花樣語言 Vol.162 平成の終わりに

2019/03/20

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明治安田生命の名前ランキング「生まれ年別ベスト10」によると、男子名の1位は、大正元年「正一」、大正2年「正二」、大正3年「正三」である。女子名は、大正元年に4位に入った「正子」が大正2年に1位になっている。昭和は、「昭一」が昭和2年に5位で、1位「昭二」、昭和3年「昭三」1位。「昭一」が出遅れた理由は、大正天皇の崩御が12月25日で、昭和元年が1週間しかなかったからだろう。

当初、「昭」はとても見慣れない字で、多くの人が違和感を覚えたという。その頃もしSNSがあったら「高輪ゲートウェイ」並みに叩かれていたかもしれない。「和」のほうを取った「和夫」が昭和2年、3位に入っている。女子は「昭子」が2位だが、女子はとにかく「和子」がすごい。昭和2年から13年間1位、その後もまた昭和18年から6年間1位、更に昭和25年から3年間1位と、昭和35年までベスト10から消えることはなかった。ただし大正14年と15年にも8位と6位に入っているので、昭和ブームとはまた別に、カズコ人気の流れがあったと見るべきだ。大和なでしこの「和」だろうか、あるいは長女の意味か。とにかく昭和に和子さんは多かった。平成は、元年に男子「翔”平”」、女子「”成”美」がベスト10入りした。

今回はネット時代初の改元(元号の変更)になるが、「平成」はテレビ時代初だった。小渕官房長官が「平成」と書いた紙を持って「ヘイセイであります」と言ったのを今も鮮明に覚えている。本当に、「ヘイセイ」と言ったのである。「ヘーセー」ではない。隣で一緒にテレビを見ていた人物が「ヘイセイ?言いにくいな」と言ったので、わたくしはこう解説してやった。「ヘイセイと書いてヘーセーと読みます。エイガと書いてエーガ(映画)と読むでしょ」。エイゴと書いてエーゴ(英語)と読む、だったかもしれないが、30年経ったので忘れた。

長音符号「-」は実はカタカナなので、エーガ、エーゴを発音通りにひらがなで書くとしたら、ええが、ええご、となる。この規則は内閣告示「現代仮名遣い」に明記されているが、ほとんどの日本人はそんなもの読まない。「らーめん」と書かれた看板は見るが「らあめん」というのは見たことがない。この規則、エ列に関しては滑稽だ。「ねえさん」と「ええ」(返事)の2例が載せられているが、和語には事実上、この2語しか「え」の長音はない。あとはみな漢語か外来語、擬態語、単音長呼、または方言などだ。江戸弁の「てめえ」とか「痛てえ」などが代表格だが、江戸時代にはこれらは「痛てへ」のように「へ」で書いていた。町衆が勝手に書いたもので、歴史的仮名遣いとしては全部、間違げえ、である。「間違げへ」と書いたほうが学がある、と思っていたに違げへねへ。

「現代仮名遣い」は、完全な言文一致ではないことを忘れてはならない。エ列の長音の漢語は、「慣習を尊重」した「特例」として、時計は「とけえ」ではなく「とけい」、丁寧は「てえねえ」ではなく「ていねい」と書くことになっている。これは「とけい」を「トケイ」と読め、ということではない。「トケー」という発音を、発音通りには書くな、ということだ。「私は」の「は」(わ)と同じ、現代仮名の中に混入された歴史的仮名遣いである。一旦は「とけー」のような書き方が教科書にも採用されたが、一部の学者に反対されて、消えた。芥川龍之介も反対した。「トケイ」と発音する方言もあるが、小渕さんの故郷の群馬はそうではない。「とけい」のように書いてあると、文字につられて「トケイ」と読んでしまうのである。「ヘイセイ」は確かに言いにくい。「エイ」は言いにくいから、自然に「エー」と変化した。小渕さんも次の日からは無意識のうちに「ヘーセー」と発音していたはずだ。かくして日本人は「エー」と「エイ」が曖昧になった。この責任を芥川龍之介は取ってくれるのか。平成の通信技術革命、携帯電話は「ケイタイ」ではなく「ケータイ」と書かれた。

元号の字は極めて限られている。247あるという日本の元号だが、使われた字は72だそうだ。その中でも、永、天、元、治、応、和、正、など、ひと握りの字ばかり何度も出てくる。入声韻(いわゆる、つまる音)の字が少なそうに思えたので、数えてみた。暦(16)、徳(15)、禄(7)、国(1)、福(1)、白(1)、吉(1)、これだけだった。「吉」以外、みな-k韻尾である。(すみません、マニア向けの話になります。)中国には、渤海、西夏、南詔なども含めて800以上の元号(年号)があって、入声韻は22。うち18字が-k韻尾である。徳(35)、暦(10)、国(10)、福(7)は比較的多いが、日本に7回あった「禄」は、遼の「天禄」1回しかない。日本は、元禄、文禄、永禄など「禄」が好きだったのだとわかる。中国の年号に「吉」はない。縁起の良い字なのに。日本には3回あった「喜」もない。「美」のような美しすぎる字は日本にも中国にもない。-p韻尾は隋に「大業」、-m韻尾は六つの王朝が使った「甘露」や、「咸」の字があるが、実にレアだ。日本にはない。日本では1751~64年の「宝暦」を最後に入声韻が使われていない。そろそろ出てくるころ…かもしれない。西夏には「天授礼法延祚」とか「天賜礼盛国慶」というすごいのがあった。もちろん西夏文字で書かれていた。日本もそろそろ日本の古典から和語の元号を選ぶというのはどうだろう。思い切って、ひらがなにするとか。カタカナだと、高輪ゲートウェイの二の舞になりそうだが。

大沢ぴかぴ(比卡比)

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