広東の特産品・銘菓 第3回 恵州・中山編

2016/09/12

「広東省の特産は?」と尋ねられることがある。なんとなく知っていても、改めて尋ねられると具体的な産地やエピソードまでは答えられないことも……。そこで、広東省各地の代表的な特産品や銘菓を数回に分けてご紹介。これを知っておけば、おみやげ選びにも役立ちそうだ!

恵州

梅菜 

梅菜  梅菜

「梅菜」は、カラシナ類の野菜で作られる広東省恵州・客家地区の伝統的な漬物食品。塩漬けにしたカラシナをさらに天日干しにし、幾つもの工程を経て作られる。梅菜という名称は広東省梅州で作られるからとか、漬けて発酵すると梅干しのような香りがするからなど諸説ある。恵州では「恵州貢菜」とも呼ばれる。高菜の漬物のようだが、より味が複雑で、調味料としていろいろな調理に使われる。特に肉との相性がよく、料理の味に深みとコクを与えてくれる。恵州梅菜の色合いは黄金色、味は甘みがありさっぱりとしている。梅菜で作られる代表的な料理には、「梅菜蒸猪肉」や「梅菜蒸牛肉」、「梅菜蒸鮮魚」などがある。「客家梅菜扣肉」は伝統的な客家料理で、梅菜と豚バラ肉を一緒に蒸し上げる。蘇軾が恵州に赴任してきた時に作らせたという伝説もある。

 

龍門話梅

話梅

恵州市龍門県南部の麻搾鎮は梅の産地として知られている。龍門麻搾の梅は大きくて色・形が良く、肉厚で種が小さい。各種ビタミンなどの栄養分を豊かに含む。「話梅」とは干し梅のことで、普通の梅干しよりも甘酸っぱい味付けとなる。梅干しをさらに乾燥させて作った乾燥梅菓子は中国が発祥だともいわれる。皆でおしゃべりする時のお茶菓子にすることが多いことから「話梅」と呼ばれるようになった。元々、長い時間話しをする説書先生(講談師)が口の渇きを防ぐために干し梅を口にしたといわれている。

 

中山

杏仁餅

杏仁餅

杏仁餅は広東省の銘菓で、緑豆餅が元になっている。主原材料は緑豆粉なのだが、かつて家庭で作られていた頃は外観が杏仁の形に似ていた。それでこの名前で呼ばれるようになったようだ。やがて店頭で売られるようになり、現在の丸い形になった。表面はサクサク、中は甘くて柔らかい。油っぽいがしつこくはなく、口の中で砕けて独特の風味を楽しめる。緑豆餅は90年以上の歴史をもつ。清・光緒末期、ある穏士(隠遁者)が緑豆粉と豚バラ肉などの原料で緑豆夾肉餅(緑豆肉サンド)を作り、節句の際の贈答品とした。当時の香山知県(県の長官)であった覃寿堃がそれを口にして、いたく気に入り、「歯頬留香」の四字を揮毫したといわれる。その後「咀香園餅家」が販売するようになって広まった。当時の杏仁餅は厳選した緑豆をすりつぶして粉状にし、さらに杏仁状の形にして、中に豚肉の甘煮を一欠片入れて焼いて作られた。1918年に営業登記が実施されるとともに、「咀香園杏仁餅家」の屋号で知られるようになった。

 

三郷茶果

茶果  茶果

「茶果」とは広東のある地域で食べられている点心の一種。元々は節句の際に特別に作られた供物だったが、現在では日常食となっている。茶果には三種類ある。①米粉と小豆餡タイプ、②餅米粉と干し大根と肉で作る蘿蔔糕タイプ、③豚肉とクワイまたは大根で作る餃子タイプ。味は甘辛両方ある。餅米の粉もしくは米の粉で皮を作り餡を包み、植物の葉が巻かれる。中山市三郷鎮の茶果は有名で「三郷茶果」と呼ばれている。茶果が名物になったのは、鄭氏族がこの地に移り住んできたことと関係がある。北宋時代、鄭氏族は福建から三郷へやってきた。やがて三郷の人々の間で福建スタイルのお茶文化が広まり、同時に、点心・茶果をお茶請けとして振る舞うようになった。三郷茶果には、白水餃、芋頭糕、蘿蔔糕、角仔、叶仔、豆撈などの種類がある。三郷茶果は新年や節句の際に親戚・友人への贈り物とされてきた。現在でもこの習慣が残っており、春節(旧正月)では豆撈と呼ばれる鍋を、旧暦三月三初日、七月節、中秋節などの節句では叶仔を供物として作り、皆で食べる。旧暦七月十一日から七月十四には各家庭で瀨粉(ビーフン)が作られる。重陽節には白水餃を作る風習がある。

 

 

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