熱き深センの”草”サッカー 5

2018/01/02

ひざの痛みを克服した物語
今回のコラムは、現役で草サッカーする63歳のノンフィクションである。

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サッカーとの出会い
1966年、サッカーは日本において不人気の中学時代。1968年メキシコ五輪銅メダル日本代表、大会得点王の釜本邦茂氏は当時の筆者の英雄。その後低迷が続く日本サッカー、W杯は夢のまた夢。それでも代表の試合には可能な限り応援に駆けつけた。93年ドーハの悲劇を経て97年ジョホールバルの歓喜でW杯初出場、苦節30年の夢が叶った。その後連続本大会出場。現在もプレーを続ける筆者、今は感慨深げに日本代表を応援した50年余の歴史を思い浮かべている。

以上、どこが深センの草サッカーの話だとなるが、今回のコラムの重要なプロローグなのでお付き合い願う。

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9現役?引退
日本代表の応援と共に48歳までプレーした草サッカー、ヒザがぼろぼろになり生活にも影響。最後は香港で02年引退。日本代表はその後アジアの盟主となりつつあり02年、06年、10年とW杯に出場、02年深センに移住後も代表の応援は続けたが、「何か物足りない」、「なんだこの不完全燃焼は?」と自問した結果、「自分がプレーしないから」と気づく。そして11年57歳、深センでチームを結成したが、50代後半の10年弱のブランクは無情にも悲惨な肉体状態。筋体力は完全に衰え、技術も失し、まともに動けずボールも蹴れない時が3年続く。

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12 現役?復活
復活への要因、それは前回のコラムで紹介の元Jリーガー、14年深センでサッカースクール“TCF楽山塾”開校の楽山孝志氏指導の基礎トレーニングだ。 体幹を中心に太腿筋表裏、腸腰筋、腹筋、背筋、腕筋等身体のバランストレーニングを1年間、2年目からヒザの痛みはほぼ解消、動けるようになり走体力もつき、バランスを崩しての転倒も減り、少しは技術も蘇える。過去を振返る今、代表の応援と共に自身も現役(草サッカーだが)でプレーできる喜びに浸る。 願いは叶う当コラムの読者にお伝えしたい。体の衰えを克服するには、その強い気持ちを持ち続け、無理せずにトレーニングを継続する限り成就できると信じて欲しい。筆者はサッカー日本代表の応援と共に歩みたいというモチベーションであるが、養い守る家族、友人仲間、恋人、会社、自分、動機は何でもいいので挑戦して頂きたい。

生活習慣や食事の改善を伴えば更なる効果も期待できる。高血圧や糖尿病の成人病、関節炎や腰痛、四十肩、ストレス解消等の健康にも効果はある。筆者は日本とは異なる環境が要因で常にイラつき気味だったが、心の落ち着きで集中力が上昇、仕事への好影響も出ている。

エピローグ
海外生活はサッカーに限らずスポーツは必要。華南は高温多湿だが人間の体は徐々に順応すると実感した。最適環境を見つけて歩くだけもいい。年寄りの冷や水でもいい。何か行動を起こせば仲間も自然にできる。

当コラムは今回で完了である。最後に、華南で一緒にプレーしてくれる仲間、そして楽山氏に感謝の気持ちを贈る。

宮城 紀生

深セン在住15年のベテランコンサルタント
宮城 紀生
miyagi@waya.net.cn

 

 

 

 

WAYA

深セン華日(ワーヤ)コンサルティング
会計財務税務の実務、法律相談
深圳市福田区深南大道6021喜年中心A610

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