【香港】歴史的建築めぐり一覧
香港には、伝統的な中国式廟から西洋文化を取り入れて建てられた機能的な建物など、さまざまな歴史的価値のある建造物が存在する。材料や用地などの建築様式は、信仰、伝統、文化により決定されてきた。
そして2009年3月、価値ある1,444戸の歴史建築物には、書類、現地調査を含む細かい手引きのもと綿密に査定が行われ、その建築物に等級(グレード)が割り当てられたのである。等級の定義は、政府の機関であるAAB(古物諮詢委員会:Antiquities Advisory Board)とAMO(古物古蹟事務所:Antiquities and MonumentsOffice)によって決定した以下のもの。この定義をもとに香港の街中にあふれる建築物を訪れてみよう。
1992年に建てられた公立の産科医院。職員の宿舎なども完備されていたこの建物は3階建てで、第3級歴史建造物に指定されている。1934年に政府に返還されるまでの間、香港大学医学部の産婦人科病棟として使用されていた時期もあるが、香港で初めて女性の医師が勤務し助産師の養成に尽力するなど、常に産婦人科医院として市民に頼られる存在であった。戦後、病院としての機能を全て病院道に移管した後はコミュニティーセンターとしての役割を担うこととなり、最終的に1973年、現在の名称であるWestern District Community Centreと改名され、今に至る。
昔も今も変わらず市民に愛されて続けるレンガ造りの建物は、今日も誇らしげに西環の街に建っている。
❶香港歴史的一級建築物(Grade 1)可能な限り保存するため全力を注ぐべき優れた価値のある建築物。
❷香港歴史的二級建築物(Grade 2):精選的に保存すべき特別な建築物。
❸香港歴史的三級建築物(Grade 3):保存が実行できなければ何らかの望ましい形にして保存するという選択可能な建築物。
役割を変え今もなお活躍する
コロニアル建築
旧賛育產科醫院 Old Tsan Yuk Maternity Hospital
1992年に建てられた公立の産科医院。職員の宿舎なども完備されていたこの建物は3階建てで、第3級歴史建造物に指定されている。1934年に政府に返還されるまでの間、香港大学医学部の産婦人科病棟として使用されていた時期もあるが、香港で初めて女性の医師が勤務し助産師の養成に尽力するなど、常に産婦人科医院として市民に頼られる存在であった。戦後、病院としての機能を全て病院道に移管した後はコミュニティーセンターとしての役割を担うこととなり、最終的に1973年、現在の名称であるWesternDistrict Community Centreと改名され、今に至る。
昔も今も変わらず市民に愛されて続けるレンガ造りの建物は、今日も誇らしげに西環の街に建っている。
住所:36A Western St.,
電話:(852)2119-5001
Hong Kong Historical Architecture
保存・修復・再建築…
歴史的建築物の行方は?
新旧が混在する香港では、高層ビルの間を歩いていても歴史を感じる建物にばったり出会うことがある。この歴史的価値ある建造物は、私達の街の発展のため、どのような価値を生み出してくれるのだろうか。
発達する香港社会の中で、私達はより豊かな生活を熱望してきた。以前は、古い建物を壊して新しいビルを建てよう、という動きが見られた香港だが、昨今は市民の反対もあり、古い建物を維持する動きが活発になっている。そして2008年、香港政府は、「歷史建築パートナー計画」を発表したのである。それは、香港の歴史的建築物を保護するための一策であり、価値ある建物を保存すると共に革新的な建物に生まれ変わらせるためのもの。11億香港ドルという莫大な予算を投じ、現段階では第四計画まで立案されている。
この計画に伴い香港政府は、主に政府が保有する建物を利用し、再生を目的とした歴史的建築物を選定する過程に関しては、非営利団体(NPO)が招かれた。社会的事業という形でビジネスやサービスを供給するためこれらの建物を使用する申込書の提出を行うにあたり、NPO団体には、歴史的な建物を保存した上でその歴史的な意味を有効的にするにはどのようにしたらよいかより細かい計画が要求された。そしてその計画は、諮問委員会により評価される。「再生」に関しては、保存、定期点検、修復、再建築、再利用という建築物を保存する以下の5つの方法がある。
■保存
・建物の機能と同様に本来の状態を保持
・老朽化を遅延
例:香港天文台(建物を保存し且つオフィスとして使用)
■定期点検
・建物の外観と構造の点検例:香港大学本部大樓(良い状態が保持され法定古墳に定められている)
■修復
・構成を加えたり、現存する構成にアレンジを加えたりすることにより本来の状態に修復
例:香港歷史博物館(タイルを修復)
■再建築
・修復とは異なり、まるごと新しい構成と材料で再建。
