発展の波にのまれて多くの歴史的建造物が姿を消す中、現在に至るまで良好な状態に保たれてきた建築群の存在は大変貴重だ。専門家によれば、広州市内で見ることのできる最も大規模な民間建築群だという。

建物群のあるエリアは整然と区画されており、啓明一路、啓明二路、啓明三路、啓明四路といった小道が平行して走る。それぞれの小道の間に建つ建物群はほぼ均一の面積となるため、整然とした街並みが作られている。各住居の建物面積は100〜130平方メートル(約30〜40坪)、庭面積30平方メートル(約10坪)となる。これらの建物は2、3階建て平頂(陸屋根)赤レンガ造りだ。各家の入り口には赤レンガで囲まれた小さな庭があり、樹木が茂る。防暑対策のために植えられたこれらの樹木が、現在では路地を覆うまでに成長し、地区全体が静かで落ち着いたたたずまいを見せる。

【建物の特徴】赤レンガの建物は古いが保存状態が大変良い。窓は上部が半円形、テラスも半円形のデザイン。玄関の框は狭くて高い。屋内は階段がとても狭く、手すりは棗紅色(ダーク・レッド)の木製。鉄筋コンクリートではなく赤レンガのみで作られているにもかかわらずとても頑丈だという。その秘密は三層に積み上げられたレンガにある。後に移り住んだ人たちが、これらの建物にエアコンを設置しようと壁に穴をあけようとしたところ、なかなかあかなくて苦労したという。壁の厚みは最も薄いものでも24センチもあるため、断熱効果が非常に高い。おかげで、酷暑の日でも室内は涼しく保たれる。広州の暑い夏を快適に過ごすのに適した造りといえる。欠点は採光があまり良くないことだが、それでも中国古来の建造物と比べれば格段に進歩している。

【芸術的価値】中華と西洋のデザインが融合したことで独特の風格を持つ建物が作られた。レンガとその赤い色は西洋の象徴、瓦とその緑の色は中華の象徴。ステンドグラスで彩られた窓「彩窓」は、西洋の教会建築スタイルが清朝末期になって中国に伝わったことを物語る。民国時代、彩窓と木造窓枠の組み合わせという新たなスタイルが生まれたことがわかる。民国近代建築の典型的なデザインであり、現代建築のデザインにも大きな影響を与えているものだ。

東山口建物群――現在ではそれらの建物を利用したカフェやギャラリーなどもあり、おしゃれで落ち着けるエリアとして再び注目されている。歴史や建築に詳しくなくても、広州の違う一面を感じさせてくれる、とっておきの場所だ。時の要人たちも癒されたであろう、昔と変わらぬ風景の中に身を置いて、往時をしのぶのもよいだろう。

90年以上の歴史を感じられる空間
【逵園1922 Gallery & Cafe】

逵園1922 Gallery & Cafe      90年以上の歴史を感じられる空間

「逵園1922Gallery & Cafe」は、「広州東山洋房五大名園」の1つに数えられる洋館。建物は3階建で1922年に建造された。歴史ある洋館の魅力を十分に引き出せるように工夫されており、現在では、このエリアの文化とそれに調和したアートを一緒に体感できるスポットとして生まれ変わっている。レリーフの施された柱、アイアンアートの窓、フローリングなど、どれをとっても90年以上の歴史が作り上げた美しさを感じさせてくれる。1階のギャラリーでは芸術家の作品にふれられ、2階のカフェでは窓から見える緑の木々の優しい色彩に癒される。すてきな画廊とおしゃれなカフェはたまの休みに訪れたい広州のオアシスのような空間だ。

逵園 1922 Gallery & Cafe
住所:広州市越秀区恤孤院路9号(「中共三大会址」の真向い)
電話:(86)20-8765-9746
時間:10:00~24:00
ウェブ:weibo.com/kuiyuangallery
メール:kuiyuan1922@gmail.com

東山口で成長し続ける交流の場
【青年文化交流活動中心】 Old Canton Youth Cultural Activity Center

広州越秀区古粤東山 青苹文化交流活動中心      広州越秀区古粤東山 青苹文化交流活動中心2

東山口を訪れて気付かされるのは、広州の古き良き風景がここにはあるということだろう。この地を愛する人々の人情が、時代の荒波を切り抜けてこの地を存続させてきた。そして、広州には食だけではなく、芸術も文化もあるということを東山口が強力に証してくれる。もともと教会だった場所は、多くの西洋人や帰国を果たした華僑を引きつけたという。そして、この土壌に育まれた建物の1つに「青年文化交流活動中心」の名前が掲げられている。自然で、素朴で、野性的な趣がある建物で、宿泊、食事、交流、文化活動の場を提供、広州を行き交う数多くの旅人の魂を癒やし続ける。広州をさすらうすべての人を優しく包んでくれるユースホステルだ。

広州越秀区古粤東山 青苹文化交流活動中心
住所:広州市越秀区恤孤院路22号(「中共三大会址」隣)
電話:(86)20-8730-4485

毛沢東ゆかりの地
【毛沢東旧居と中共三大会址紀念館】

毛沢東ゆかりの地      毛沢東旧居と中共三大会址紀念館      中共三大会址紀念館

東山口エリアには毛沢東ゆかりの名所も存在する。廟前西街の通り沿いには「毛沢東旧居遺址」のプレートがあり、こう記されている。「1925年10月から1926年10月、毛沢東がここに居住した。この期間、国民党中央宣伝部代理部長を勤め、『政治週報』を創刊、国民党第2回全国代表大会に出席、第6回農民運動講習所を主催した。遺址は、もとは2階建の別荘で、毛沢東と夫人楊開慧は2階に住んだ。蕭楚女と沈雁冰が1階に住んだ」。また、1923年6月12日から20日まで、中国共産党第3回全国代表大会が恤孤院路で開かれた。中国共産党が広州で開いた唯一の大会を記念し、2006年以降、その場所に紀念館が修復されている。

中共三大会址紀念館
住所:広州市越秀区恤孤院路3号
電話:(86)20-8760-6531

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