平柳歯科の日本人通訳者 大山麻美さんにインタビュー

2015/01/13

人間に孤独ってあり得ない。死ぬまで人と関わるんだから、人の役に立ちたいんです。

子どもの頃から憧れていたキャビンアテンダント(CA)として香港を拠点に活躍した後、婚活の為に退職し日本へ帰国。
しかし、縁あって再び降り立った香港で第2の人生をスタートさせる。
セールス、医療通訳と結婚後もパワフルに活躍する彼女の原動力とは…。

平柳歯科 日本人通訳 大山 麻美さんインタビュー

大山麻美

 

香港在住歴は何年ですか?
香港には2回住んでいるんです。1度目はキャセイパシフィックでCAをしていた時に7年。結婚適齢期になったので婚活する為にCAを辞め日本へ帰国したのですが、縁あって結婚する事になったのが香港人でして、それを機に香港へ戻って来たのが1995年。ですので今年で20年。トータルしたら27年になります。

CAをされていたとの事ですがその頃から英語は得意だったのですか?
CAには子供の頃から憧れていて、何社かインタビューを受けて採用されたのがキャセイパシフィックでした。日米会話学院で1年間英語を学んではいましたが当時はインタビューがどうにか受けられる程度の英語力でした。実際、日本人のお客様を対応させて頂く為に雇われましたので英語がペラペラじゃなくても良かったんです。しかし2ヶ月間のトレーニングはすべて英語でしたのでクラスについてゆくのは必死でした。

麻美さん職場の写真

では今の英語力はどちらで習得されたのですか?
香港に2度目に住み始めて以来、読売新聞のセールス、マチルダ病院で通訳、そして現在は平柳歯科で通訳として働いているのですが英語力が身に付いたのはマチルダ病院で働いた時です。雇って頂いた時にはまだ十分な英語力がなかったので通訳の仕事を熟す為、英語と医療用語を習得せざるを得なくなり勉強の日々を送るようになりました。電話で予約を頂いた時に症状を聞いておいてあらかじめ勉強しておくんですが、現場に辞書は持っていけませんから最初はドキドキしました。でも2度目に同じ病状の方が来られた時には自信を持って対応出来るようになり、勉強の量に比例して自信がついていくのが嬉しかったです。それに通訳は言葉を訳すだけの単純作業に見えますが、私が通訳する事で人の役に立っていると思えてそれが大きな満足や達成感に繋がり、日々の勉強も苦じゃありませんでした。

以前から人の為に何かをしたり、人に必要とされるって素晴らしいと思っていたので、CAもでしたが通訳の仕事も大変だけれども喜びが大きく、私にとって天職です。

CAとも通訳とも全く違う、読売新聞のセールスをされたのはなぜですか?
結婚して香港に来て働こうかなと思い職業紹介所に登録したんですけど、そこで読売新聞さんが募集しているよと教えて頂き、面接を受けに行ってみたら即採用される事になりました。PCも出来ない、セールスも知らない、よくぞこんな私を雇ってくれたと驚くと同時にこんな私を雇ってくれるだなんてという感謝の気持ちで勤めてみる事にしました。セールスの仕事は初めてでしたが頑張って業績1位になり台湾出張のセールスまで任せられるようになりました。台湾では日本人の多いホテルに読売新聞を置いて下さいとお願いに周っていました。

順調に行っていた読売新聞のセールスからマチルダ病院での通訳に転職しようと思ったきっかけは?
セールスで香港の病院、ホテルも周っていたんですね。当時マチルダ病院は他の社の新聞を取っていたんですけど粘りに粘って変えて貰ったんです。その時に出会ったマチルダのスタッフの皆さんが物凄く素晴らしくて、病院の環境も素晴らしいじゃないですか。ここで働きたい!ここで働いたら英語も上手くなる!転職しよう!!と思いました(笑)。

絶対にマチルダ病院で通訳になる!と決めたので直ぐに手紙を書きました。空きが無くても雇って下さいって(笑)。案の定お断りの返事が来ましたが、待ちますと返事をして待つ事に。そしたら半年後に当時いた通訳の方が帰国される事になり空きができたと連絡が来て、雇って貰えることになったんです。そこからマチルダ病院には10年勤務しました。