例:美利樓(Murray House)。香港が再建築を行う中でも最も早い時期に建てられた建築物の1つ。以前は、中国銀行タワーのある場所に位置していたが、1990年に現在のスタンレーに再建築された。かつて利用されていた3000枚ほどのタイルは、全てに番号がふられ再び使用。
■再利用
・建物の構造を変更し、社会機能を持つ建物へ利用。
・建物の価値を保ったまま、現代的に生まれ変わらせ新しい命を吹き込む。
例:油麻地劇場。1925年~1931年の間に作られた九龍地区最大の劇場は、戦前に建てられた唯一の劇場。現在は広東オペラ劇場として2012年から再利用されている。
同計画は、人口の流入や収益に関係なく歴史的な価値と社会の利益を反響する建物かどうかに焦点をあてた計画である。香港を訪れる人々にとって、この街が魅力のある街だと感じてもらえるよう、私達が率先して紹介していくべきものがこの「歴史的建築物」なのではないだろうか。
騎楼 老朽化、再開発で消え行く「中国式アーケード」
騎馬の脚、或は竹馬のような柱で支えられている姿からこう呼ばれるのだろう。「騎楼(ケイラウ)」とは、華南から東南アジア一帯で広まった住宅兼商業建築様式で、建物の2階部分が道路際まで張り出しており、その下がアーケードになっている建築のことをいう。
「私」である建物が「公」の空間を連続的に提供しているために、半公共的なコミュニティ空間が存在し、その空間が暑い日差しや雨を遮る役割も担っている。
「脚」の部分には店舗や会社の名称などが感じで大きく書かれ、その下を人々が賑やかに往来している様子は、香港の古い写真資料等でよく目にする光景だ。商売をする側にも通行人にも便利なため、この香港でも急速に広がり19世紀末から20世紀初頭にかけて騎楼建築は最盛期を迎えた。英国植民地時代の初期から栄えた上環や西営盤、そして深水捗などに多く建築された。
しかし第二次世界大戦後、香港の人口の急速に増加によって、騎楼様式の建築では人々を収容しきれなくなり、香港は深刻な住宅不足問題を抱えることとなった。これに対応すべく当時の香港政庁は、より効率的で現代的な公共住宅団地を造成し、流入して来た人たちに住居を提供した。それ以降、騎楼建築はほとんど建てられなくなり、今では貴重な建築様式となっている。しかし、特に歴史的な由緒もなく老朽化した騎楼は、人知れず取り壊され、消え去る運命にある。そんな中で比較的多くその姿を見る事ができる地域は深水捗、旺角、太子などである。
〝東洋の貴婦人〞と称され、
ホスピタリティーがたっぷり味わえるホテル 香港半島酒店The Peninsula Hong Kong
コロニアルスタイルの堂々とした建物は、1928年12月にユダヤ系イラク人のカドーリ家の2人の兄弟によって創業され、九龍側、ヴィクトリアハーバーに面した一等地に位置し、香港で最も長い歴史をもつ格式ある老舗高級ホテルだ。伝統と格式の高さは群を抜き、宿泊客の顔ぶれも超セレブで各国大統領や映画スターなど。一度は宿泊してみたいホテルだ。しかし、宿泊しなくても優雅で壮麗な雰囲気を味わうことができる空間は多々ある。ホテル各所に展示したオリエンタルな趣の調度品がシンプルな中にしっとりとエレガントな雰囲気をかもし出している。
歴史を遡ると第二次世界大戦中は日本軍に占領され、名前を「東亜ホテル」に変更したこともあるそうだ。銀幕のスターのクラーク・ゲーブル氏から直伝されたスクリュー・ドライバーを今もシニアバーテンダー、ジョニー・チャン氏が作り1階のザ・バーで味わえる。有名なアフタヌーンティーは、G/Fにあるザ・ロビーの空間で、BGMは生演奏が楽しめる。予約はできない(宿泊ゲストは優先的に案内されます)ため、いつも長陀の列ができている。あこがれの三段重ねのお皿がのるティースタンドや銀製品は全てティファニー製!優雅で有名なアフタヌーンティもぜひ楽しみたい。
住所:Salisbury Rd., TST
電話:(852)2926-2888
ウェブ:http://hongkong.peninsula.com/
美しさに魅了され、
夢のような生活を思い描く・・・景賢里 King Yin Lei
1937年に建てられた香港に残された数少ない三合院式の建物だ。1977年にドライフルーツ販売で財を成した大富豪、邱子文氏が購入後、「景賢里」と命名。華洋折衷の美しい外観から、映画やドラマの撮影にも使用された。2階のバルコニーからの眺望は贅沢そのものだ。
邱氏の死後、遺族が売却し、買い取った中国本土の投資家が、新築のために取り壊しを開始。しかし、歴史的価値の高い建造物で、取り壊し反対が起こり、2008年7月に歴史的文化財に認定され、取り壊しは中止された。その後、修復の手が加わり2010年末に完了した。
景賢里は一般公開はしていないが、不定期で数年に一度のペースで公開されている。今年に限っては7月から11月にかけて数回公開された。
一見の価値は大いにある。次回の公開日をチェックして、是非一度は訪れてみたい建物だ。
