旬な人 配管工・アーティスト「Yim Chiu Tongさん」

2022/11/24

古希を過ぎてからの新たなキャリア
配管工・アーティスト Yim Chiu Tongさん

20代で配管工ビジネスをスタートさせてから50年以上経った現在も職人として現場に立つYim Chiu Tong(嚴照棠、以下イム)さん。まだ緩やかだった時代に香港中の路地裏で描いていた壁面広告が芸術的価値を見いだされ、数年前からアート作品として描いてほしいと依頼を受けるように。最近ではトラムのデザインを手掛けたり個展を開いたりするなど、アーティストとして一躍時の人となった。
温厚な人柄を表すように終始穏やかな表情でインタビューに応じるイムさん。配管工として、またアーティストとして、70歳を過ぎた今も現役で活躍する彼だが、これまで歩んできた道のりは決して平坦ではなかった――。

貧しい農家の少年は希望を求め香港へ
深圳の平湖で農家の子どもとして生まれたイムさん。家庭はとても貧しく文房具を買うことさえできなかった彼は、級友が捨てた短い鉛筆を拾い集め、それを繋ぎ合わせて使っていたという。15歳の青年となった頃、未だ続く貧しい暮らしに嫌気がさし、人生をこのままで終わらせたくないと故郷に別れを告げることを決意。1961年、希望を胸に抱き香港へとやってきた。

20代で始めたビジネスが経済発展の波に乗る
当時の香港は混沌期真っただ中。異国からやってきた若者でも職はあったが、与えられるのはハードな仕事ばかりで、その上賃金は低い。日給HKD6の生活からスタートし、飲茶レストランの店員や見習い修理工などとして寝る間を惜しんで働いたが、暮らしはなかなか安定しなかった。
日雇い仕事で食いつなぐ毎日を送っていたある日、仕事の休憩中にぼんやりと高層ビル群を眺めていると、突然あるアイディアが浮かんだ。「ビルには給排水パイプがたくさん繋がっている。オフィスの数だけ修理も必要だろう」。彼はここに商機を見出し、工業ビルの水まわりを修理する配管工としてのビジネスを開始。渠(広東語で配管工の意)としての頂上を目指すべく、社名は「渠王(クイウォン)」とした。
時は1960年代後半。香港経済は右肩上がりに成長し、特に製造業の勢いは目を見張るものだった。工業ビルを中心に顧客を増やした彼のビジネスも同じく鰻上りとなり、毎日修理依頼の電話が鳴るように。当初は固定電話で対応していたが、やがてポケベルに、そして携帯電話となってからは24時間対応し真夜中でも駆けつけた。
その後もますます経済成長を続ける香港。比例するように建物もどんどん高くなり、高所での作業を余儀なくされることも増えた。竹の足場を組んで作業することが一般的になるなか、イムさんはコストを抑えるため安全帯のみで修理することを続けてきた。また外壁の美観のため排水管は集めて設置されたり建物の内部に隠されたりするようになり作業はさらに複雑になったが、他の業者が嫌がるような仕事でも進んで引き受けたという。そうしてがむしゃらに働いた結果、4人の子どもたちを海外留学させることができるほど安定した生活を送れるようになった。

Instagram: @the.plumber.king

 

芸術家としての一歩を踏み出すきっかけ
配管工を始めた当初、彼を悩ませたのは、どのように集客するかということだった。まずは渠王を知ってもらわなければならない。特にコネもない彼は仕事内容と電話番号を書いたシンプルなチラシを作り、ビルの郵便受けに入れてまわった。しかしそのようなありきたりな広告では見向きもされない。捨てられた自分のチラシが散らばっているのを見て、この方法では駄目だと悟った。そこで次はステッカーを作り、貼ってまわることにした。これならば捨てられることはない。しかしこちらもそれほど宣伝効果は得られなかった。捨てられず、剥がされず、コストがかからず、それでいて多くの人の目にとまる効果的な方法…。思いついたのは壁面広告だった。
当時は街中の至るところにペンキで描かれた壁面広告が見られた時代。ライバルが溢れる中で、印象に残るデザインでなければならない。かといって絵画的要素が強すぎると情報が伝わらず本来の目的を見失う。そこで編み出したのが、彼独自の書体と、絶妙なバランス感覚のデザイン構図だった。
文字の縦ラインは揃え、横ラインは上げて止めるという独特の字形。全体のバランスを見て適度に文字を装飾し隙間を埋める。背景に応じてペンキの色は使い分けた。小学校で習字は習ったが、デザインの勉強などはしたことがない。グラフィックデザイナーの先駆けともいえる独自の広告デザインを作り出したのは、持って生まれた芸術センスだった。

芸術的価値を見出された壁面ペイント
やがて取り締まりが厳しくなりそのような壁面広告を描くことはできなくなったが、香港中の路地裏には彼の美しいペイントが数多く残された。これが近年、芸術を愛する人たちの目に留まり、アート作品として描いて欲しいと頼まれるように。当初は乗り気ではなかったが、求められるまま応じるうち次々と依頼が舞い込み、個展を開くほどにまでなった。
70歳を過ぎてからスタートさせたアーティストとしての新たなキャリア。2019年にはトラムのデザインを手掛けたほか、今年はK11 Art Mallで香港の有名アーティスト達と肩を並べ合同展を開催するなど、芸術家としての彼をサポートするパートナーとともに精力的に活動している。
イムさんのアトリエは雑居ビルの階段下にある倉庫のような極少スペース。残念ながら建物の老朽化により先日取り壊されることが決まったが、配管工の作業場として長年使用してきた場所だ。路上でこっそりと描いていたペイントは、いまやその筆先をキャンバスに移し、香港の人々を楽しませている。

Instagram: @the.plumber.king

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現役職人が描く今後の夢
子どもたちはすでに独立し、イギリスやオーストラリアなど海外へそれぞれ移住。彼自身もあとを追って域外へ出ることを考えたこともあったが、やはり香港という土地への愛着と配管工という仕事への誇りから、この地にとどまることを決意した。
アーティスト活動の傍ら、現在も毎日のように現場に駆けつけ配管工として現役で働くイムさん。高所の危険な仕事さえ未だに引き受けてくるため、奥さんにはよく怒られるそうだが、困っている人がいる限り断ることはできないという。最後にこれからの展望を尋ねると「健康な身体で、いつまでも仕事を続けていくのが私の夢だよ」と優しい眼差しで語ってくれた。

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※当記事は無断で建物等にペイントすることを推奨するものではありません。現在無断で公共物に落書きをした場合はHKD2,000の罰金または3ヶ月の禁固刑を科される可能性があります。

 



取材後記)油麻地のとある公園で取材を受けてくれたイムさん。この近辺には彼の”路上アート”が数多く残っている。未来の九龍皇帝との呼び声も高い彼の作品。路地裏をぜひ探してみていただきたい。

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向かって左から、取材に協力してくれた飯沼さん、
イムさん、アーティストとしての活動を支えるサニーさん

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