僕の香妻交際日記 第43回 親父がいない香港
日本では昔から「地震、雷、火事、親父」と言うくらい、家庭における親父の存在感は大きいものでした。
親父は時にうっとうしく、また時に家族から軽く鼻であしらわれ、それでも家族に三食を食わせるために自分は一食もロクに食べないで一生懸命働いていました…きっと。
親父とは決して美しい生き物ではなく、皆からいつも受け入れられた存在ではありませんが、子どもたちもそして日本という国もうっとうしい親父たちの頑張りのもとでたくましく成長することができたというのもあながち言い過ぎではないと思います。
親父がいない香港
一方で、香港はというと圧倒的にその親父の存在感が足りていないように感じます。親父の存在感とはかれらの「うっとうしさ」にあり、香港のパパにはそのうっとうしさが欠けているのです。
ダメなものはダメだと子どもたちに言える威勢、忍耐力、精神力といった揺るぎない何かが香港パパたちの辞書にはなく、いつもニコニコしているなあというのが私の個人的な印象です。
自己中心的な傾向にある香港人
「静かにしなさい!」
と駅のホームで注意するママとそれを無視する子どもという光景は香港ではよく目にします。ママの言葉が子どもたちに伝わらない理由はママの言葉に気持ちがこもっていないからです。
では、ママはなぜ注意するのか?
周りの人に迷惑をかけているから?周りの人に私ちゃんと注意してますよアピール?単にうるさいなあと黙らせるため?それとも子どもの成長のため?
ポイントは誰のために注意しているかということです。香港の教育の問題点はこの「誰のため」の部分にあると思います。
つまり、多くの香港人は「自分のため」に行動をしてしまっているから問題なのです。ママも自分が携帯電話に集中したいんだけど息子がうるさくて集中できないから注意しているにすぎません…きっと。だから口先だけの注意になってしまうのです。常に子どもの成長と未来のことを中心に考えて接していれば、言葉に気持ちが入りますし説得力も変わってくるはすです。
自己中心的な教育の代償
親父のいいところは不器用ながらも一生懸命に物事に取り組むところでした。だから気持ちがこもるし、それがいつの日か周りの人にも伝わります。しかし、現代では「器用に、スマートに」という考え方が流行ってしまい、それを勘違いして「考えない、頑張らない」という若者が増え、その結果うわべだけの関係、言葉、行動、情報が氾濫するようになってしまいました。しかし、子どもたちがこのようになってしまったのはそもそもかれらの両親が自己中心的な教育をしてきてしまったことにあります。
だから親父が必要
ママは比較的感情的に話す傾向が強いので、子どもに世の中の道理をよくわかるように説明する場合はパパの方が向いています。子どもたちは賢いので論理的に説明されれば納得してくれます。もちろん人間として感情表現は大事なので、こちらの方面についてはママから学ぶことはたくさんあります。
特に香港のパパたちは仕事帰りに同僚とお酒を飲むこともほとんどありませんし、週末も出勤や出張というのが日本人パパに比べれば全然少ないので、家族と過ごす時間自体は確保しやすくあります。若い子たちと話すときのコツは「同調からのbut」が基本です。「なるほど、そうだよなあ。でもね…」というように必ず最初にかれらの意見に同調してあげることが大事です。同調が得られないかぎり、かれらが自分たちの心を開くことはありません。どんな意見にもまずは「それも一理あるよね」という余裕が親父には必要です。
つまるところ「寛容さ」こそがこれからの時代の親父に必要な要素の一つかもなあ、と今私の横で1歳を過ぎた娘がしまじろうを見ながら踊っている姿を見てそう思うのです。
ルーシー龍(りゅう)
香港人の妻と香港と日本のハーフの娘と一緒に暮らす日本人。狭くて広い香港で何とか一花咲かせようと企みながら早6年。座右の銘は「生きろ」。