殿方 育児あそばせ!第42回
怪我したママと葉子と私 其之三
殿方よ、怪我の功名を狙え――
前回までのあらすじ
ママの怪我は思ったよりひどかった。なりふり構わず強引に急患を受診、婦人科の先生診断により緊急手術が決まると、ママのいない間、私は葉子を一人で面倒みられない事に気がつき途方に暮れた。そこへ事情を察した先生、看護婦さんの暖かい手が差し伸べられたのだった。そして手術に臨んだ――
手術室に入っていくママを見送ると、私はとりあえずママの指示通りに葉子にスマホの童謡をみせて時間を稼ぎ、その間に出前を取った。何を注文すればよいか迷ったが、何か葉子が飛びつきそうなものと考えるとマクドナルドのハッピーセットが浮かんだ。私もマクドナルドは子どものころから大好きだが、この状況で食欲は無く、自分のものは頼まなかった。内容は以外にも健康的で、牛乳、切り分けられたリンゴ、スイートコーン、マックナゲットとおもちゃのおまけであった。
手術室の前で二人きりで待っていると、ドアの向こうに入っていったママのことが心配らしく、葉子はすぐにスマホを置いてドアを開けようとしていた。私はマクドナルドが届くまでの時間稼ぎのため、5階建ての病院の全フロアに通じている階段に葉子を連れて行った。葉子はなぜか階段が好きで、普段からもショッピングモールなどで階段を見かけると、私を連れてその小さい足で一歩ずつ一段ずつ上がったり下がったりして遊ぶのだ。葉子に連れられ、葉子の歩幅で一歩ずつ一段ずつ一緒に上がったり下がったりしていると、マクドナルドが1階の入り口まで届いたと連絡があった。今度は、階段を1階まで一緒に降りていき、マクドナルドを抱えて4階まで一緒に一段ずつ一段ずつ上がって帰って来た。
マクドナルドを広げて手術室の前で葉子に食べさせた。最初のうちは、牛乳を飲んだり、マックナゲットを小さい口でちょこちょことかじって食べたりしていたが、ふとした瞬間にママがいないことを思い出すのか、食べるのをやめて泣き出してしまう。こうなるとスイートコーンや、おもちゃのおまけをとっかえひっかえやっても効果がない。
仕方なく手術室の前から離れ徘徊してみる。入院患者の病室の前をうろうろしていると看護婦さんに怒られそうなのでやっぱり階段上り下りを再開する。飽きると手術室前に戻りマクドナルドを食べる。しばらくすると葉子が泣き出して徘徊。そして結局は、階段上り下りに戻るというループだった。何回繰り返したか忘れてしまったが、この時間が長いこと極まりない思いだったのは今もよく覚えている。
1時間たってもママは出てこない。マクドナルドもほとんど食べつくし、おもちゃのおまけもスターウォーズのダースベイダーのよくわからないもので、葉子は興味を示さなかった。せっかく看護婦さんがくれた羊のぬいぐるみも飽きてしまい、さすがに葉子も疲れて私の腕の中で寝てしまった。普段寝付かせることはやったことがなく、私が抱っこしているうちに眠ってしまうというのはほとんど経験がない。私は嬉しく思いつつも、不器用に葉子が起きてしまわないように細心の注意を払って腕のしびれを少しずつ和らげようと格闘した。
2時間くらいたったころだろうか、私はいつになっても出てこないママの心配が始まった。手術中に何かあったのだろうか。心配性の私は最悪の事態を無意識に、嫌でも想像してしまう。同じような経験を思い出す――葉子が生まれた時も予定より時間が掛かって心配したものだ。当時はまさか葉子と二人でママの手術を待つことになるとは思いもよらなかった。暫くすると無事に手術室から出てきたママを迎え、今回も私は心から安堵するのだった。
後の話だが、ヘタクソながら葉子をあやし、ほんの数時間だが何とか一人で世話をすることができた私は、これぞ怪我の功名とひそかに思ったのだった。(怪我をしたのはママだったが……)
神沼昇壱(かみぬま しょういち)
随筆家。広州在住の日本人。2002年に中国に渡り留学と就職を経験。その後、中国人女性と結婚した。2021年現在一児の父として育児に奮闘中。