僕の香妻交際日記 師匠イップマンが私に降臨した日
第89回
最近ふと聞いた噂話である。
香港カンフー映画の大人気シリーズ、映画葉問(イップマン)の指揮をとった監督が近頃のインタビューで、実はイップマン制作に際してもともとは中国と香港が誇る二大アクションスターのジェットリーとジャッキーチェンのどちらかにイップマン役をお願いしようしていたことを明かした。しかし、実際に依頼をしてみると彼らは十億単位の出演料を要求したとのこと。
そこで、もう1人の香港アクション映画界のスーパースターであったドニーイェン(Donny Yen)に白羽の矢が立った。彼はこのイップマン役の依頼に対して「一握りでいい」とお金よりもこの役を演じられることを光栄に思っていたらしく、監督もその場でドニーにイップマン役を託したとの話だった。
この裏話を聞いた市民の中には「金の延べ棒の一握りだったりして」と揶揄するコメントもあったが、多くの市民は「ドニーさすがやな」と好感度爆上がりだった、という話である。
私とイップマンの出会い
イップマンと言えば、今でも覚えているのは社会人になりたての頃、TSUTAYAのレンタルコーナーで映画イップマンの特集がされていて、そこで初めてブルースリーに師匠がいたことを知った。ブルースリーは当時の日本でも知らない人はいないくらい超有名だったが、幼少時代からジャッキーチェン映画を毎週のように鑑賞していた私でも知らないくらいイップマンに関しては全くと言っていいほど日本では知名度はなかった。
映画タイトルに「マン」が付くので、ウルトラマンやスーパーマンのようなヒーロー系B級映画の臭いがプンプンしたが、ブルースリーの師匠という見出しとよくできた予告動画に後押しされ私も興味本位で借りてみることにした。これが私とイップマンの初めての出会いである。
ウルトラマンのマンとは違う
映画を観てまず最初に分かったことはイップマンとは葉問の広東語読みの名前で、ウルトラマンのマンとは全く違うニュアンスであった。ちなみに劇中に出てくる日本軍は彼のことをヨウモン(日本語漢字読み)と呼んでいる。
イップマン役を演じているド二ーイェン映画を観るのも私にとってはこれが初めてだったと思う。
彼はすでにハリウッド映画に出演するほどのスーパースターだったが、日本ではジャッキーチェンやブルースリーほどの知名度はまだなかった。
映画イップマンには俳優の池内博之も日本軍の三浦役で登場していた。三浦は空手の達人で、戦争中に日本軍の捕虜となった中国人たちの中から腕っぷしに自信のある奴を次から次に道場に呼んで日本兵たちと手合わせをさせていた。
イップマンがキレた
イップマン本人はめちゃくちゃ強いくせに常に謙虚で争いごとを嫌い、家族のために早く家に帰るようなちょっとそれまでの典型的なヒーロー像とは異なったキャラクターを持っていた。
そんな基本おとなしめの彼がついにキレてしまったのが、かつてのカンフー仲間が三浦や日本兵に殺されたことを知った時である。卑怯な手合わせで仲間を殺されたことに腹を立てたイップマンはついに自ら日本軍の道場に足を踏み入れた。そして、ここでイップマンのあの名言が生まれたのである。
我要打十個!(10人とやらせろ!)
アニメやゲームではない実写版で1人の人間が10人の人間を倒すシーンなんてそれまで見たことがなかったのであのシーンは衝撃的だった。編集の力があったにしても、本当に10人を相手にしているように見えた。
そして、見事10人の日本兵に打ち勝ったイップマンは最後に三浦を大衆の面前で打ち負かし、ここからイップマン伝説が始まった。
その後ドニー主演の映画イップマンは第4作まで制作されるほど大人気シリーズとなった。
このイップマンシリーズが代表作の一つとなったドニーは、2000年代の香港アクション映画界を語る上で欠かせない唯一無二のスターの地位を確立したのは言うまでもない。
イップマンが私に降臨した
映画イップマンをTSUTAYAで借りたあの日からもう10年以上が経つが、あれから私は妻や娘と一緒にイップマンシリーズを20回以上は観てきただろう。それくらい、何度観てもイップマン映画は飽きないし、観るたびに学びがある。
私は今も昔もジャッキーチェンファンだが、同時にイップマンのことは私の人生における師匠の1人だと思っている。
師匠イップマンの一挙手一投足を見てきた私は、先日、私が自分で受け持つ柔道のクラスで、初心者の大人メンバーたちが正座をして私の話を聞いている姿を見てふと師匠が日本軍道場に乗り込むシーンを思い出した。
そして普段は初心者とはあまり乱取稽古をしないのだが、その時ばかりは「我要打六個!(6人一斉にかかってきなさい!)」とまるで師匠が私の中に降臨したかのように自然とあの言葉が私の口から発せられた。
決まった…
とその自分のセリフに酔いしれたのも束の間、普段滅多に自分では練習をしないので6人の初心者を相手にしただけで案の定右手手首を負傷。もう2週間近く経つがまだ右手で歯磨きができないほどの重症を負った。
威勢だけは一丁前だが、心技体の成熟はまだまだ師匠の足元にも及ばない。
ルーシー龍(りゅう)
東京都出身。香港歴11年。現在は香港の現地法人で人事部長を務めている。モットーは三度の飯のために飯を食わない。特技は豚のように食べること。