エッセーの瀬!Vol.133「四十(しじゅう)を越えて林真理子に学ぶ」

2022/10/05

essay (2)

~在中邦人の感賞的後日談~
音楽、文藝、料理、絵画…世の中のありとあらゆる藝術を、市井の目線から解いてゆく…
気鋭のライター4人が送る痛快リレーエッセイ

四十(しじゅう)を越えて林真理子に学ぶ

四十になったときに、「きっと自分は此処にいるだろう」って、想像できましたか。
マツイは、まったくもって、四十になって中国で働いてるなんて、露ほどにも思わなかった。でも、26歳で日本を飛び出さなかったら、きっと、「マルマル歳になったら(なっても)、きっと自分は何処其処にいるのだろう」と、容易に想像できる人生をすごしていただろう。

初めて海外に出たのは、26歳の誕生日だった。海外旅行で、ではない。日本という国を出て、海外で生活をしようと日本を飛び出したのは、今から15年前のこと。日本に帰ったり、また出たりはしたけども、それからもう15年も経ち、今、私は四十を越えた。

四十を越えて(越えたからか)、こんな本に出会った。「女はいつも四十雀」林真理子のエッセイ集だ。
林真理子は、女性を主人公にしたストーリーを描く。普通の主婦も、独身貴族も、熟女セレブも、女盛りの中年女性をも描く、林真理子の言葉はおもしろい。おもしろいなと、小説やエッセイ、コラムを読むたび思っていたけれど、四十を越えて読む、林真理子のエッセイを、今、面白く感じるのは、彼女が描く世界観や人生観を自分事と捉え、それに自分を重ねて、「違うだろう~」とか「いや、まったくその通り」とか、「なんだ、それ」とか「全くわかりません!」とか、そういう風にいえる歳になったからか。誰もが、ちょっと自分と重なるものを持っているから共感を生む。
悲しいことに、マツイは林真理子のように有名人でもなければ、セレブでもない。だから結局、彼女の言葉は雲の上なのだけれども、それでも、彼女の本は四十女の指南書であり、応援歌なのだ。「ちょっと、そんな女性を目指してみたいな」なんて思わせる、啓発本なのだ。 ブックタイトル「女はいつも四十雀」や、「『一人で生きていける女になれ』。母の言葉が身にしみてわかる夏」、「素敵な元カレは過去恋に泣いた女性へのごほうび」。
そんな林真理子の言葉に励まされながら、「知性があって、小皺もまた魅力的な美しき50歳。そんな“尊敬される女性”になろうよ!」
の言葉に啓蒙されて、小皺美人の魅惑の五十女を目指そうと思っている。しかし、「“グレイヘア”は甘いもんじゃない。ありのままでいるための努力は厳しいものだから」と林真理子は言うから、年月に任せて歳を取るなんて甘んじることもやめよう。スクリーンショット (1923)スクリーンショット (1922)

30歳手前で一度日本に帰ったけど、また海外に出たくなって、再渡航。31歳で、そろそろ日本に帰るかと腹を括ったつもりが、32歳で、中国で働き始めた。35歳までには日本に帰ろうと思っていたけれど、それが、40歳までには……となり、それも越えてしまった今は、もはや、帰国予定年齢制限設定をすることすら止めた。どこかに枷をかけて自分を縛らねば、奔放に生きすぎてしまうと思っていたけれど、四十を超えた今、そんな生き方はもはやしまいと、ちょっとは自分のこともわかってきた。わかってきたつもりだけども。不惑の歳といわれる四十のマツイは未だに迷いまくりだ。五十にして天命を知るというから、もうちょっとしたら、迷うことなく生きることのできる道が見つかるのだろうか。だけど、きっと、『マルマル歳になったら、きっと自分は何処其処にいるのだろう』って思う人生は歩んでいない気がする。
『そんな人生は歩まなくてよし!』って林真理子は言ってくれるはずだと、勝手に解釈して、五十の小皺美人目指して歳を重ねよう。


Maki

広州5年間の滞在を経て現蘇州在住5年目に突入。憧れの中国十年戦士に。そのうち二十年戦士に憧れる日が来そうな予感。古巣広州がいつまでも大好きな(自称)フリーランスティーチャー。寝台列車で広州に向かうのが好き。ビールがあって、大好きな友人たちがいればご機嫌。飛騨高山出身。旅好き・人好き・お酒好き。テニスも猫も音楽も好きだ。

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