定年までマチルダ病院で働く選択肢もあったと思いますが平柳歯科へ移られた理由は?
平柳歯科は身体が丈夫な限り続けられると確信しました。そして平柳歯科のマネージャーに変わっていたマチルダの元上司にお願いして雇って貰える事になりました。平柳歯科では3年働いています。

働いていて大変な事は?
香港に限らず外国で働くという事は、国によって考え方が違うので大変だと思う事もありますが、きっとそれは相手にとっても同じ事が言えるので学びの場と思い国民性を楽しめる様になってくるとストレスも減りました。逆に日本人だけの間で働くのもそれはそれで大変な事もありそうですしね。また、病院や歯医者で働いているとお客様は基本的に病を抱えていらっしゃるのでネガティブな気持ちの患者さんをどうやってリラックスさせることが出来るかという事もいつも考えています。暗い気持ちを抱えてやってきた人がニコニコ顔で帰られるととても嬉しいです。外国での診察という事で不安な方もいらっしゃると思いますが、通訳がいる事で安心して来て頂けたらと思います。

麻美さんの息子さん夫婦と娘さん  麻美さんとお孫さん

ご家族について教えて頂けますか?
子供はもう大きいので別々に住んでいます。息子も娘もアメリカ在住なんですが、息子夫婦に去年子どもが生まれたので今は短期間なんですが香港に住んでいます。娘はまだ独身でNASAのラボで働いています。

NASAですか?凄いですね!
娘は子供の頃から白衣を着てラボをカツカツと歩きたいと夢見ていたんです。でもヒールのある靴は禁止されているのでカツカツとは歩けませんし、長袖、長ズボンという服装で働かないといけないんですけどね(笑)。以前アメリカに会いに行った時はNASAの研究室を見学させて貰えました。まるで映画E.Tに出てくるワン・シーンの様でした。それから娘はプロのバレリーナでもあるんです。一体どうやって両立させているのか分からないのですが、いつ電話しても滅多に通じません。ですから1年に1回、アメリカに遊びに行った時に会えるのがとても貴重な時間です。この年になっても毎日ちゃんとご飯を食べているのか心配で心配で。なのでアメリカでは私、クッキングママに変身します。この時だけはしっかり食事を作ってあげてすっかりお母さんしてます。専業主夫になってくれる栄養士さんでも見つけてくれたら安心出来るんですけどね(笑)。

麻美さん社交ダンスの写真2

趣味や習い事は何かされていますか?
社交ダンスを2005年からしています。人に勧められたのがきっかけなのですが即ハマりました。コンペやパフォーマンスの機会にも恵まれ、人様にお見せ出来るレベルにまでになりましたが、まだまだ高めて行けたらと思っています。そこでもっとダンスを上達させる為に太極拳がいいのではないかと思い去年から太極拳も始めたんですけどこれまた即ハマって目覚めました!ダンスは今更先生になれるとは思えないんですけど、太
極拳は呼吸法さえ完璧に出来るようになれば今からでもマスターを目指せるんじゃないかと思い、今頑張っている所です。太極拳を始めてから自分の健康について見返すことが出来るようになり、色々と気付く事も多いです。自分の身体を丈夫にしながら人の健康のお手伝いができると理想的ですね。

最後に夢や目標についてお聞かせ下さい。
とにかく健康でいる事。100歳まで健康な身体をキープしたいです。その為には太極拳をマスターしなくては。太極拳をマスターする事=100歳まで健康に生きられると信じているので(笑)。ダンスは間違ってやると痛めてしまいますが太極拳にはそういう心配が無いのも良いですね。

後は私、ネット上で歯や医療に関する悩みから、子育てや香港生活の悩みまで何でも質問にお答えしているんです。本当はカウンセラーにも興味があって。よく孤独だという人がいるんですけど、私は人間に孤独って有り得ないって思っていて…。だって人って人に関わらないと生きられないじゃないですか。死ぬまで人に関わっているんだから、私自身も感謝の気持ちを人の役に立てられると素直に嬉しいんです。平柳歯科退職後は自宅で麻美相談室を開業するのもいいかもしれませんね(笑)。

大山麻美(おおやま あさみ)さんプロフィール
CAから結婚後、専業主婦になるも子どもが大きくなったのを機に仕事を再開。新聞社でのセールスを経験した後、マチルダ病院で通訳として10年間勤める。現在は平柳歯科に勤務中。サイト「香港ママの便利帳」のなかの「麻美の相談室」で悩み相談も受付けている。

 

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