住所:45 Stubbs Rd., Mid-Levels, Hong Kong
交差点で一際目立つ
丸みを帯びた騎楼建築 雷生春堂 Lui Seng Chun
雷生春は九龍バス(KMB)の創設者の一人である雷氏によって1931年に建てられた。建てられた当時、1階は薬局として、上階は居住部屋として使われたが60年代になると家族が増えたことから一族は相次いで転出し、70年代には住居として使われなくなった。その後、ビルの老朽化が進み、2000年に一級歴史建築に認定されたのをきっかけに所有者が香港特区政府に寄贈し、04年から修復作業は始まり、2012年4月、「香港浸会大学中医薬学院ー雷生春堂」として生まれ変わった。館内には漢方医が常駐する診療所があり、G/Fのロビーには香港浸会大学中医薬学院が処方した涼茶を販売している。見学ツアーや漢方医の診察ともに要予約が必要で、詳細は公式サイトおよびパンフレットを参照のこと。
住所:119 Lai Chi Kok Rd., Mok Kok
電話:(852)3411-0628
ウェブ:http://scm.hkbu.edu.hk/lsc/tc/index.html
柔らかな曲線を持つ建物自体が「アート」
蘇った冷蔵倉庫は風格漂う空間に 舊牛奶公司寫字樓 Fringe Club
可愛いレンガ造りの建物は、一級歴史建造物に認定されており、初期のイギリス・コロニアルスタイルで1892年に乳業会社の冷蔵倉庫として建てられたものだ。冷蔵庫が一般家庭に普及する前の時代、中環(セントラル)近辺及びピークの住宅へ氷と乳製品を供給していた。70年代初めに乳業会社が立ち退き、廃屋化していたが、1982年に建物北棟に外国人記者クラブが入り、1984年には南棟にフリンジ・クラブ(藝穂會)が入り、数回に及ぶ改修工事を経て、古い倉庫はアート空間へと生まれ変わった。G/Fにはザ・エコノミスト・ギャラリー(The Economist Gallery)という外国のアーティストの写真や絵画作品など展示しているアート・ギャラリーがある。さらに南隣りの「FringeDairy」は約70席を擁するライヴスペースになっており、主に週末開催の音楽ライブでは、ジャズやブルース、ロックや、複数バンドのジャムナイト等、ライブパフォーマンスを楽しめる。日本人バンドがここで演奏することも。普通のライブハウスと大きく違うのは、天井から床まで、乳業会社として使われていた当時の内装を最大限に残しつつ活用している点だろう。ドアや階段にも往時の温もりと懐かしさが感じられ、特にジャズやブルースを楽しむには香港内でも最高の雰囲気を持った空間と言える。こうして蘇ったフリンジ・クラブはありとあらゆるアートシーンに向けて「香港の今」を発信している。アートだけではなく、普段使いができるカジュアルながらも落ち着いたカフェやバーでゆっくりとした時間を過ごすこともできる。すぐお隣にありながら蘭桂坊の「バカ騒ぎ」の喧騒とは一線を画し、ノスタルジックな本物の風格が感じられるフリンジ・クラブをぜひ訪れてみては。
住所:2 Lower Albert Rd., Central
電話:(852)2521-7251
営業時間:12:00~(施設によって異なる)
休業日:日曜日
ウェブ:http://www.hkfringeclub.com
女性によって女性のために建てられた宿泊施設 梅夫人婦女會 The Helena May
現在は会員制倶楽部となり、宿泊施設としてだけでなく結婚式やパーティなど社交の場としても利用されているこの建物は、当時の香港総督婦人ヘレナ・メイが女性の社会進出を願い働く女性のために開設した宿舎であった。1914年に建設され、1916年正式にオープン。各々の個室のほかに図書室や読書室なども備えていた。内装もその外見と同様、美しさと可憐さを兼ね備えた白を基調としており、女性であれば一度は足を踏み入れたくなる空間だ。
現在は男性でも準会員として入会が可能になっており、一般開放日やバザーなど、誰でも訪問できる日も設けているので、詳しくはホームページをチェック。
住所:35 Garden Rd., Central
電話:(852)2522-6766
ウェブ:http://www.helenamay.com
歴史を感じる空間でショッピングを楽しむ 畢打行 Pedder Building
1923年に建設された9階建てのビルで、この周辺では唯一戦火を免れたという歴史的価値も高い建造物である。1981年に香港二級歴史建築に指定されている。以前は香港発のファッション、インテリアブランドとして有名な「上海灘」がグランドフロアと地下には入っていたため、「上海灘のビル」として記憶されている方も多いのでは。
ビルの前に立つと迎えてくれるのは二頭の獅子。入口の手すりや、彫刻により装飾された柱は実に重厚な雰囲気を醸し出す。階段をあがり中へ入ると高い天井のアーケードになっており、ふと自分がヨーロッパにでもいるような気分にさせてくれる。
