なぜ、日本人に武士道は伝わらないのか 第13回
世界中で注目されている日本人特有の性格や行動の数々。
それらの由来は武士道精神にあった。
しかし、肝心の日本人にその武士道精神が浸透していないのが日本の現状である。
筆者が外国生活を通して感じた日本人の違和感を「武士道」や「葉隠」などの武士道関連文献をもとに紐解いていく。
第13回 大将は 人に言葉を かけるべし
いよいよ、東京五輪開催まで1ヶ月となった。私自身は香港にいるので開催を間近に控えた東京の様子を肌で感じることはできないのだが、ニュースを見ている限りでは相変わらず懐疑的な意見が多く、渋谷のスクランブル交差点もドキドキワクワクというようなお祭りムードではなさそうだ。人生で一回見られるか見られないかの生の五輪が東京で開催されるというのに、何とも残念な状況である。
連日話題となっている開催の可否に関してだが、個人的には競技一つ一つの開催は可能だと思う。ただ、開催国である日本の状況を見ていると、果たして開催できる心の準備が整っているのかどうかは甚だ疑問でならない。
つまり、開催国日本のリーダーである政府やJOCの人間たちの言動や対応に問題があるから私たち日本国民は不安や不満を感じ、それを見た海外のメディアや選手たちも「ニホン、ダイショウブ?」と結果的に参加辞退という決断や開催反対という世論を喚起することになったのではないか、と私には思えてならない。そしてこのような消極的意見や負の感情を国民さらには世界中に喚起させたのが日本政府や五輪協会自身であるのに、その張本人たちがそのことに気がついていないようなので厄介だ。記者会見や国会での答弁を見ていると、まるで離婚寸前の夫婦の会話のように話が噛み合っていないやり取りばかりで、もはや反感を買うのを通り越して国民側としてはただただ呆れるばかりである。
義経(ぎけい)軍歌に、『大将は人に言葉をかけよ。』とあり。(中略)とかく一言が大事のものなり。(『葉隠』聞書第一より)
国家に限らず、会社でも学校でもスポーツでも芸術でもそこに組織やチームが存在する以上、必ずリーダーが存在する(存在しなければならない)。そしてリーダーからチームのメンバーに対する一言一言が大事なのである。グレートなリーダーは自分より優れた人間を上手に鼓舞できるからグレートなのであって、いつも自分が一番偉い、強い、賢いと思っているリーダーの下ではチームは連動できないことは想像に難くない。
武士は当座の一言が大事なり。ただこの一言に武勇顕(あら)はるるなり。即ち治世に勇を顕はすは詞なり。乱世にも一言にて剛臆見ゆと見えたり。(葉隠』聞書第一より)
よく政治家が「発言を撤回します」という言葉を使うが、撤回しなければならない言葉を発した時点で武士ではない。武士に二言はないのだ。針の穴に糸を一刺しで通すように、至極の一言をその場でバシっと発するからこそ、その言葉が人々の胸に強く突き刺さり、彼らを鼓舞させるのである。
世に教訓をする人は多し。教訓を悦(よろこ)ぶ人はすくなし。まして教訓に従ふ人は稀なり。年三十も越したる者は、教訓する人もなし。されば教訓の道ふさがりて、我儘(わがまま)なる故、一生非を重ね、愚を増して、すたるなり。故に道を知れる人には、何とぞ馴れ近づきて教訓を受くべき事なり。(葉隠』聞書第一より)
役職が上がると自然と周りの人々に自分が教えを説かなければならない機会が増える一方で、自分自身が学ぶ機会は減り、背筋を正してくれる人もどんどんいなくなっていく。リーダー自身が自発的に周りの意見に耳を傾けたり、それぞれの分野に優れている人たちの意見を請うような姿勢を取らない限り、まさに廃れるばかりである。
ボスとか上司とか先生とか先輩に褒められたり、気にかけてもらえたりして嬉しくない人はいない。中高大学柔道部での生活も簡単ではなかったが、私が唯一これまでの人生でマジで辛くてたまらず1ヵ月で辞めるに至った佐川急便の配送センター(深夜シフト)で働いていたときも、田中さんというモノポリーおじさん似の人事部のおじちゃんだけはいつも「悪
い先輩がいたらいつでも俺に言えよ」と声を掛けてくれて、その言葉が、田中さんの存在だけが唯一の励みだった。
「リーダーは「とにかく、一言が大事だ」ということをよく心得ていなければならない。その一言が言えなかったり、筋違いのことを言えば人々はどんどん遠ざかっていく。失った信頼、人々を取り戻すことがどれほど難しいことかは、今の日本を見ていると悲しいほどよく分かるではないか。
筆者プロフィール
宮坂 龍一(みやさか りゅういち)
東京都出身。暁星高校、筑波大学体育学群卒業。
香港の会社、人事、芸能、恋愛事情にうるさい。