中国史・法律の軌跡をたどるマニアック探訪「京師大学堂」
中国近代史は、現代中国につながる重要な歴史といえる。この中国近代史の中でも、法制史につながる部分を中国を知りつくした著者が、日本人が踏み込まないようなマニアックな地を訪れ、近代法制史を振り返る旅行記。
初期の高等教育機関「京師大学堂」
京師大学堂という学校を御存知でしょうか? 同学校について知るには、中国近代法制史をよく知る必要があります。アヘン戦争に敗北した中国(清朝)は、それ以降、多くの不平等条約を締結することになりました。そして、この不平等条約撤廃のために清英通商航海条約(1902年9月5日)を締結し、これによって中国が近代法を導入すれば不平等条約改正を検討するということが約束されました。
それをきっかけとして中国は近代法を導入するために法制改革が行われることになります。そして、それを実現するために法律家の養成も必要となり、司法官養成のために1906年10月に京師法律学堂という学校が開学しました。

中国近代法制史を語る上で重要な場所なのだが、近隣住民が普通に住んでいる。
なお、京師法律学堂はその後、京師法政学堂(官僚育成の学校)、京師財政学堂(財務専門家育成の学校)と合併して北京政法専門学校となり、さらに北京政法大学と改称して、その他の大学とさらに合併をして京師大学校となりました。つまり、京師大学堂とは、中国で初めての法律家育成のための高等教育機関が、その他の学校と合併してできた中国の初期の高等教育機関なのです。
そして、この京師大学堂跡地は現在もまだ中国の北京に残っています。ただ残念ながら京師大学堂跡は現在どこにでもある普通の住宅になっていて、すごい生活感があるということです。
なお、この京師大学堂は、後にさらに国立北平大学、北京大学法学院、北京政法学院となり、現在は中国政法大学となっています。(筆者の母校でもあります)
参考:髙見澤磨=鈴木賢『中国にとって法とは何か――当地の道具から市民の権利へ(叢書中国的問題群3)』(岩波書店、2010年)24頁以下。
名称:京師大学堂建築遺構
場所:北京市東城区沙灘后街55号
〈高橋 孝治(たかはし こうじ)氏プロフィール〉
立教大学 アジア地域研究所 特任研究員
北京にある中国政法大学博士課程修了(法学博士)、国会議員政策担当秘書有資格者、法律諮詢師(中国の国家資格「法律コンサル士」。初の外国人合格者)。中国法研究の傍ら講演活動などもしている。韓国・檀国大学校日本研究所 海外研究諮問委員や非認可の市民大学「御祓川大学」の教授でもある。著書に『ビジネスマンのための中国労働法』、『中国社会の法社会学』他多数。FM西東京84.2MHz日曜20時~の「Future×Link Radio Access」で毎月1、2週目にラジオパーソナリティもしている。Xは@koji_xiaozhi