新古典主義様式という、当時の典型的な商業施設のつくりの建物でありながら、その佇まいは不思議と周りのビルに溶け込んでおり、休日にはショッピングを楽しむ多くの人で賑わう。90年を越える歴史を持つとは思えぬほどの「現役感」だ。
住所:12 Pedder St., Central
香港の中心で歴史を見つめて来た
かつての立法會ビル 旧香港立法會ビルOld Supreme Court Building
1912年竣工の歴史建築。最高法院としての役割を経て、その後2011年までは立法評議会の議事堂として利用されていた。また、日本統治の際には、香港兵隊本部として使われていたという歴史をもつ。現在は、香港終審法院がこの建物を利用している。1980年に香港の一級歷史建築、1984年に法定古蹟に指定された。
建物はイギリスのバッキンガム宮殿の建設にも携わったイギリスの建築家アストン・ウェッブとイングレス・ベルにより設計された。屋根には正義の象徴として、右手に公正を表す天秤、左手に権力を表す剣を持ったテミス像が立っている。すぐ脇を行き交うトラムとの構図はとても趣のある風景だが、ライトアップされる夜の姿もまた美しい。
住所:8 Jackson Rd.,Central
時代を感じる建物で、
現代アートを楽しむ牛棚芸術村 Cattle Depot Artist Village
馬頭角(マータウコック)に「牛棚芸術村」という建物がある。現在は、芸術家たちがワークショップの開催やスタジオとして使用しており、様々な情報を発信する場となっているが、建設当初の1908年から1999年までは家畜検疫場として使用されていた。1.7ヘクタールもある広大な敷地には、西洋建築の要素を取り入れた赤レンガの建物が5棟並んでおり、当時の面影をそのままに残している。第一次世界大戦前の建造物として歴史的な価値も高く、2009年からは香港政府によって「第二級歴史建築」に指定されている。毎年、ブックフェアなどのイベントも開催されているため、カメラ片手に足を伸ばしてみるのも面白いだろう。
住所:63 Ma Tau Kok Rd.,Kowloon
時間:10:00~22:00
言わずと知れた、
香港の超名門大学 香港大学 University of Hong Kong
香港島・薄扶林に本部を置く香港の公立大学。1911年に創立された香港最古の大学で、その敷地の中には講堂をはじめ、時計台や音楽図書館といった歴史的建造物が点在している。
正門入り口から入り階段を登るとすぐ左側に建つ建物は、香港で最も歴史の古い博物館である「香港大学博物館」だ。建物の入り口には「馮平山楼」という1953年創立当時の名前の看板がそのまま残る。中には新石器時代から清の時代までの青銅器や磁器、絵画などが展示されており、入場は無料。
隣に建つ「除展堂楼」の2階にあるティーサロンでは、落ち着いた空間で、様々な種類の中国茶を楽しむことができる。
住所:The University of Hong Kong,Pok Fu Lam
ウェブ:http://www.hku.hk
場所を変えても
なおその美しい姿を残す西洋建築 美利樓 Murray House
1846年、もともとイギリス軍将校の住居として中環(セントラル)に建てられたが、戦後は香港政府に譲り渡され、役所として使用されていた。日本統治時代には日本皇軍憲兵の総本部としても使われていたこともある。その後、老朽化によって一度は解体されるが最も歴史的に古い建物の一つであり、その歴史的価値は認識されていたため、石材などの資材は一つ一つに番号を付けて記録し、大事に保管されていた。そして、その姿を後世に伝えるべく2000年、保管されていた資材を使って赤柱(スタンレー)に当時の姿のまま再建された。
海辺に立つコロニアル建築による3階建ての美しい洋館は、現在、商業施設として生まれ変わっており、スタンレーのランドマーク的存在になっている。
住所:Murray House, Stanley Plaza, Stanley
生活感漂う一級歴史建築物
名前は見ての通り!藍屋 Blue House
再開発が進む湾仔(ワンチャイ)地区の山側に、ひときわ鮮やかなブルーの低層ビルが建っている。藍屋(ブルーハウス)だ。1920年に建築されたバルコニー付きの唐楼は現在“一級歴史建築物”に指定されている。かつて建物の老朽化に伴い、香港政庁によって色を塗り替えることになった際、たまたま倉庫にあったペンキが当時水務署で使っていた青色のみで、その青ペンキで塗り替えられたことから、“藍屋”と呼ばれるようになった。上階は、現在でも住人が生活している。G/Fには、「湾仔民間生活館」という、古き良き香港の生活を伝えるミニ博物館があり、地域の人々が実際に生活の中で使ってきたものばかりが展示されている。95年間この地で香港の移り変わりを見てきたこの場所で、往時にタイムスリップができるかも・・・!?
