花樣語言 Vol.161 ブッシュの英語

2019/03/06

英語の誤りといえば、トランプ大統領よりブッシュ元大統領のほうがすごかった。Bushismsと呼ばれた。在任中、折しもメジャーで活躍中だった松井選手(ゴジラのほう)について、「松井の取材には私の記者会見より多くの記者が集まる。彼も私と同じく、英語ができない」と自虐ネタのジョークを飛ばした。

ブッシュ大統領は、the barriers and tariff(s輸入制限と関税)を「the terriers and bariffs」と言い間違えた。頭音転換である。英語なら、言葉遊びの定番で、ふざけてわざとこうすることはある。シャーロック・ホームズのパロディー、Herlock Sholmes(ハーロック・ショームズ)のように。頭韻に敏感な、ゲルマン詩的な語音感覚が下地にある。戦前の香港を舞台とした張愛玲の小説『茉莉花片』に、主人公の学生が「七言詩の起源」について聞かれて、緊張して「起源詩の七言」と言ってしまう場面がある。七言(qīyán)と起源(qǐyuán)の錯綜。張愛玲は英語も堪能だったので、英語詩的な語音転換のウィットが適所で利いたのだろう。前回、わたくしも「Princess」と「President」で頭韻を使った。(自分のダジャレを自分で説明することほど野暮なことはない。)張愛玲はまた、上海が舞台の『琉璃瓦』で、お見合いの相手の陳さんを程さんと取り違える、という話を書いている。が、「陳」と「程」が上海語では同音になるということが全く説明されてない。偉大な作家は野暮なことは一切書かない。

ブッシュ大統領は、They misunderestimated me(.彼らは私を誤解し過小評価した)と言ったことがある。誤解と軽視(misunderstand、underestimate)が合体してしまって(誤軽視?)、そんな言葉は辞書にないと笑われた。「かばん語」というもので、これも普通は、ふざけて(あるいは真面目に)わざと作る場合のほうが多い。最近なら、Brexi(tブレグジット、British+exit)の記事が新聞に出ない日はない。トランプ大統領がツイッターに書いた「I’m not unproud.」は、規範文法が認めない二重否定文であるのみならず、unproud(誇りでない)が辞書にない言葉だと批判された。赤信号もみんなで渡れば怖くないので、Brexitのようにみんなで使えば、辞書になくても怖くない。un(否定)+proud(誇りに思う)で、誰にでも意味はわかるのだ。しかしアメリカの大統領ともなれば、うかつに赤信号は渡れない。日本では「忖度」(そんたく)が、辞書にある言葉なのに問題になった。日本の首相は青信号でも渡れない。

ブッシュ英語の誤りは「規範文法」云々という次元の問題ではない。英語圏の話者としてはありえないような間違いだ。Is our children learning?とか、Our priorities is~とか(いずれも複数なので「are」が正しい)。しかし、こういう間違えも、非常に少ないが、起こることは起こる。起こるから、言語は年月が経てば変化するのである。英語はbe動詞が保守的で、I am、You are、He is、They are、という活用があるが、スカンジナビア諸語ではすでに失われている。ノルウェー語だとこうなる。Jeg er、Du er、Han er、De er、全部「er」。アフリカーンス語もまたしかり、Ek is、U is、Hy is、「is」ひとつしかない。かつては人称・数によって活用していた。が、何百年か前の、とある日、誰かが最初に間違えた。十数年前のブッシュ大統領のように。英語が今後、I is、You is、We is、They is、のように変わる可能性は極めて低い。北欧語やアフリカーンス語のように、信号ができる前に渡ってしまわなければならない。確かにみんなで渡れば怖くないが、英語の場合、赤信号を渡りきるのがいかに困難かは前回「規範文法」で説明した通り。日本語の場合、「犬に餌をあげる」は信号が青に変わって渡れたが(かつては「やる」か「与える」でないとNGだった。文化庁文化審議会は平成19年「敬語の指針」で事実上OKを出した)、「ら抜き言葉」は赤信号に引っかかった。ちなみに犬は色を識別できない。

ブッシュ大統領は「childrens」と言ったこともある。「-s」を余分に付けた。日本語でも「子供たち」は、子+ども(複数)+たち(もひとつ複数)だ。でも、誰も変に思わない。いっぽんでもニンジン…ではないが、ひとりでも子ども。子供は無事、青信号を渡った。誤用は言語研究の貴重なヒントとなる。ブッシュ氏の英語は言語学に多大な貢献をした。

日本のパスポートのビザのページには「visas」と書いてある。『Seven Rainbow』(ZARDの曲)、『Seven Heaven』(チェッカーズの曲)のように日本人はよく「-s」を忘れるのだが。けれども本来「visa」はラテン語で「visum」の複数形だ。ドイツでは単数をVisum、複数をVisaとしている。「museum」の複数は英語では「museums」だが、オランダ語ではラテン語式に「musea」である。黒澤映画『七人の侍』の英語タイトル『Seven Samurai』は「-s」の付け忘れではない。侍の複数は英語では「samurai」で正しい。フランス語では『Les Sept Samouraïs』と、発音しない「-s」を書く。ブロッコリー(broccoli)はイタリア語「broccolo」の複数形。イタリア語の複数形は「-i」だ。スパゲッティ、マカロニ(マッケローニ)、パニーニ、パパラッチ(ツィ)、苗字も複数形で、アルマーニ、フェラーリ、フェリーニ。パパブッシュはブロッコリー嫌いで有名だった。ブッシュ氏は父上の葬儀のとき、スピーチでブロッコリーの話をして、涙の中から笑いを取った。

大沢ぴかぴ(比卡比)

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