香港にある数少ない貴重な日本人幼稚園で

2016/04/12

たんぽぽ幼稚園 園長
奥原益美さん
インタビュー

「多くの方の助けを頂いて、今日、この幼稚園はあるんです」初めは3年契約の保育士として来港し、たんぽぽ幼稚園のスタッフとなった奥原さん時を経て、今は人の縁や繋がりを大事にする園長先生として子供たちの成長を見守っている奥原益美さん

小さなころから幼稚園の先生になりたかったそうですね。
私が通っていた幼稚園がカトリック系で、先生が皆さんシスターでした。私は子供の頃難聴だったこともあって恥ずかしがり屋だったのですけれど、先生は皆さんとても優しくて心癒されていました。そんな先生方の愛に溢れる教育に触れて、その頃から自分も幼稚園の先生になりたいなと思っていました。それかお花が好きだったのでお花屋さんにもなりたかったですね。

それで短大を出られてすぐに幼稚園の先生になられた。
はい、短大を出てすぐに「白百合保育園」というところで働き始めました。大好きなお花の名前がついていて、ビビッ!っときました。その足で直接保育園に行って「ここで働かせてください!!」って(笑)。恥ずかしがり屋の性格も、この時ばかりはどこかにいっちゃいましたね。面接を受けて、働かせてもらえる事になったんです。

こちらの幼稚園も『たんぽぽ幼稚園』ですね。
そうなんですよね。勿論、当時の園長の人柄に惹かれて働き始めたのが一番だったですが、同じくらい名前もとっても気に入っていました。二度目のビビっ!です(笑)

香港にはどういったきっかけでいらしたのですか。
私自身、もともとはクリスチャンではなかったんですが、幼稚園で働き始めて3年位経った頃に人間関係をきかっけに少しつまずいてしまった時期があって。その時の同僚の勧めもあって、教会に行って洗礼を受けました。

当時はたんぽぽ幼稚園もカトリック系ではない普通の幼稚園でした。それで、前園長が後にクリスチャンになったときに、その頃から私がお世話になっていた牧師を通して紹介を受けて香港へ来ました。前園長にお会いしたとき、沖縄出身と知り安心したのを覚えています。その後採用が決まり働かせて頂く事になりました。奥原益美さん

香港と日本の幼稚園で、違いなどはありましたか。
香港の日本人幼稚園は園児自体が少ないですから、昔からたんぽぽ保育園は縦割り保育だったのですが、その頃は日本で縦割り保育をしているところはほとんどなかったんです。私も年齢別保育しかしてこなかったもので、始めの1年間は学ぶことばかりでとても戸惑いました。ただ、良く考えてみると自分が小さい頃は小学生のお兄ちゃんお姉ちゃん達といつも一緒にいて、遊んだり面倒見てもらったり、時にはしかられたりという経験があったんですよね。それを思い出してから、縦割り保育の良さが分かってきました。

奥原益美さんその後、一度沖縄に戻られたんですね。
仕事にも慣れて、日々楽しく過ごすことができるようになった頃に、3年の任期満了で一旦沖縄に戻りました。ところが数ヵ月後、たんぽぽ幼稚園で2歳児クラスを新設することになったものの、予定していた先生がご主人の転勤で働くことができなくなり、急遽、私のもとに話が来て、再び香港に来ることになりました。

現在、ご主人も幼稚園で働かれているとお伺いしました。
主人とは最初の来港当時から同じ教会に通っていた親しい間柄で、一度沖縄に帰る前にプロポーズも受けまして。かねてからお世話になっていた地元の教会の牧師夫妻の後押しもあって、2度目に来港してすぐに結婚しました。主人には2002年に園長になるにあたり、教育庁への申請などで沢山助けてもらいました。当時は広告の仕事をしていたのですが、やめて今は幼稚園を手伝ってくれています。今、窓に張ってあるステッカーなんかも全て主人が作ってくれたんですよ。

人とのつながりをとても大事にされていますね。
はい。今幼稚園では一年に一度ヤクルトの工場見学と、アピタにあるパナッシュというパン屋さんの工場見学をさせてもらっています。もうどちらも長いこと続いている恒例行事ですが、担当者の方はお忙しい中いつも快く引き受けてくださるんです。私自自身も園長になる際に、主人や、短大時代の恩師に本当にお世話になりました。1人では奥原益美さんとてもできないことで、沢山の方の協力をいただいて今日まで来られています。感謝の気持ちでいっぱいです。


保育をする上で気をつけていることはありますか。

保育は大好きですが、同時に命を預かる仕事でもあります。この仕事を始めてから、常にそういう緊張感をもちながらやっています。あとは、なんでも「自分で考える」ようにさせています。何かが起きた時、私は答えを出しませんし、教えません。「これはどうかな?」と考えさせる。そうすることで入園当時はあまり話さなかった子たちも積極的に手を挙げて意見を言うようになるんです。その時ばかりは「いじわるばあさん」(笑)に徹して見守るのが私の役割ですね。

幼稚園の今後について、考えていることはありますか。
園を大きくしようとか、一時期はそういう考えを持った時もありましたが、今はこのままでいいかなと思っています。少人数の方が性に合っているので(笑)。子供たちが卒園して「幼稚園生活が楽しかった」と言ってもらえるように、自分も楽しみながらやっていければいいと思っています。私個人としては、モットーとしている「子供の心のボールが投げられたらいつでもそのボールをキャッチできるように」を常に心がけて、いつまでも子供の心が解る先生でいたいと思っています。

最後に香港や広州で活躍する女性に向けてメッセージをお願いします。
皆さん頑張ってらっしゃる方が多くて、私の方が学ぶことが多いのですが。外国に来て忘れちゃいけないのは「住まわせてもらっている」という気持ちだと思うんです。日本とは違う国ですから、日常は信じられない事の連続だったりしますよね。でもその気持ちを忘れずにいれば、生活も仕事もおのずとうまくいくと思います。そして積極的に挨拶ですね。例えば、私も園児たちも、朝、地元のおじいちゃんやおばあちゃんなどに会ったら「早晨(おはよう)~!!」と積極的に元気に声をかけます。香港の人たちもちゃんと「早晨!早晨!」と返してくれます。コミュニケーションは人との縁のはじまりですから、大事にしてほしいです。

奥原 益美(おくはら ますみ)さん奥原益美さん
たんぽぽ幼稚園 園長
沖縄県出身。短大卒業後に地元の幼稚園数か所に勤務した後、たんぽぽ幼稚園に期間限定で勤務。一度沖縄に帰郷するが、数ヵ月後に再び来港し同幼稚園に勤務、2002年からは園長に就任。今でも担任と兼任して、現役で子供たちの保育に携わっている。

Pocket
LINEで送る