住所:72 Stone Nullah Lane,Wan Chai
電話:(852)2835-4376
時間:13:00~17:00
毎週水曜及び祝祭日 定休
歴史と現代が融合する
複合施設 尖沙咀前水警總部 1881 Heritage
高級ブランドショップがずらりと並ぶ広東道の最も海よりに位置する、1881 Heritage。かつて水上警察が置かれた小高い静かな丘は、現在ショッピングモールやホテル、レストラン群として連日多くの観光客で賑わう。
構成される5つの歴史的建造物は、1880年代初頭に、ヴィクトリア・コロニアル調と新古典派を組み合わせた設計で建築された。なかでも中央にそびえる「香港警隊前水警総部(水上警察署)」は、1884年から1996年まで100年以上の長期に渡り使用されていたもので、1994年には香港の建築物文化遺産として政府に認定されている。噴水や季節ごとに変わるオブジェも楽しむことができ、ウエディングの撮影場所としても人気がある。
住所:2A Canton Rd.,TST
電話:(852)2926-8000
Observatoryの
アプリでお馴染み 香港天文台 Hong Kong Observatory
香港天文台は1883年に第9代香港総督ジョージ・ファーガソン・ボーウェン卿により九龍サイドの尖沙咀(チムサーチョイ)に設置された。現在その役割は、天文のほかに気象・気候・地震・海洋や放射能測定、時報など多岐にわたり、その業務の範囲は日本の気象庁、国立天文台、情報通信研究機構などの業務をミックスしたものに匹敵する。天気予報および香港各報道機関への天気予報配信等の業務も行っているので、「香港気象台」というイメージが強い。香港の公式な気温や湿度などは、この香港天文台の敷地内で観測された数値かと思いきや、旺角(モンコック)のキングスパークで観測されたデータだという。
香港天文台の建物も歴史的建造物だが、普段は一般に公開されていない。しかし、年に1度3月23日の「世界気象デー」を記念して開放される。気象、地震などを観測する器材等も展示されている。開放日は世界気象デーの直近の週末なので、その年によって異なる。香港天文台ウェブでチェックしよう。
住所:134A Nathan Rd.,Kowloon
電話:(852)2926-8200
ウェブ:http://www.hko.gov.hk
一度は泊まってみたい!
白亜のコロニアル建築が眩しいヘリテージホテル
Tai O Heritage Hotel 大澳文物酒店
1902年から100年にわたって大澳警察署、哨戒所として使われたコロニアル建築が改修され、2012年からヘリテージ・ホテルとして利用されている。警察署時代の事務室や食堂、当直室など、大小全9室が改装され客室となっている。バルコニーからの海に沈む夕日の眺めは最高だとか。ぜひ宿泊してみたいものだ。小ぢんまりとしたレストラン・カフェ「Tai O Lookout」は一般客も利用できる(PPW543号「癒し特集」でも紹介)。
Tai O Heritage Hotel
住所: Shek Tsai Po St., Tai O
電話:(852)2985-8383
ウェブ:www.taioheritagehotel.com
港の安全を守り続けたシグナルタワー
訊號山公園
香港で尖沙咀や九龍などの大規模埋め立てが始まる前、かつて岬だった場所「シグナルヒル(訊號山)」を知っている人はどれほどいるだろうか。ブラックヘッドポイント、尖沙咀ポイントとも呼ばれた岬は、現在は小さい丘が残り公園として市民の憩いの場へ生まれ変わった。
そこは香港でかつて台風シグナルを発信していた場所だった。ヴィクトリアハーバーの中間に位置しその周辺では1番高い丘であったこの場所に、レンガ作りのシグナルタワーが建てられたのは1907年のことだった。それまで港の船に正確な時間を知らせるタイムボール(時球)は香港警隊前水警総部の近く(現在の1881Heritage)にあった。タイムボールは1908年1月~1933年6月まで香港天文台により運営され、1908年~1920年までは1日に1回、1933年までは1日に2回ボールを落として時間を知らせていた。海洋クロノメーターをチェックするために用いられた同方法は、無線と電話技術の発達により時代遅れとなり幕を閉じたのである。
そして、その後は公園となりシグナルヒルガーデンが1980年にオープン。シグナルタワーは1981年に香港二級歴史建築に指定され、2009年には香港一級歴史建築に登録された。尖沙咀にあるとは思えないほど静かな公園であり、埋め立てにより昔の眺めは変わってしまったが残されたシグナルタワーが昔を今に伝える。
訊號山公園
住所:11 Middle Rd., TST
PMQ 元創方
個性が光るアートショップが勢ぞろい!
