花様方言 Vol.186 <もろもろの漢字の話>

2020/03/25

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 「鄂」←この字をご存じだろうか。肺炎関連の記事の見出しでよく見た。(香港の新聞は難字の使用率が漢字圏で最も高い。)同類の字に次のようなのがある。粤=広東省、閩=福建省、湘=湖南省、滇=雲南省、冀=河北省、黔=貴州省、魯=山東省、皖=安徽省、贛=江西省、浙=浙江省…。で、鄂は湖北省の略称である。

 漢字には、特定の地名を表すためだけの字というのがけっこうある。「汕」は広東省のスワトウ「汕頭」(と汕尾)だけを表す字であり、普洱(プーアル茶)の「洱」は雲南の湖「洱海」、「涪」は四川省の「涪江」にしか使わない。「岱」は山東省の聖なる山、今でいう泰山のことである。山梨県に大岱山(おおぬたやま)という山があるが、「岱」を「ぬた」の意味で使うのは日本独自だ。「ぬた」とは沼地や泥田のこと。台湾出身の陽仲壽選手(日本ハム→巨人)はプロ入り3年目に陽岱鋼と改名したが、「岱」が日本では泥沼の意味だと知っていたら、はたしてこの改名はあっただろうか。山梨の「ぬた」は大岱山以外では「垈」と書き、水が湧いて田んぼが作れるような場所を暗に表している。藤垈、相垈、下垈、砂垈、大垈。「~垈」という地名は中国や韓国のあちこちにあって「敷地」というような意味だが、日本では「ぬた」で、山梨県にしかない。

P10 Godaigo_733 渤海の「渤」も、渤海だけを表す字だ。日本の学校の先生が、渤海にしか使わない字なんてものがあるのはけしからんと怒っていた。確かに「渤」は日本の教科書にも出てくる、著名な(?)生産性のない字である。だが上記の通り「ほかに使い道のない字」はけっこうあるのだから仕方ない。だが、なぜこういう字が生まれたのかを考えてみることは漢字の性質を知るうえで非常に重要だ。漢字は、偏などの部首が意味を表し、旁(つくり)は音を表すというが、実は旁も意味を持っている。「勃」は「にわかに、突然」のような意味だが、「渤」の「勃」は、意味を表しているのか、あるいは単に発音を表す当て字か、はたまた間違ってこの字になったのか、今となってはわからない。が、とにかく何らかの理由で「勃」が選ばれて、それが水と関係あるから、さんずいが付けられた。汕も洱も涪も、みな、先に「山、耳、咅」ありき、である。海や湖や川だから、さんずいを付けた。岱も、何らかの理由で「代」と呼ばれていた山に、「山」の字が、あとから付けられた。山だから。

 鄂(がく)も、「咢」に、村や里や国を表す「阝」が付けられた。「咢」には「口」がある。二つもある。大声で神に祈る、といったような意味から「おどろく」が派生し、それを「愕」と書く。驚愕の「がく」。侃侃諤諤(かんかんがくがく)は、強い言葉で口論しあう様。顎は「あご」で、鰐(ワニ)は口がでかい。鶚も、くちばしが大きく鋭いタカのなかまのミサゴ。萼は花をくわえている「がく」。鍔は日本では刀の「つば」だ。湖北省の武漢は長江沿岸の、武昌と漢口と漢陽が合わさってできた。この武昌の旧称が、鄂。境界という意味があった。きっと、国境の向こう側にいる異民族を牽制するため大声で呪文を唱えて儀式をして結界を張った「力場」(パワーフィールド)だったのだ。かつて長江の南側は多くの異民族が住み、漢族の勢力が及ばない異境だった。広東省を表す粤(えつ)という字は「奥」と関係あって、まさに国境を越えた遥か向こうの奥の方が粤なのである。「粤」の下に付いている「亏」は、さらにずっと遠くの方、を表したと思われる。広東は華南の果てのどんづまりと見なされていたのだ。日本では東北を「みちのく」(陸奥、道の奥)と言うが。かつて日本が香港ブームだったころ、香港映画のビデオを勝手にダビングして売って大儲けしていた会社が福岡にあって、当時のまだ「粤」の字がなかった旧式のワープロで、「粤語」(広東語)のつもりで平気で「奥語」と打っていた。

 湖南省を表す「湘」は、川の名前から地域の名前になった。日本には「湘南」があり、渤海の「渤」より有名である。湘南海岸はまさに、洞庭湖のある風光明媚な湖南省の「湘」にあやかって付けた名前だ。武漢は漢江が長江に合流する場所で、漢江の入り口だから「漢口」なのだが、「漢」もまた、もともとこの川を表す字だった。それが国名になり、さらに中国全体を指すようになった。「漢」の旁は、「革」の下に「火」である。革を火であぶって乾かすことを表す。「嘆」は、口から乾いた息を吐いて「なげく」。「漢」は、乾いた川、水のない川、で、すなわち夜空の銀河。それがなぜ地上の川の名前になったのかはわからないが、一説に、銀河の流れと同じく南東の方向に向かって流れるから、とか。実際の漢江はよく氾濫する川で、とても水の少ない川とは思えない。「漢」の旁は、「僅」(わずか)の旁に共通する。飢饉の「饉」は食べ物が少ないこと。「難」は、「隹」(=鳥)が食物不足という自然災難にあうことを表している。謹慎の「謹」は言葉少なめに「つつしむ」こと。「勤」(つとめる)は、働いて「ちから」がなくなる。過度の勤労勤務が過労死につながることを太古の人たちは、いち早く知っていたか。菫(すみれ)や槿(むくげ)も「少ない、小さい」を表すこの旁である。韓国の国花であるムクゲの字が名前に入っている朴槿惠(パク・クネ)前大統領は弾劾罷免されて任期が1年少なかった。

 「粤」(えつ)は、「越」(えつ)にも通じる。「百越」といったら、かつて華南に広く展開していた諸民族の総称である。日本語の「もろこし」は「漢」や「唐」(から)同様、中国の呼称だが、漢字で書くと「諸越」で、諸々(もろもろ)の「越」ということだ。「とうもろこし」は、唐+もろこし。「中国」が二つ、かぶっている。方言の「とうきび」(唐黍)のほうが理にかなったネーミングである。

大沢ぴかぴ

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