花樣語言 Vol.153 しんのすけ!みさえ!

2018/11/07

Capture_Godaigo

平成の人気者、と言われる、ちびまる子ちゃんとクレヨンしんちゃん。両方とも作者の訃報のときは香港で大ニュースだった。平成初期にあたる’90年代は台湾で日本のサブカルチャーが解禁になって「哈日族」が生まれた時代。国外随一の日本アニメ市場だった香港は、圧倒的に日本語に堪能な台湾にあっという間に追い抜かれてしまった。’90年代はアジアで漫画やキャラクターグッズなどの著作権が確立していった時期でもあり、ドラえもんの名前も「多啦A夢」に変えられた。ドラえもんが「叮噹」だった時代は「盜版時期」(著作権侵害時代)などと不穏な名前で呼ばれたりするが、戴志偉(大空翼)、小雲(アラレちゃん)など「港譯」(香港独自の訳名)への支持はいまだゆるぎない。

ちびまる子ちゃんは「小丸子」、しんのすけは「野原新之助」、おおよそこの時期以降は日本のオリジナルに沿った訳名になる。『クレヨンしんちゃん』はひらがなカタカナのキャラが多くて、しかもふざけた名前が多いので、かなりパニックパニック~♪になっている。しんちゃんのお父さんの「ひろし」は「廣志」、叔父さんすなわちお父さんの弟「せまし」は「狹志」。お母さんの「みさえ」は「美冴」。その姉の「まさえ」には「真冴、麻冴、雅恵」という複数の訳がある。妹「むさえ」は「夢冴」。まさえ、みさえ、むさえ、の三姉妹。めさえ、もさえ、というのはいない。姉妹の叔母にあたる「ふさえ」は「房冴」だが、これ、「さ」がかぶってないか?

「冴」というのは興味深い字である。一般に中華圏ではこの字の認識度はゼロに近い。「冫」が「氵」と誤植されてたりするし、台湾では北京語音で「yá」(牙)と読まれていた。「冴」は「冱」の異体字なので「hù」が正しい。そしてのちに「美冴」は「美雅」になった。これではもはや「みさえ」ではないが、誰でもわかる字で全く抵抗がない。香港ではもっぱら「美雅」である。しかし、そもそも、なぜ「みさえ」を「美冴」としたのであろう。美佐江、美佐枝、美紗恵、未沙絵、など選択肢は無数にあるのだ。おそらく台湾の翻訳者が日本語を知りすぎていて、「冴」が気に入っていたから、ではないだろうか。

中華圏で大人気だった『シティーハンター』(城市獵人)の冴羽獠は「孟波」。なお、こういう訳名の全てが海賊版なのではない。冴羽獠はジャッキー・チェンの実写版映画でも「孟波」だったし、ジブリも『となりのトトロ』の広東語版のサツキとメイを「大卷草子、次子」で認可している。で、『シティーハンター』には野上冴子という刑事も出てくる。また当時日本には氷室冴子という作家がいた。『外科医有森冴子』というドラマがあった。もっと前には女優の小月冴子がいて、三島由紀夫『複雑な彼』のヒロインが「冴子」。あのころ「冴子」はカッコいい名前で、大正~昭和初期の「なおみ」、戦後の「みゆき」…には及ばないまでも静かな流行があった、と思う。氷室冴子の本名は碓井小恵子、「冴」がいいと思ったからこそこの字にしたはずである。今の中華圏の宅男宅女(オタク)が「萌」に通じているように、往年の日本マニアは「冴」に萌えていた、かも。氷室さんたちが開拓したライトノベルというジャンルは「輕小說」と訳されて現在、台湾、香港に定着している。氷室冴子なくして今の「歴女」は(もしかしたら)ありえない。

「さえる」(さゆる、さゆ)の本来の意味は「冷える」で、中華圏では今も「冴、冱」に「冷えて凍る」以外の意味はない。だからたとえこの字を知っていたとしても、よほどの日本ツウでない限り、冴羽獠のような名前をカッコいいとは感じない。「氷室冴子」など、身も心も凍りつきそうな名前だ。(氷室さんは北海道出身である。)盜版時代、冴羽獠の中国大陸での訳名に「寒羽良」があった。これまたいかにも寒そうだ。「氷」は中華圏では「冰」であり、「冰室冱子」と書くと姓と名が「こおり」を意味する「冫」でそろって、詩的に寒い。(ただし北海道は「室」内は暖かい。)「冰」の字は近年日本でも台湾式かき氷屋で目にするようになった。香港では復古版の「冰室」が増えた。「茶餐廳」より古いスタイルの、レトロな香港式喫茶である。暑い香港、冷たいものも欲しくなる。

昔の日本人は寒さの中から情緒を引き出した。冴えるもの、それは「冴ゆる夜の瓦」(碧梧桐)であり、霜冴えて、風冴ゆる。夜空に星が冴え、月影が冴える。富士の高嶺は秋空に冴え、空は青く冴えわたる。目が冴え、耳が冴え、心が冴える。職人の腕が冴え、包丁さばきが冴える。琴の音、フルートの音が冴える。作家は筆が冴えて、火までもが「真赤におこって、冴える」(泉鏡花)。日本人を魅了した「さえる」は「冱える」ではなく「冴える」だ。なぜこの字になったのかは、もっと頭が冴えてるときに調べておく。「冴」はここ10~20年、気分が冴えない、冴えないやつ、のような否定的な使い方が増えた。『冴えない彼女の育てかた』というライトノベルもある。香港では新之助の母「美雅」の中に「冴」が半分だけ、痕跡を残している。「美冴」なくして「美雅」は(ぜったいに)ありえない。

日本は平成終了モードに入って、懐古ムードが蔓延中。大事なのは過去より未来だゾ。しょ~らい楽しみだ~♪

 

大沢ぴかぴ(比卡比)

Pocket
LINEで送る