花樣方言 上級ズージャ語講座
昨年、香港で振り込め詐欺が多発。しかし日本とは大きな違いがあって、ほとんどは金融機関や中国の役人をかたったもの。肉親になりすました電話詐欺は中華圏では普及しません。家族同士で使う言葉をよそ者が真似するのは難しいため、すぐばれるからです。親と話すときは故郷の言葉を使うという人はまだまだ多く、騙す側は、息子や孫になりすますなどという成功する可能性の低い手法ははなから選ばないものと思われます。日本の振り込め詐欺の横行は、要は、方言の衰退が大きな要因となっているのです。
方言はお国の通行手形、というように日本も昔は、日本中どこでも、言葉は違っていました。同じ言葉を使う者同士はその土地の価値観や生活習慣などを共有しており、また、言葉の細かいニュアンスや感情も正確に伝わるため、心置きなく接することができます。よそ者が土地の者に化けるのは容易なことではありません。現在の日本にはしかし、社会方言、すなわち隠語や専門用語など、職場や様々な集団ごとの言葉の違い、あるいは世代による違い等が明確に存在していて、知ったかぶりをして専門家になりすましたり、他業界や他社の人間に化けたり、また年をごまかしたりするのは大変です。本人の気づかぬところで必ず言葉づかいにぼろが出て、化けの皮がはがれます。
テレビ局のスタジオのカメラの呼び方、これを端から順にAカメ、Bカメ、Cカメというか、1カメ、2カメ、3カメというかで民放とNHKの違いがあります。これはNHKから民放に移ったアナウンサーがまず感じるカルチャーショックだそうです。カルテ、オペ、クランケ(患者)、アッペ(虫垂炎)、ゼク(病理解剖)などドイツ語起源の用語が多いのは医学界。以前、外国の若い医者に「pH」を「ペーハー」と言ったら通じなかったことがあって、これはわたくしとしてはかなりカルチャーショックだったのですが、考えてみれば医者=ドイツ語という結び付けは日本人の思い込み、それも特に古い世代の固定観念です。確かに日本はかつて医学をドイツから学んだのだけれど他の国は必ずしもそうではないので。酸性アルカリ性の尺度「pH」の読み方は現在、日本の法令とJISでも「ピーエッチ」と定められています。まさか近い将来、ペーハーという日本伝統(?)のドイツ語読みは年寄りの言葉となり、そして日本から消えてなくなるのではないでしょうね。
かつて日本の大学生はほとんどが英語のほかにドイツ語かフランス語を習っていて、特にドイツ語は、学生言葉の中にたくさん取り入れられていました。「ゲルピン」といったらゲルト(お金)がピンチのことで、のちの言葉で言えば金欠。学園闘争の頃の「ゲバ棒」「内ゲバ」などの「ゲバ」はゲバルト(暴力)のゲバ。若い女性を「メッチェン」といったのはMädchen(少女)のこと。女性をかわいいとほめる言葉「シャン」はschön。この「シャン」は香港映画『プロジェクトA』(1983年)の日本語字幕に出てきていて、当時すでに古いなと感じたのですが、今から思えばこの時の「シャン」がわたくしにとって最後の「シャン」との邂逅となっています。一方で、今でも残っているドイツ語起源の元学生言葉は、いわずとしれた「アルバイト」。尚、ゲバゲバ・ピーの「ゲバ」もゲバルトのゲバだそうで、これが今のゲラゲラポーにまでつながるのかと思うと感慨深いものがあります。
ドイツ語は、音楽界の用語でもありました。ドレミファソラシドは日本ではハニホヘトイロハで表し、ヨーロッパではCDEFGABC、そして数字では1234567となります。芸能業界の古い世代とズージャー(ジャズ)界のつながりを最もよく表しているのがこれの読み方で、ABCDEFGをドイツ語式にアー・ベー・ツェー・デー・エー・エフ・ゲーと読み、そして数字も音階式に、1=ツェー、2=デー、3=エー、のように言います。特にお金の額をこの方式で言って、1万5千円ならツェーマンゲーセン。これを瞬時に理解できて使いこなせないと、ギョーカイ第1世代の豪傑たちを相手にすることはできません。ズージャ語はギョーカイ人たちを結ぶ絆であり、ギョーカイへの通行手形だったのです。
東京の自由が丘を「オカジュー」と言ったのは業界人だけでなく、70~80年代に自由が丘とかかわりのあった人ならたいがい知っていて、オカジューと聞くと懐かしさに感激して、やはり連帯意識のような感情を覚えるそうです。香港の、かの有名な銀行の名前を「HSBC」としか言わないのは香港歴の浅い人。10年以上前に香港に住んでいた日本人なら「香港上海銀行」あるいは「ホンシャン」と言います(英語の看板を「HSBC」としたのは新しくて、以前は「Hongkong Bank」。嘘だと思ったら90年代頃の写真等を見て下さい。ただし、香港銀行、とは言いませんでした。漢字は昔から「滙豐銀行」)。「ホンシャンにデーヒャクゲージューマン預けてある」などと言う人がいたら、これはまぎれもなく、かつて香港にかかわりのあったギョーカイ人です。
大沢さとし(香港、欧州、日本を行ったり来たり