香港のアート好きの間で、今最もホットなスポットと言っても過言ではないのが元警察宿舎を改装してできた「PMQ」だ。若手デザイナーによるアクセサリーショップや雑貨店、雰囲気の良いカフェなどそれぞれの部屋が個性的で、眺めながら歩くだけでも楽しい。日本の最も有名な芸術賞、グッドデザイン賞を運営する日本デザイン振興会による初のオフィシャルショップ「GOOD DESIGN STORE」もあり、ここでは過去の受賞作のなかでも選りすぐりの製品を購入することができる。小瓶に入ったペンキや塗り筆などちょっとしたお洒落なDIY用品が手に入る、香港では珍しいペイントショップ「513 Paint Shop」や、懐かしい玩具や香港文化をモチーフにした雑貨を販売する「mall852.com」などもユニーク。また「SEE Through Craftsmen」では、香港の伝統工芸を明日へ伝えようと、一度引退した職人が実際に店内で作業しその商品を販売している。昔、一般的に使われていたブリキの郵便受けを作る老人や、桶職人などの作業工程は見ていて飽きない。
PMQ 元創方
住所:No.35 Aberdeen St., Central
ウェブ:http://www.pmq.org.hk
Cattle Depot Artist Village牛棚藝術村
歴史を感じながら地元芸術家によるアートを堪能
以前カイタック(啓徳)空港があった場所にほど近いマータウコック(馬頭角)には、1908年から1999年まで家畜検疫所として使われていた建物が残る。そこは2001年に香港の芸術家たちにより修復され芸術村へと生まれ変わった。1.7ヘクタールの敷地には飼料小屋、事務所、3棟の家畜小屋などがあり大変広いものであった。当時の名残を残す独特な雰囲気の芸術村には、現在は20ほどのアートグループがあり、芸術家のアトリエ、イベントが行われる小さな会場も用意された。外観の赤レンガはまさに当時のまま、牛をつないでいた鉄製リング、水飲み場なども残っている。また一歩中に入ると、現代のアートを感じることができ、新しい感覚で芸術を楽しむ事ができるだろう。近くにはMTRの駅が無いため、バスかフェリーで訪れると良い。
Cattle Depot Artist Village
牛棚藝術村
住所:63 Ma Tau Kok Rd., Ma Tau Kok
時間:10:00~22:00
旧賛育医院
Old Tsan Yuk Maternity Hospital
1922年にTsanYukMaternityHospita(l舊贊育醫院)として建設され、1926年には香港大学の医学部、産婦人科の建物として使用された。1929年には本来の用途に戻されたが、1934年に政府に返還された。戦後は病院としての機能はHospitalRoad(醫院道)に移され、1973年からはWesternDistrictCommunityCentre(西區社區中心)として使用されている。1922年に開院した際、香港で初となる外人の女性医師が採用された。彼女はいち早く、香港での助産師の必要性に気づき、助産師養成に力を尽くした。そして産婦人科も提供する公立病院として、一般市民にとっては重宝されていた。英国コロニアル式の建物は3階建て、1,100平米の広さがある。第3級歴史建造物に指定されている。
旧賛育医院 Old Tsan Yuk Maternity Hospital
■住所:36A Western St.
西營盤社區綜合大楼
Sai Ying Pun Community Complex
現在は18のアーチ型のベランダ、花崗岩の正面部分しか残っていないこの建物で、1892年にCivilHospita(l西営盤医院)に勤務する、外国人看護師の宿舎として建てられた。かつては軍隊が、戦後、精神病院として使用していたが、1971年に空きビルとなる。2度にわたる火災により、屋根と内部のほとんどが損傷、正面の建物以外、取り壊された。取り壊しの際に出た煙突はスタンレーにあるMurrayHouse(美利樓)へ移築され、レンガはMuseumofCoastalDefence(香港海防博物館)にある砲台の修復に使用された。保存された建物に、新しいビルを建設、2001年にコミュニティーセンターとして再生した。
1970年代、空きビルとなってから、「高街鬼屋(ハイストリートのお化け屋敷)」と呼ばれるようになった。女性の鳴き声や不思議な足音、火に包まれる男性、首を切り落とされた幽霊などの怪奇現象の噂があるそうだ。
營盤社區綜合大楼
Sai Ying Pun Community Complex
■住所:2 High St.
香港の公衆浴場
Public bathroom
第二街と西邊街の交差点にあるピンクの古い建物。外観からは何の建物かよく分からないが、実は公衆浴場。浴場とはいってもシャワーのみで、浴槽はない。
その昔、香港には風呂とトイレが付いている住宅がほとんどなかった。1920年代に疫病が西環で発生し、イギリス政府が公衆衛生の重要性に気づき、公衆浴場の建設を決定した。建設当初は公衆浴場脇の地下に花崗岩の壁でできた公衆トイレもあったが、1994年に取り壊された。残された公衆浴場では今でも仕事帰りにシャワーを浴びて行く人がいるそうだ。
ここでは石鹸は置いてあるが、それ以外の物は自分で持ち込む必要がある。普段、シャワーは水しか出ないが、11月から翌年4月の間、気温が20度以下になるとお湯が供給される。しかし連続3日間、朝7時の気温が25度超えるとまた水に戻る。
香港の公衆浴場 Public bathroom
■住所:Second St.
英皇書院
King’s College
香港で優秀な学校として知られるKing’sCollegeは、卒業生には著名人も多い。
保護建造物に指定されているこの建物は、1923年から3年をかけて建設された。噴水のある中庭を赤レンガの建物が囲んでいる。正面玄関は円形のポーチ、イオニア式の柱が施されている。学校として建設されたものの、これまで他の用途に使用された歴史がある。落成3か月後の1927年にはBritishShanghaiDefenceForce(英国上海防衛隊)に徴発。1928年3月5日に正式にクレメンティ総督により開校された。
40年代、戦火により建物は大きな損傷を受けたため、戦後大規模な改築・拡張工事が行われ、1950年に学校が再開された。2011年に保護建造物に指定されている。
英皇書院
King’s College
■住所:63A Bonham St.
