深センものがたり 第29回
〜 深センの歴史 〜
2000年代

トレンドリーダー
街の人々が急速に欧米系ファッションに興味を持ち始めた。深センの急速な発展をあらためて感じた時期である。有名ブランドのバッグや腕時計、世界的な有名スポーツブランドウエアなどを着飾った女性が溢れ出してきた(ブランド品の多くはニセモノだったようである)。
”中国はニセモノ天国“と言われるが、日本も世界の一流品のニセモノが氾濫した時代があった(筆者の青春時代1970年代後半)。
2001年、中国は世界貿易機関(WTO)に加盟した。外資からの対中投資策決済が更に加速して行く。”富を得た者が更に富みだした“。深センに住む個人のマンションへの投資はこの頃から盛んになってきた。
※ 想い出話し:筆者はローカル色豊かな深センの下町(市場街)のアパートに部屋を借り、安くて美味いローカル飯を食っていた。羅湖の東門路に店名”711“という超安くて美味いキノコ鍋の専門店があった(腹いっぱい食べても50元くらい)。食堂や屋台を営む人達と顔見知りになり、困った時は助けてもらった。アパート大家の老夫婦からは度々差し入れをもらった。現在は高層マンションや外資系飲食店が立ち並び、当時の面影も当時の住人も消えてしまった。あの頃は本当に人情味あふれる街だった。

2001年 市民中心及福田CBD

2002年 羅湖イミグレ改修工事
2004年12月末、初の深セン地下鉄(1号線)が運行された。街中が話題で持ちきりであった。初日の駅のチケット売場は大混雑。携帯電話を片手に、「今から地下鉄に乗るぞ!」、「乗ってきたけど、窓の外は真っ暗だった!」、などと話していた。地方から深センに来た人たちに地下鉄は珍しい乗り物だったのだ。
※ 想い出話し:この頃、北京のある遊園地の「痩せたドラえもん」が日本メディアを賑わせていた。ミッキーに似たネズミ男が疲れてベンチで休んでいたり、あまりの暑さに頭の被り物を取ったグーフィーが歩いていたりの写真が妙に面白かった。この遊園地を皮切りにパクリ問題が日本で取りあげられていた(最近は、”初音ミクらしきキャラ“もいるそうだ)。機会があれば是非訪れてみては如何だろうか。

深センの井戸端会議

痩せたドラえもん
2005年、深センは中国で初めて、総合的評価における文明都市の称号を授与された。国内都市の総合的評価における最高栄誉である。この頃、中国政府は知的財産権問題への対応に取り組み始めた。ニセモノブランド品やコピーDVDへの当局締めつけが厳しさを増していった(贈り物に最適だったのに…)。
2008年、深センは初の国家電子商取引モデル都市と認定された。世界各國からバイヤーたちが大勢押しかけてきた。ニセモノスマホからホンモノスマホに買い換える時代でもあった。
2月初め、春節2日前に記録的な大寒波が到来した。帰省の列車はすべて数日間の運休(運行中の列車は立ち往生)。羅湖汽車駅は再運行開始を待つ約2万人が身動きもできない状態に。この天災に立ち向かう国家や国民の対応は感動物語として、のちに映画にもなった。
早朝に雪の結晶が舞い散り、手足も凍える寒さ。当時は暖房器具の販売が少なく、防寒着もあまり売って無い。深センで暮らす人々は服を何枚も重ね着していた。
深セン在住19年のベテランコンサルタント
宮城 紀生
miyagi@waya.net.cn
深セン華日(ワーヤ)コンサルティング
会社設立・運営、法律相談、会計財務税務
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