香港在住の日本人主婦によるリレーエッセイ Vol.240
Vol.57
母と深く深く話が出来た。
ようやくそのレベルまで自分をもっていけた(泣)。
よく近しい人に言っていることが、うちの両親の子育ては最高だということ。まさに非認知育児の先駆けともいえるのではないでしょうか(もちろん若い時は喧嘩や反抗期もあったけど、今思うと非認知育児をされてたんだな、って思います)。
やりたいことは全てやらせてくれたし、いつだって応援してくれました。だから私は、「大丈夫。私なら大丈夫」と、いつもなんだか知らない自信がありました。
そんな母と、この一時帰国でお酒を呑みながら今まで聞いた事なかった話なんかもして、びっくりしたと同時に母も同じ人間なんだと思ってより尊敬と親近感が増しました。たぶん昔の世代の親は、父親像、母親像を崩さず、自分の軸があったと思うのです。私の母も、母親としての気負いが非常に強かったので(一生懸命に子どもに尽くしてくれる)、下記に述べますが、自分の失態や身内の事情など、子どもたちにあえて言うべきことではないと判断し、今まで自分の心の中にしまっていたようです。
日本がバブルに向けてキラキラしていた時代に、母は酒好きかつパリピで、毎晩会社帰りに呑んで遅くなり、母の父親が玄関に仁王立ちして、挙句の果てにビンタされた話や(笑)、いつも両親からうるさく心配され問題児だった母は、超好青年なダンナを掴んで一発逆転した話、両親に迷惑かけっぱなしだったので、今はその罪滅ぼしじゃないけど少しでも近くにいて98歳の自身の母の世話をしたいとか、ここでは書けませんが色んなことを話してくれました。
まるで、私が母の生き写しのようだってこと! 酒呑みで、結婚向きじゃない、親に心配をかけてる、全て同じで笑ってしまいました!同じような娘を産んだのねー。親に似るっていうけどホントにそうだと思います。そして、私の中では優しい気遣い屋さんの母親が、実は若い時とは全く違うってことを知ることができすごく嬉しかったです。完璧じゃないんだ、失敗もたくさんしていたんだ!って思ったら、母の人間らしさを知り、母に対する尊敬の念が更に増しました。
今回の一時帰国で、3年振りに両親に会い、少しは人生経験を積んで人間性を高めた自分がいた(43歳になりました)から、それが母にも伝わり色々話してくれたのだと思います。そんな自分を褒めたいな(笑)。私はというと、母のように母性あるマリア様のようではなく、失敗もダサい所も完璧じゃない私を見せていく育児にしたい。どんなに良い母親に育てられたとしても、アレンジを加えて自分軸で自分色の育て方をしてもいいのではないでしょうか?
私が思ったように娘にも将来、ママに育てられて良かったって思って欲しいなー。そんな風に思ったのも、非認知育児を学んだからなのかもしれません。
リサーチソース
愛する両親
それは、非認知を学び自分を一から見直したからできること
e-ko.のプロフィール
2児の女の子のママ。17年間の某有名アパレル企業で働き、主人の香港転勤により退社。毒舌コラムの評判も上々。AB型のよくいう天才肌で、自己肯定感高めな酒好き。香港のキャリーブラットショーなんて言わしてもらってます。好きな言葉は「なんとかなるさ」