総合健康診断サービス「メディポート」健康コラム:賞味期限と食品ロス
2009年5月に賞味期限が切れているレトルト食品を発見してしまった!乾物などを保管しているケース隅に忘れられた存在となっていたもので、賞味期限が切れて9年も経過している。昼間の室温は毎日30度を超えている香港の夏を、賞味期限を過ぎてからさらに9回も繰り返している。当然のことながら廃棄処分にしてしまうところを、興味半分に思いとどまってしまったのです。こんなに古くなった食品が存在すること自体が普通ではありえないことなのかもしれませんが、これを食べてしまったと聞いたら卒倒しそうになる人もいるのではないでしょうか。
メディポート代表:堀 真
問題の食品は日本製の「麻婆茄子の素」。レトルトを箱から取り出し傷みなどの異状がないことを確認し開封。指先でごく軽く押さえると中から飛び出してきた黒い液体。製造された当時の色はわからないけれど、とにかく小指の先にわずかばかり付けて恐る恐る舐めてみた。旨い!特に問題はなさそう。勝手に問題がないと判断して、早速これで適当に麻婆茄子をつくってみました。最初に味見していたので結果はわかっていたのですが、ごく普通に美味しく頂くことができました。元の味を知らないので、これほどの年月の経過によって味がどのように変化したのかはわかりませんが、これだけ古くなっても味を含めて、私の感覚の中では問題がないことを確認できました。もちろん私の味覚や嗅覚に頼ったものではありますが、特に問題がなかったことは現代の食品製造技術が実に素晴らしいものであることを証明したとも言えましょう。そうはいっても、これほどまでの期限切れ食品を食べてしまっても本当に大丈夫なのでしょうか? ここまで読んで、大きな疑問を覚えてしまう人も少なくはないと思います。
そもそもレトルト食品とは、気密性、遮光性に優れた容器に密封して、高温高圧の下で殺菌処理した食品のことであり、缶詰同様食品の長期保存のために開発された技術です。若い人にはわからないと思いますが〇〇カレーが商品化された最初で、まだ50年の歴史しかありません。なお、同様の製造技術が採用されている缶詰が製造されたのは今から200年以上も前に遡ります。ナポレオンが長期遠征における食料補給の問題を解決するために長期保存に耐えうる食品保存技術を懸賞金付きで募った結果、1804年に瓶詰が開発され、さらに重量を軽くするために1810年にイギリスで缶詰が開発されたのです。その後も試行錯誤を繰り返しより良いものがつくられるようになりました。
ところで、調べてみると、製造から100年以上も経過した缶詰を食べても、味や風味に問題はなかったというニュースも英国にあります。日本でも製造から71年が経過した、旧日本海軍に納品された赤飯の缶詰を開けてみたとの記事を見つけました。食べてはいないようですが、保存状態は非常に良好だったようです。缶詰が初めて製造されて200年以上。レトルト食品も実用化から50年が経過しており、今でも超長期保存に十分に耐えうる食品として、私たちの食生活に深く浸透しているだけではなく、災害時の非常食としても重要さは増しています。
レトルト食品や缶詰の話が長くなってしまいましたが、私たちは賞味期限なるものに振り回されてはいないでしょうか。そもそも製造者の責任で「美味しく」食べることができる期間を定めただけのものです。法的には「表示」の義務があるものの、その期間を決定する厳格な基準が定められているわけではありません。消費者受けするという理由で、賞味期限を短く設定する傾向もあると聞きます。
賞味期限がたった1日過ぎただけで捨ててしまう消費者も少なくはないようですが、あまりにももったいないしバカげたことです。世界では年間13億トンもの食料が廃棄されていると言われていて、これは食料生産量のなんと3分の1に相当します。その一方でこの地球上には8人に1人が栄養不足にあると試算されているのです。膨大な食品廃棄はもったいないというだけではなく悲しい現実です。
賞味期限ではなく消費期限というものがあります。こちらは品質劣化が早く、弁当や総菜あるいは乳製品など製造後5日以内での消費を強く勧められている食品に記されるものです。賞味期限が記された食品とは違い、こちらは期限内に消費しなければいけないものです。
賞味期限や消費期限の意味をしっかりと理解したうえで、食品ロスをできる限り少なくしていくことを常に考えなければいけません。その食品の向こうには生産者がいます。製造している労働者は、決して裕福ではないかもしれません。経済的に豊かだということだけで食品を無駄にしてしまうことは決して好ましいことではありません。
世界人口が増える中、食料資源を自在に増やせるわけではありません。経済的に恵まれたものだけが好きなだけ食べ、そして大量の食品ロスを生んでも良い時代をなんとか終わらせなければいけません。恵まれた食生活にある私たちが、少しでも考えなければいけないことです。