アジアの頭脳
香港大学
香港大学は1911年創立の香港初の大学だ。歴史があるだけでなく、2013および14年度のQS世界大学ランキングで26位、アジアでは2位と大変優秀な学校でもあり、卒業生には孫中山(孫文)などがいる。また香港政府の役人のうち、何と8割は同大学卒だという。
香港大学
■住所:Pok Fu Lam
香港イチの歴史をもつ美術博物館「馮平山樓」
般咸道(ボンハムロード)沿いの香港大学正門横に位置する建物「馮平山樓(フンピンシャンビル)」。80年以上の歴史を持つ建築物で、第一級歴史建造物に指定されている。
東亜銀行の共同設立者である寄贈者の名前が付けられたこの3階建ての建物は、1932年に中国書籍を貯蔵する図書館として建てられた。1階部分は石造、2~3階は赤レンガの壁に飾り柱が規則正しく並んでおり、西洋建築の影響を大きく受けていることを伺わせる。またその内部も素晴らしく、外観とは異なり中国の文化を色濃く感じることができる。
1953年、貯蔵されていた中国書籍は大学の図書館(現在の馮平山図書館)へ全て移され、馮平山樓は中国芸術と考古学の博物館に改装された。後に「美術博物館」と名前を変え、香港で最も歴史のある博物館となった。
館内には新石器から清朝時代までの骨董品、陶磁器、絵画、銅製品などといった貴重な美術品から、かつて実際に使われていたベッドや椅子など歴史ある家具が展示されており、一般向けに無料で開放されている。また特別展示のイベントも定期的に行っているので、時期によって違う展示を見ることができるのも嬉しい。展示品もさることながら建物自体も歴史を感じられる貴重なものなので、ぜひ一度足を運んでみてはいかがだろう。
開館時間:月~土9:30~18:00、日13:00~18:00
閉館日:祝日、大学の休暇期間
Vniversity!?
名門大学がまさかの凡ミス!?
「鄧志昂中文学院」入り口の牌坊に掛けられている「VniversityofHongKong」。Universityの頭文字「U」が、なぜか「V」になっている。香港のトップ大学でこんな間違いはありえない!という人もいるだろう。一説には、直しても直しても次の日はやはり「V」に戻るので、大学側もしょうがなく諦めたという。ちょうどその門の正面にある英皇書院では生徒が転倒・死亡する事件が起き、「このV文字のせいではないか」といわれたらしい。結局、英皇書院の方は大学に面する教室に、魔除けの神様・鍾馗の画像を貼り、それ以来平安無事であり続けたということだ。
1850年代へタイムスリップできる客家の城壁村「山下囲」(別名:曾大屋)
元朗(ユンロン)にある客家の城壁村「錦田吉慶圍」よりも保存状態が良好で、あまり知られておらず、比較的、観光客が少ない観光スポット「山下囲(別名:曾大屋・客家の城壁村)」。1850年代に石工業で財を成した客家の曾一族が建てた城で、時が過ぎた現在では軒には草が生え、石積みや青煉瓦の壁は灰色に変色してはいるものの大部分が残っており、当時の歴史を感じることができる。現在も住居として使用されているので、見学する際は通り過ぎる住民に挨拶をしよう。
城壁内に入ると、礼拝所や洗濯物が干してあったり、現在の生活感と歴史感が入り混じった不思議な雰囲気に包まれる。城壁は3階分の高さを有し、壁面の1階部分には白壁が用いられ、2階部分は青煉瓦、2階と3階の間に軒があり、3階部分には石と青煉瓦という造りになっている。外敵から一族の生活を守ったまさに城壁である。また、壁の最上部分には、客家人の昔の生活風景を映し出した壁画が描かれてあり、ついつい見入ってしまう。
最寄り駅は車公廟(チャークンテンプル)駅と沙田圍(シャーティンワイ)駅だが、沙田(シャーティン)の新城市広場から城門河の橋を徒歩で渡って行ける距離なので、散歩コースにもぜひおススメしたいスポット。
山下囲
住所:Sha Kok St., Sha Tin
歴史に翻弄され続ける建物
今は不思議なスーパーマーケット 旧赤柱警察署 Old Stanley Police Station
1859年、香港の開港初期に建設された旧赤柱警察署(赤柱:スタンレー)は、150年以上の歴史を有しており、1983年には歴史的価値の認定を受けている。イギリスが植民地時代最初期の1840年代、スタンレー近海には海賊が多数出没していたため、政府が治安維持を目的に軍隊を派遣したことが警察署の始まりだと言われている。第二次世界大戦中、一時的に日本軍が占領したものの、戦後は1974年まで警察署として使われていた。その後、建物の老朽化に伴う修復作業が行われ、1990年以降は民間企業がテナントとして入っている。かつてレストランとして使われていたこともあるが、現在はローカルのスーパーマーケット「Wellcome」の店舗となっている。売っているものは一般のWellcomeと変わりないが、ニス引きの床や石の階段なども含め建物内部の間取りを往時そのままに使っているので、スーパーマーケットとしては、少々不便。しかしながら、古い博物館のような不思議な空間で、他では味わえないお買い物ができる。
