深センものがたり 第30回

2020/12/30

waya title〜 深センの歴史 〜

2010年代

 深センの姿が更なる進化を迎えた。福田区中心周辺に大手デベロッパー、南山区科技園中心にIT関連企業の高層ビル群が、まるで”雨後の筍“のように立ち並び、地下鉄の路線計画は更に増え続け、まるで”モグラのトンネル迷路“のように掘られていった。

 古き良き(?)風情の、庶民の市場や商店街(いかがわしいお店も)、低家賃アパート群は再開発によって解体され、有名ブランドが並ぶショピングモールや高層マンション群に変貌を続けている。

 人々の旺盛な投資意欲が不動産に加えて、株式への投資になだれ込んだ。米国から始まったサブプライムローンによる世界の金融市場が経済と共に恐慌に陥り、世界各国がもがいていた時期であるが、「バブルがなんだ、それがどうした!」と、そんなことをもろともしない投資欲だった。

 

1990年深圳发廊妹

1980年深南大道

1980年深南大道

1990年地王ビル建設

1990年地王ビル建設

 

 2015年、突然に株価の暴落が始まった。盛者必衰、栄えるものは必ず滅びるという格言である。ところが、そんなことをもろともしない、「株の暴落がなんだ、それがどうした!」と、深センの人々は再び不動産投資へ舵を切ったのであった。

※:「中国バブルはまもなく崩壊する!」と、日本のメディアや経済評論家たちの警告は、早10年以上経過したが、マンション投資に関しては現在もその兆候を見せない。それは”購入に手ぐすねを引く“多数の人たちが控えているから。

 

 深センのIT産業の発展は、モノづくりに欠かせない多くのサプライヤーが集まっていたから。国家政府が知的財産権の侵害を防ぐべく、専門の裁判所を設置して指導力を発揮した要因もある(知財法権を改定し法廷賠償額を8000万円にまで引上げ)。

 今や特許出願数が世界一となった深セン、イノベーション都市として急激に成長し、政府が位置づけた”経済発展のモデル都市“は、世界でも有数の”新産業のモデル都市“として象徴されるに至ったのである。

※10年以上前、筆者の知る日本人たちから、「シンセンってどこにあるの?」、とよく質問された。”新鮮“とか”新線“とか”神仙“などに変換されたメールもよく受け取った。「深センは香港の隣りにある町だよ。」、「ふ~ん、しらネー」、と話しが途切れる会話だった…。

 

市民中心

RS

 

 2015年頃から深センの人たちも日本へ買付けに行き始めた。いわゆる”爆買い“である。2019年頃には、日本のローカル巡りや癒しの地を求めた旅行に変化してきた。深センの人も訪日再開を期待する。

 2017年、深センは世界でもいち早くスマホ決済が浸透し、レストランや商店から始まり、市場や露天商、屋台、そして”物乞い“たちに至るまでQRコードを携えていた。この普及によって、街中から金銭目当ての強盗や泥棒の犯罪が減少したのである。

※現在、ウイチャットペイのシェア8億3000万人、アリペイのシェア4億人と驚異の数字。

 

SZ40th

 

 2020年8月26日、深セン市は改革開放40周年を迎え、”不惑の歳“であるが、この街は留まることを良しとせず、突っ走り続けるモンスターシティ。2021年、どのような姿を見せてくれるのか、楽しみである。

 


宮城 紀生深セン在住19年のベテランコンサルタント
宮城 紀生
miyagi@waya.net.cn
 
 
 
 
 
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