変わる【世界の工場】現在地と未来展望
大手EMS企業に聞く
変わる「世界の工場」現在地と未来展望
猛スピードで成長を続けるイノベーション都市・深センと、流通と消費のハブ・広州に挟まれた絶好の立地にある「東莞(トンガン)」。各国の企業が製造拠点を構え、”世界の工場”として発展してきた一大工業都市だ。この地に大規模な生産工場を構える大手EMS(製造受託)企業の現地幹部に、中国や東南アジアにおける製造産業の現状と展望について話を伺った。
東莞の外資系企業は今
-30年以上前から東莞に拠点を構える御社ですが、周辺の海外企業の状況はいかがですか?
製造業を中心に、海外拠点を中国一極集中から他国へ分散させるリスク回避、いわゆる「チャイナ・プラスワン」の動きはコロナ禍以降も形を変えながら続いており、日系企業の間で東南アジアへの生産シフトが起きているのは事実です。ただし、近年の東莞周辺における海外企業の進出と撤退状況は複雑な変化傾向を示しており、企業の撤退現象もあれば、新規進出や増資プロジェクトの参入も見られます。東莞周辺の海外企業の進出と撤退状況は、同地域の産業構造の調整とアップグレードを反映しています。一部の労働集約型企業はコストの圧力により撤退を選択したものの、政策的支援などを通じて、東莞は現在も多くのハイテク分野の外資系企業を引きつけることに成功しています。
また今年の最大のリスクとされるトランプ関税に関しては、中国だけの問題ではなくなってきており、日本や東南アジアの国々にとっても同じ様相となっています。つまり、いつ、どのような品目に、どれだけの増税が課せられるのかまったく予想がつきません。こればかりはアメリカ政府の情報を吟味し、取引先との会話と連携のなかで対応策を模索していくほかありません。
東莞の競争力を支える4つの要素
-製造産業において、東莞がほかの国や地域と比べ今も優位な点はどこにあるのでしょうか。
大きく分けてポイントは4つあります。1つ目は、原材料の調達から販売までのプロセスであるサプライチェーンのスピードです。東南アジアでは週単位での処理になるのに対し、地理的に有利な東莞では1時間単位で対応が可能です。2つ目は労働コストです。中国の人件費は年々上昇しているものの、東南アジアと比較すると技術力や定着率の面で優れているため、費用対効果が高いのが特徴です。3つ目は政府による強力なバックアップが挙げられます。グレーターベイエリアの国家戦略によって、東莞が今後も重要な産業集積地であり続けることが確約されている点は大きいと考えます。最後の4つ目は、イテレーション(一連の工程を短期間で繰り返す開発サイクル)の能力が高いことで、その理由は、やはり深センの存在です。世界をリードする巨大企業とも密接に関わっているため、連動的な成長を見込むことができます。
東莞は「スーパーサプライチェーン・コスト管理の可能性・イノベーションのスピルオーバー(波及)の受け入れ」という三位一体の優位性を活かし、世界の製造業における「効率化の進化」の模範となっています。東莞の真の強みは単純なコスト優位性ではなく、数十年にわたる蓄積で形成された「グローバル受注への迅速な対応」「生産能力の柔軟な調整」「持続的な技術進化」にあり、これらは東南アジアや内陸都市が短期的には越えることができない高い壁であると言えます。
高騰する労務コストの現状
-中国の製造業では人件費の上昇が続いているようですが、具体的にはどれくらいの割合で上がっているのですか?
広州や深センなどと比較すると多少は低く設定できるものの、どの企業も毎年賃金を増額せざるを得ない状況です。当社でも2022~2024年の間で年平均4.8%の増加率で人件費を引き上げてきました。
また労務コストの上昇に一定の影響を与えているのが、最低賃金基準の調整や社会保険制度の充実といった政府の政策です。2025年に入ってから、東莞市の最低賃金基準は毎月1人あたり約8.3%引き上げられ、3月1日からは基本給2,080元/月の基準が施行されたほか、社会保険料の支払い基準も昨年から4.9%増加しました。
新世代の労働者が求めるものとは
-かつては内陸出身者の出稼ぎ先として需要の高い職場であったはずなのに、たとえ高賃金を提示したとしても製造業を敬遠する人が少なくないと聞きます。今の中国の若い世代は仕事に何を求めているのでしょうか。
通常、地方出身の工場勤務者は、敷地内にある4~6人部屋の共同宿舎で生活することになります。しかし最近の若い世代のなかには、自費で家賃を払ってでも近くに部屋を借り、自分だけの自由な空間と時間を持ちたいと考える人が増えています。そもそも、休みが取りにくかったり毎日決まった時刻に出勤しなければならない工場勤務のようなスタイルではなく、自分の生活に合った気軽な働き方を求める傾向が強くなっている印象です。フードデリバリーのように自由な時間に働ける仕事が中国でも人気なのは、そういった理由があるからではないでしょうか。
東南アジアと中国の労働力の違い
-東南アジアにも生産拠点を置く御社ですが、工場で働く人材に関して中国との違いはありますか?
