僕の香妻交際日記 早くそいつを捕まえろ!
第91回
私と妻は近頃Netflixの『地面師』という映画にハマっている。劇中では地面師に騙された被害者たちが口を揃えて「早くあいつら(地面師)を捕まえろ!」と怒り狂うのだが、結局警察をもってしても詐欺師の姿かたちは見つからない。
俺は大丈夫、と思っている人ほど罠にはまりやすい。今から20年前、それまで詐欺とは無縁の人生を送ってきた若かりし私の目の前に突然その男は現れた。
当時、私は新卒で貴金属買取専門の会社に入社。入社といってもマイナビで履歴書を送って筆記試験や数回に及ぶ面接をクリアして…というちゃんとした就職ではない。
たまたまコンビニの無料求人誌で「月収100万円も夢じゃない!」という広告を鵜呑みにして面接に行ったら即日採用が決まったという、ちょっと怪しげな会社に入社しただけのことである。仕事内容は毎日ノルマ300件のアポ無し訪問営業。大阪市内市外の団地や住宅地をひたすらインターホンを押して不要になった金プラチナの指輪やネックレスを買い取るという仕事だ。
そんなある日、一本の電話が会社に入る。不要になったプラチナがあるので売りたいという電話であった。すぐに社長から「ちょっと見てきてくれ」と要請があり、早速電話主と連絡を取って会うことになった。
通常、私の会社のような訪問買取専門店では金プラチナの査定は相手方の自宅に訪問して、その玄関先か、家の中で行われる。貴金属を査定するので公園や喫茶店などでは目立ちすぎるからだ。
しかしいざ電話主とアポを取ろうとすると、「妻に内緒で売りたいので自宅では話ができない」と自宅マンション一階のエレベーターホールのソファで査定を行うことになった。
依頼されたプラチナは円形のものが2枚。持った瞬間に重さが手に伝わり、その時点で私にはおそらく本物のプラチナであるだろうことが分かった。試金石を使って最終確認をすると、やはり本物のプラチナだった。重さは大きいものが100g、小さい方でも80gあった。市場価値としては100万円以上する大型案件だ。そして相手との交渉の結果、80万円で買取させてもらうことになった。
しかし、私の持ち合わせの現金が20万円しかなかったので、翌日に現金渡しでもいいか尋ねると「今日中に支払ってもらいたい」と言われたので、社長に直訴してとりあえず30万円を引き出し合計50万円を手付金として渡し、残りの30万円は翌日またこのエレベーターホールで引き渡すこととなった。
この案件だけで、30万円近くの粗利が出たので、意気揚々に会社に戻り、早速貴金属のスクラップ業者である林さんに計180gのプラチナを手渡した。林さんも「おー、重いね」と驚嘆しながら、いつも通り自身の査定キットで査定を始めた。すると彼の手が止まる。オフィス内に嫌な緊張感が漂った。
数十秒後、林さんが「ちょっと社に持ち帰らせてもらって、精密検査をさせてもらいます」と表情を曇らせた。林さんは業界のプロなので、それこそその貴金属がプラチナであるかどうかは手に持てば分かる。しかしこの時だけは「今の段階ではなんとも言えない」と歯切れの悪いことしか口にしてくれなかった。私はこの時点で最悪の結果を覚悟した。
その日の夜、林さんから電話があり、精密検査の結果あの円形プラチナの正体はタングステンという金属であることが判明した。価値はこの重さでたった数千円…
50万円の損失。すぐに電話主と連絡を取ろうとするが電話に出ない。ダッシュで取引をしたマンションに戻って彼の自宅を訪問したが、管理人にそんな人間は住んでいないと追い返された。
買取の際に免許証のコピーをもらっていたのだが、それも偽造されたものだと分かった。
翌日には携帯電話はもう通じなくなっていた。
詐欺が行われている際、絶対に不審点がある。今回の件も、相手の「妻に内緒で…」「エレベーターホールで…」「今日中に現金で…」というのは今思えば普通ではなかった。普通ではないと分かっていながら交渉を続けた。
それに、その時はこの詐欺師が良い人に見えた。取引が完了したときには何度も「ありがとうございます」と言った。そういえば、一目会うなり私の容姿や私の両親のことまで必要以上に褒めてきた。免許証もちゃんと提示してきたし、彼が詐欺師なんて疑うわけがなかった。
何より、粗利を上げたいという欲が、これら全ての普通でない点に対して「目をつぶれ、お前の勝利は目の前だ」と囁いてきた。
時すでに遅し。タングステンと分かってから社長に「早くそいつを見つけてこい」と言われたが当然見つかるわけはなかった。
ルーシー龍(りゅう)
東京都出身。香港歴11年。現在は香港の現地法人で人事部長を務めている。モットーは三度の飯のために飯を食わない。特技は豚のように食べること。