僕の香妻交際日記 アポなし訪問営業のススメ

2025/04/02

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第94回

私が初めて正社員として就職したのは貴金属の訪問買取営業を専門とする会社だった。

給料は最低賃金プラス歩合制の正統派の営業職である。当然毎月ノルマがあり、その日一件も買取ができなかった場合は終電までオフィスで居残りロールプレイ。月の後半を過ぎてノルマ達成が怪しくなってきたら土日祝日も営業に出て回ることを余儀なくされた。

新人社員のノルマは一日300件のアポなし訪問営業。一日8時間で300件というと、一件につき2分もかけられない計算になるので、一見無茶なノルマに見えるかもしれない。しかし、都営団地のような住宅が密集した居住区を狙うと、一棟で100件稼げる場合もあるのと、留守の家も結構あるので、300件というのは意外と難しくはない。私は当時若く体力に自信があったので、一日500件回った日なんかもあったりした。
とは言え、一日に300件回るのは当然楽ではない。一カ月、二カ月と続けていくと1人また1人と社員が足や腰に支障を訴え辞めていった。

またアポなし訪問なので、300件中290件以上の住人からは一言も話さずに断られるか、煙たがられて終わる。簡単ではないと分かっていても相手に断られ続けると精神的に辛くなってくるのが人間というものである。一日ならまだしも、それが一週間続き、二週間続き、それでも成果が出なければ休日返上で営業に回らなければならない。身体に支障が出ずとも、ほとんどの社員が一カ月持たずに辞めていった。そんな過酷な職場で私はなんとか結果を出して、一年足らずで大阪天王寺店の営業所リーダーにまで昇格した。

一日300件というノルマはあったが、300件回ったからといって成績が上がるわけではない。ただ一方で、300件回るくらいの根気がなければ安定した成績は残せないのも事実であった。根気といっても、ただの根性ではなくそこにはさまざまな気力が備わっていなければならない。300件回るだけの体力、300件断られてもめげない忍耐力、時には住人に怒鳴られることもあったし、私も玄関先で正座させられなぜか説教をされることもあった。そういった、時には理不尽とも言える現実を受け入れ、明日は明日の風が吹くという気持ちでまた次の日の朝から300件のインターホンを押せるかどうか。そういった気力の鍛錬が300件アポなし訪問には含まれていた。

もちろん、私もこの仕事が好きではなかった。単純に辛いからだ。今日は今日のノルマを達成できたとしても、明日は達成できるかどうか分からない。そういった不安が夜布団に入った途端に襲ってくる。それが毎晩続くのだ。
また土日に営業に回ると公園で子どもと遊んでいる親の姿をよく見かけたものである。そういった普通の家庭の姿を見ると、自分は何が嬉しくてこんな仕事をしているのかと虚しくなることも多々あった。

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しかし、そこで立ち止まることはできなかった。運良くこの平和な時代の日本に生まれ、尊敬する親の元で大事に育てられて、一応国立の大学まで卒業した。人の人生に正解も不正解もないが、それでも自分自身の20年の人生の成果を証明したいという気持ちが心の中にあった。

私には小さい頃から自己嫌悪感があった。学校の勉強も部活動も人並み以上の成績は残せていたが、何となく、自分の力で成し遂げた感覚というものに欠けていた。何をしても周りの人たちが助けてくれたからという気持ちが強く、自分の実力にいつも疑問を感じていたのだ。
そのような自分に対する嫌悪感や否定感を払拭するために、このアポなし訪問営業は最高の試金石だった。そして、約一年間、この仕事を通していろんな人間に出会い、辛酸な経験と葛藤を経て分かったことは、死ぬこと以外はかすり傷ということだった。

怒られようが、失敗しようが、明日は来るし、明日はまたこの身体一つで立ち上がらなければならない。自分の生い立ちがどうだとか、昨日失敗したからどうかなんていうものは周りの人にとってはどうでもいいことで、今自分がどんな顔で、態度で目の前の人に接しているかが重要なのだ。死なない限り人生は続くのである。

自分にもできるんだという自信と失敗に引きずられないガッツ、そして多少の営業テクニックを手に入れた私は突出した成績は残せなくとも、安定した結果を日々残せるようになった。しかし、ガッツは正しく使わなくてはならない。若さは時にガッツを良い方にも悪い方にももたらす。そして、ついに私はそのガッツの使い方を間違ってしまったのである。

それに気がついたのはあの大阪西成警察署からの電話であった。詐欺罪と不法投棄罪の容疑で事情聴取を受けることになった。人生は一度きりなのでいろんな経験を積んだ方がいいに決まっている。でもそれだけは絶対にやってはいけないということもたくさんある。自信と過信は紙一重なのだ。

つづく


ルーシー龍ルーシー龍(りゅう)

東京都出身。香港歴13年。現在は香港の現地法人で人事部長を務めている。モットーは三度の飯のために飯を食わない。特技は豚のように食べること。

 

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