ベトナムを例に挙げると、教育システムの発展水準に格差があることから、技術力の高い人材や専門的な管理者が中国に比べ不足しているように思います。また転職に抵抗のない人が多いため、重要なポストの人材育成と人員の安定性の面では、より大きな管理投資が必要となっています。さらにベトナムの労働法は絶えず更新されるため、現地の労働管理部門との調整に多くの時間を費やす必要があり、それも課題のひとつと言えますね。
また労働者の仕事に対する考え方も中国人とは違い、ベトナムでは現金インセンティブがより重視され、キャリア形成など非現金形式の報酬に対する意識は低いように感じます。
自動化時代の工場が求める人材像
-テクノロジーの発展によって製造業は今後も大きく進化していきそうですね。工場が求める人材も以前とは異なるのでは?
当社では、トヨタの製造プロセスをもとに徹底的にムダを排除した生産システム、リーン生産方式を導入しているほか、通常は多くの人手を必要とする欠陥検出をAO(I 自動光学検査)技術によりオートメーション化するなど、生産性向上と人材不足解決に日々取り組んでいます。今後、どの企業においても自動化がさらに進み、精密作業の大部分を機械が担うようになるでしょう。またこれまで手作業で行っていたデータ記録などもシステム化されていくため、製造業に求められる人材は、単なる作業者から専門性の高い技術者へと移行し、その割合は今後ますます大きくなっていくと考えられます。
即戦力確保に向けた企業の先手必勝戦略
-製造業においても、高い能力を持つ人材をどう確保するかが課題になってきますね。
優秀な人材を確保するために多くの企業が取り組んでいるのが、潜在的な労働者の育成です。各企業は中国各地の大学や技能訓練学校などと提携し、学生に自社工場での実習の機会を提供したり成績優秀者に奨学金や学資援助を支給するなどしています。また学校との連携により、夏休みなどを利用して学生たちに短期間だけ働いてもらうような取り組みも行なっており、卒業後の採用に繋げています。
さらに当社では地方の若者が技術を学ぶ機会を提供するため、内陸部の工場敷地内に技能学校を設立しました。進路選択の際にそのまま就職するかどうかは学生の自由なのですが、一部の学生とは、卒業後に当社で働いてもらうことを条件に授業料を免除する契約を結んでいます。このように中国では労働者に対するスキルレベルの要求を常に高めているため、東南アジアの工場とは今後ますます大きな格差が出てくると思われます。
人材流出低減に向けた取り組み
-雇用の安定も課題のひとつかと思います。御社では社員の離職率を下げるためにどのような取り組みをされていますか?
定期的に技能研修を行うなど、従業員が新技術や新プロセスを習得し成長できるよう社内育成に取り組んでいます。また経験豊富なベテラン従業員が新入社員を指導する「師弟制度」を導入することで知識の継承と技術交流を促進しているほか、従業員が総合的な能力を高めながらキャリアを築けるよう部署異動を奨励しています。このように従業員満足度を高めることで、長年にわたり当社の離職率は業界平均を大きく下回る2.5%未満に抑えられています。
深センの未来展望
-最後に、深セン周辺の展望についてご意見をお聞かせください。
ポテンシャルは世界の中でもトップクラスにあるのではないでしょうか。ベンチャーも増えており、ハードだけでなくソフトの面でも今後の発展が望めます。先ほども述べた通り、この地にはサプライチェーンの層の厚さと人的な資源、政府の資金援助など、化学反応しやすい条件が揃っています。漠然としたなかでもイノベーションの期待値は十分だと感じられます。速度の速さもあるので、一旦火がつくと今後も大きな流れを生み出すのではないでしょうか。今必要なのは、「何を」に、いつ、誰が気づくかということだと思います。