花様方言 Vol.185 <がんばれ加油>

2020/03/11

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 「山川異域 風月同天」。日本から武漢へ送ったマスク・防護服などの支援物資の箱に書かれていた漢詩だ。奈良時代、日本の長屋王から唐の鑑真に宛てられた詩が出典である。舞鶴市が友好都市の大連市に宛てたのは「青山一道同雲雨 明月何曾是両郷」、これも唐詩だ。富山県から遼寧省への「遼河雪融 富山花開 同気連枝 共盼春来」は、わざわざ作った。両者の地名が詠み込まれている。どれも皆「場所は異なっても思いは同じ」ということを言っている。漢詩と並んで「加油」の字も見える。初期のうちは日本が支援する立場だったが、その後日本もうかうかしてられない状況になってきた。

 かつて中国の一般庶民は古典はからっきしダメだった。かの『日本人の知らない日本語』にも、三国志を知らない中国人留学生に日本人が驚く話が描かれている。が、今では小学校から漢詩を教えていて、古典を理解する若者が増えた。「加油」は去年の京アニ放火事件と今回の肺炎で日本での認知度が一気に上がった。だが「加油」は中華圏でも、由来がわからない得体の知れない言葉なのである。近年極めて高性能になった漢籍の検索サイトで調べてみても「加油」が中国の古典に由来するものではなさそうだとわかる。この、漢籍検索サイトというのが、なかなかの優れ物だ。日本の新元号の発表があった直後、多くの中国人が「令和」を検索したらしく、その日のうちに維基(ウィキペディア)には10を超える「令和」の「出典」が書き込まれた。西遊記にあるという「故令和尚得勝」=「ゆえに和尚(おしょう)をして勝ちを得さしむ」というのが最高傑作だった。ほかのも似たりよったりで、翌日にはすべて削除されていた。

P21 Godaigo_731 中国で「加油!」は北京オリンピックのときに広まったとされる。「加油站」(ガソリンスタンド)などからの連想か、起源は自動車レースだとする説が出回っている。具体的に、19××年のレースでドイツの車の応援で叫んだ、などと尾ひれが付いたのまである。だが、やはり古典に起源を求めたがるやからは、いる。諸葛孔明が夜の読書のため、ともし火が消えないよう、がんばって油を加え続けた、などなど。日本で諸説ある「油断」(ゆだん)の由来、般若経の「油をこぼしたら命を断つ」という話だとか、比叡山の開祖最澄がともした法灯の火を油断して消さぬようにという戒め、などに通じるものがあるようで興味深い。「油」は、仏教の修行や読経など、高宗なイメージと結びつくものなのかもしれない。「油断」の由来が般若経だとデマを飛ばしたのは日本初の近代的国語辞典『言海』(明治19年)だが、その改訂増補版『大言海』(昭和7年〜12年)および『新編大言海』(昭和57年)では、この説は「捏造」であり「言語道断」と断言、きっぱり切って捨てている。なのに般若経起源説は今も市井の文人墨客たちのあいだに公然と流布している。改訂版のほうも、見ろよ。「おてんば」がオランダ語起源だというはったりも『言海』由来だ。大槻文彦(言海の作者)の影響力は、すごすぎる。

 香港には「加油」が日本語だと思ってる人たちが若干いる。もちろん日本語ではないが、この「加油=日本語説」には一理ある。先の東京オリンピックで日本の女子バレーが金メダルを取って、バレー・ブームに乗ってドラマ『サインはV』が作られて、これが香港で大ヒットした。内容の性質上、「がんばれ」という言葉がたくさん出てくる。いわゆる「スポ根」時代の代表作。で、香港の広東語版ではこの「がんばれ」の訳に「加油」があてられた。こうして香港に「加油」が知れ渡った。小林信彦さんの小説『合言葉はオヨヨ』は1971年の暮れに香港で取材して書かれた。「赤とクリーム色に塗りわけた二階造りのバス」(懐かしいね、九巴、KMBの昔の色)の横に「青春花火」(サインはV)というポスターを見つけるくだりに、こうある。《香港は、「サインはV」のブームに湧いていた。日本では、とっくに終っているこのテレビ番組が、とてもウケているのだ。》また、コーヒー・ショップにて、指でVサインを作って見せると《ウエイトレスは、一瞬、びっくりしたが、「サインハV……」と日本語でうたいながら行ってしまった。》

 結局「加油」の起源はわからない。いくら高度な漢籍サイトがあっても、古典作品に出てくる言葉でなければ検索できない。漢籍は結局、一部の知識人たちの産物でしかなく、一般庶民の生きた言葉も調べなければならないが、そういう分野の研究は必ずしも十分とは言えない。昔の中国の学者が興味を持たなかった下々の民の暮らしの様子などは、むしろ日本人留学僧などが事細かに書き記している。日本人は昔からサブカルチャー系が好きだった。「油断」も、これが漢語ではなく当て字だとわかって初めて、万葉集に出てくる和語の「ゆたに」(≒ゆったり)と関係あると気づく。東日本大震災のときは香港から日本に「加油!」の声援が送られたが、「奸爸爹!」という音訳語も出回った。これは「ガンバッテ!」の当て字である。「がんばって!」は女言葉だ(男が言ったら、いわゆるオネエ言葉になってしまう)。『サインはV』では当然「がんばって!」と言っていたはずだ。だって、女の子だもん!(って、それは『アタックNo.1』)。香港の人たちの「加油」との出会いは、やはり『サインはV』だったのだなと、そのとき思った。

 「加油」のほかに「振作」というのもある。微妙に、違いもある。名探偵コナンが敵にやられてボコボコにされて、しっかりしろ、大丈夫か、かんばれ!という場面なら広東語吹替えで「振作!」。クレヨンしんちゃん(劇場版)が敵に猛攻を仕掛け、やっつけるゾ、ゼッタイ勝つゾ、がんばれ!という場面なら「加油!」。ウイルスとの戦いも、積極的に、攻めの一手で行くなら、加油!

大沢ぴかぴ

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