メイド・イン・ホンコンで日本酒を造ったTomさん
もう20年以上も前になるだろうか。彼が若かりし頃に日本で出会った友人が香港を訪れたとある日だった。
街中を走るトヨタ製の自動車を見かける度に誇らしげな顔をする友人をよそに、彼は「自分も香港を誇れるブランドを創りたい」と、心の底で決心した。
彼とは、今回お話を聞いた勞健恒(Tom Lo)氏(以下 Tomさん)。
グラフィック・デザイナーとして活躍しながらも、心残りだった夢の実現に向けて思い切った舵取りをし、メイド・イン・ホンコンの酒米「山田錦」を栽培して日本酒を造った背景に迫った。
きっかけは、ふとした瞬間に舞い込んできた
30歳の時、長年に渡り従事してきたグラフィックデザイン、ブランディング、マーケティングの分野で自らの会社を設立。著名な企業のブランディングに携わりながらも、地元・香港を盛り上げるような心躍るブランディングに携わりたい。というもどかしさを日々感じていた。
その中で、30年弱の歴史を持つ大手青果店からコンサルティングの依頼が舞い込んだ。相談主は二代目の経営者で、従来の伝統的な経営方針ではなく、時代にそぐう新たな発想を取り入れたいというものだった。それをきっかけにTomさんは農業に関する調査を重ね、行き着いた答えが原点回帰とも言える「恵まれた香港の土壌を生かした農業の復興」だった。
コンセプトは魚稲共生
調査の詳細はと言うと、香港で作られている農作物は全体流通量の4%しかなく、仮に香港内の空いている畑を最大限に活用した場合、約200万人分の農作物が供給できること。香港で栽培可能な農産物は132~138種類あること。農業が産業にまで達していないこと。歴史を振り返ってみても重工業の街ではないので、土壌と水が汚染されていないことが分った。
それらを基に、①精養(代表的な物のみ選出)②高産値(価値ある物の大量生産)③有機系統(オーガニックの体系づくり)④低人力管理(少ない労力での管理)を課題に挙げ、水田づくりを研究する為に世界的にも長寿の郷として知られる「広西巴馬長寿村(広西省チワン族自治区巴馬)」へと飛んだ。
華南農業大学の教授や研究者の立ち合いの下、現地の水田を視察し、魚と稲が共存する自然な環境がオーガニックの体系づくりに繋がっていることが分かった。稲の周りをぐるっと水が囲むこの環境は人類誕生以前からある原風景で、中国やタイで同じような稲作が既に行われていた。しかしながら、大半が良質な米を育てる為の仕組みであって、それらを香港で展開し食用米を育てる場合、敷地面積やコスト、販売価格の折り合いが到底つかない。
そこでTomさんが考えたことが、食用米ではなく酒米を栽培し、それを用いた日本酒を造ることだった。思い立ったが吉日。2020年、自らの会社を売却し、新たに「香港酒造有限公司(YUEDO BREWERY LIMITED)」を設立し、本格的な日本酒づくりに着手する。
メイド・イン・ホンコンの酒米と発想が日本で花ひらく
新界にある錦田(Kam Tin)に畑を借り、早速、「山田錦」の栽培を開始したTomさんは、より香港らしさを強調した日本酒を造りたいと、香港の由来にもなっている沈香のエキスを日本酒にブレンドするという斬新な発案も。しかし、期待とは裏腹にメイド・イン・ホンコンの酒米と、沈香を日本酒に用いるという発想に否定的な醸造所が多かった。
知り合いのツテをたどり奔走した後、静岡にある「花の舞酒造」の協力が得られ、プロジェクト開始から1年半を要した2021年8月、晴れて香港産の「山田錦」を用いた日本酒「謙 HIM」と「可 HER」が誕生した。名前の背景は、開発段階で「謙 HIM」はドライな口当たりで男性の受けが良く、「可 HER」はフルーティーな香りで女性の受けが良かった為。「謙遜する」、「可憐」といった意味も含んでいる。発売から3週間で既に600本を販売する人気ぶり。ロゴの「香港酒造」の文字は、80歳になるTomさんのお義母さんによって描かれており、「昔から地元の香港で生きる香港人を強調したかった」と、隅々にまでTomさんの想いが込められている。
強い信念と行動力によって、自らの夢を実現したTomさん。取材日の前日も、降雨により変化した水田の水の酸性濃度を明け方まで確認していたそう。こんがりと焼けた肌で照れくさそうに笑う顔に疲労感はなく、どこか達成感に満ち溢れた誇らしげな表情だった。
香港産「山田錦」を使った「謙 HIM」と「可 HER」
香港酒造有限公司(YUEDO BREWERY LIMITED)
電話:(852)2456-0265
販売はオンラインのみ。www.yuedobrewery.com
無敵家でも取り扱い有り。
G/F., 9 Mercer St., Sheung Wan