2分で読める武士道 第31回「なぜ私たちは意地を見せなければならないのか?」

2023/02/22

2分で読める武士道
世界中で注目されている日本人特有の性格や行動の数々。
それらの由来は武士道精神にあった。
しかし、肝心の日本人にその武士道精神が浸透していないのが日本の現状である。

筆者が外国生活を通して感じた日本人の違和感を「武士道」や「葉隠」などの武士道関連文献をもとに紐解いていく。

 

 

 

 

 第31回 なぜ私たちは意地を見せなければならないのか? 

どこかへ話などしに行く際には、事前に予定を申し合わせてから行くのがよい。(中略)総じて、招かれない限り、行かないことにこしたことはない。(いつ訪ねても心強いような)心の友は稀なものである。たとえ招かれたとしても、その心構えが必要である。
久しぶりに会えた、というのでない限り、おのずと興が乗る、とは行かないものである。慰みごとの寄り合いは、失態の多いものである。また、(逆に)自分を訪ねて来た人に対しては、たとえこちらに用事があるとしても、冷淡な応対をしてはならない。(葉隠(上)講談社学術文庫

2023年に入り、2019年から続いたコロナ不況もいよいよ出口が見えてきたように感じる。依然として感染者数は横ばいだが、香港も日本も海外からの入境者たちを歓迎する態勢を見せ始めている。
この3年間は人と会う機会が激減し、最期の瞬間に立ち会えないまま大切な人を失った人も少なくない。私もこの3年間で3人の大切な人を失い、それぞれ最後まで顔を合わせることができず、ありがとうございましたの一言も言えなかった。いつか医師である高校の先輩に言われた「人には会える時に会っておけ」という言葉の重要さを今ただただ痛感している。
自分自身、海外に身を置いている状況なので、特に日本にいる家族、友人たちに会うには、限られた滞在期間で誰にどこでいつ会うのかを事前に予定を立てなければならない。そして、たいてい予定を立ててみて気がつくのは会いたい人たちに全然会えないということである。便りがないのは良い便りというのはよく言ったものだが、やはり便りがないのは寂しい。とは言え、では自分が年賀状やEメールで全ての友人に年に一回くらいは連絡が取れているかというとそうでもない。
せっかく会うからには食事でもしながら思い出話に花を咲かせたいものだが、たとえ数分でも顔を合わせられるチャンスがあるのなら「会える時に会っておけよ」と今は自分で自分に言いきかせるようにしている。

ある人の言葉に、「意地は内に保つものと、外に示すもの、この二つがある。外にも内にもない者は役に立たない。たとえば刀身のように、よく切れるものを研ぎ澄まして鞘に納めておき、時々は抜いて『眉毛に懸け』、ぬぐって再び納めるのがよい。意地が外にばかりあって、白刃をのべつ振り回すような者には、人が寄りつかず、味方となる者がいない。意地を内にばかり納めておいたのでは、さびもつき、刃も鈍くなり、人に高をくくられるものである」と。(葉隠(上)講談社学術文庫 )

親になると子どもに対して「他人のものを盗んではいけない」「独り占めしてはいけない」「間違えたことをしたら謝りなさい」などというモーゼの十戒のようなことを教える機会が自然と多くなる。
しかし、現実には親のほうが不倫をしたり、遺産相続でもめたり、そして何が何でも謝らないというような醜態をさらすことのほうが多い。子どもでも分かるような過ちを大人になって犯してまうのは自分の中に意地がないからだ。どうして意地が見せられない大人が多くなるのかというと、子どものころは将来への期待と夢にあふれているが、大人になるにつれ将来への不安と落胆ばかりが膨れ上がり、この違いが人間を自己中心な性格へと変貌させるからだろう。頑張ること、意地を見せることが馬鹿馬鹿しく思えてきて、やがて自分だけよければ良いという考えが生まれてしまうのだ。まじめに生きるには人生は短すぎると考え始めたら危険である。
自分一人の人生は80年でも、自分の周りにいる人たちの人生を合わせれば自分の頑張りや意地は100年200年と受け継がれる可能性があるわけであり、だからこそ何事にも最後の一秒まで自分の意地を見せることが大事なのだと思う。その一瞬の意地が自分だけでなく他人の人生をも変えるキッカケになりうるのだから。


profile筆者プロフィール

宮坂 龍一(みやさか りゅういち)
東京都出身。暁星高校、筑波大学体育学群卒業。
香港の会社、人事、芸能、恋愛事情にうるさい。

 

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