歴史的に価値がある当建造物の保存方法については、国内でも様々な意見があるため、香港政府の今後の動きも注視していきたい。
住所:88 Stanley Village Rd.,Stanley
舊上環街市(西港城)
Western Market,Sheung Wan(1906)
1906年に2階建ての政府機関として建てられたウェスタンマーケット。そのレンガ作りの美しい建築様式は、エドワード式といわれビクトリア朝後期の様式で、現在の建物は、1991年に改修され、芸術作品やファブリック用品などを販売している。花崗岩のアーチをくぐって中に入ると、いっきにタイムスリップした感覚が味わえる。
住所:323 Des Voeux Rd.Central.,Sheung Wan
甘棠第
Kom Tong Hall(Dr. Sun Yat-Sen Museum)(1914)
1914年に建てられた「Kom Tong Hall」は、最初のオーナーであった有名な実業家Ho Kom Tongから名づけられたもの。20世紀の初頭、ミドルレベルストリートの両側には、その地区を特徴づけるため2~3階建ての西洋式の建築物が並んでいた。当時、同ホールは唯一の中国式ホールであり、重厚感がある建物そのものが実業家のリッチな生活を物語っている。2004年に香港政府により再建され、「孫中山記念館」となった。
住所:7 Castle Rd.,Mid-Levels,Central
大夫第
Tai Fu Tai Mansion(1865)
元朗に近い新田にある「Tai Fu Tai Mansion」は、1865年の清王朝時代に立てられた高級住居である。オーナーは、清の皇帝より「大夫」という称号を得た学者・Man Chung-Luen(文頌鑾)氏。合院式建築が取り入れられている建物は、香港で最も美しい伝統的な中国建築の1つだといわれている。
住所:Wing Ping Tsuen,San Tin,Yuen Long
中國銀行大廈
Bank of China Building(1951)
1951年、HSBC本社の隣に中国銀行のビルが建設された。上海にある中国銀行本社とほぼ同じデザインで作られており、デザインそのものは、HSBC本社と同じく建築家パーマーとターナーによって生み出されたもの。竣工当時17階建ての建物は、隣のHSBC本社より6.5メートルほど高く作られていた。
住所:2A Des Voeux Rd.Central,Central
中環街市
Central Market (1939)
1939年に政府機関として建てられた中環マーケットは、香港初の生鮮市場として誕生。現在の建物は同じ場所に2代目として再建されたものだ。滑らかな曲線を描くモダンなスタイルが取り入れられ、セラミックのタイルを外壁に用いている。三級歴史建築物に指定されている同建物は、2003年から街市としての機能を停止し、現在「中環オアシス計画」が進行中だ。
住所:80 Des Voeux Rd.Central,Central
大澳棚屋
Tai O Stilt Houses(18-19 century)
ランタオ島に位置し「香港のベニス」と呼ばれる大澳は、かつて漁業と塩製品で生計を立てる人々が暮らす漁師町だった。木で作られた小さい家にすみ水上で生活している姿が今でも見ることができる。その珍しい建物は、それぞれが相互に繋がっていて、隣人とも温かい付き合いができる。現在でも、干物やシュリンプペーストなどを観光客に販売し生計を立てる人々が暮らしている。
住所:Tai O,Lantau Island
搭棚 竹の足場 摩天楼の街は「竹」で作られた?!香港を語るうえで外せない独特の景観
香港の街を歩いていると、至るところに「竹の足場」を見かける。現代的な高層ビルの建設現場と対照的に、竹で囲まれ、かなりの高所で命綱一本の男達が軽々と作業を進める、一見“原始的”とも思える様子に驚いた人も多いだろう。初めてこの光景に出会うほとんどの香港旅行者が「あれは何?!」と指差すほどだ。
これらは建築学と力学に則った伝統的な建築方法なのだ。「搭棚(タッパァン)」と呼ばれる足場のルーツは、漢時代までさかのぼる。当時、中国の伝統演劇(京劇)を移動式テントで上演しており、舞台の組み立てや修理のしやすさから、竹製の足場が使用されていたという。現代においても、竹製はスチール製やアルミ製と比較してコストが低く抑えられ、重量も軽く、必要な長さ・幅にカットしやすいというメリットがある。また、足場を組む職人になるためにはライセンスが必要となっており、熟練された職人技にも支えられている。建物が密集した香港において、竹の足場は欠かせない存在なのだ。