深センものがたり 第25回

2020/08/05

waya title〜深センの古代歴史〜

深センの地名

 深セン(深圳)という地名は、西暦1410年の史書で最初に登場する。この地域は昔から川や沼が多く、村の中には多くの深い溝があった。客家族(少数民族)の方言で、田畑の溝を「圳」と呼んだため、”深い溝“、「深圳」と名付けられたのである。

 王朝初期の「夏」や「商」の時代(紀元前1000年~2000年)の深圳は、百越(ひゃくえつ)部族の支族である南越部族の居住地でもあった。百越または越族(えつぞく)は、古代中国大陸の南方、主に江南と呼ばれる長江以南から現在のベトナムにいたる広大な地域に住んでいた”越諸族“の総称。越、越人、粤(えつ)とも呼ばれていた。※「粤」は、広東省の自動車プレート番号表示で使われている。

※ 深センの地は1673年間、都市としての歴史がある(筆者も知らなかった…)

 

先住民深センの先住民

 今から6700年前の新石器時代、深センにはすでに人類の集落が存在した。先住民たちは海辺の砂丘や河の両岸に住んでいた。当時の遺跡が深センの40箇所の地で発見されている。当時の日本列島は”弥生時代“であり、卑弥呼の邪馬台国が現代生活の礎を築いたと言われる時代である。

 羅湖の東方向にある大鵬半島の海辺の村で発掘された石器の手斧やシャベル、ナイフ、ドリル等のすべてが鋭利に研磨された道具であった。また、陶器製の生活用具もあって、かなり進化した生活レベルだったことがわかる。海鮮類が豊富であり、非常に安定した生活が営まれていたようだ。

 この地域名”咸頭嶺“から「咸頭嶺文化」と命名され、この遺跡の文化的様相は、珠江デルタの新石器時代中期の砂丘文化遺跡としての代表であり、中国全土の中でも貴重な文化である。

 

新石器時代東西

新石器時代地図

 

恐竜化石深センの恐竜

 更に古代の6700万年前、深センにも多くの恐竜たちが棲息した。多くの骨や足跡の化石が発見されている。生物学者の説によると、恐竜たちの進化は、海から陸に上がり、最後は空を飛んだらしい。先述の大鵬半島あたりから上陸、長い年月を経て、食物を求めて草原地帯、森林地帯へ移動した形跡が残っている。

 深セン市の北東に河源市という自然に恵まれた地域がある。ここは世界でも有数の恐竜が棲息した地域である。※ 河源市は恐竜の卵の化石数でギネス登録されている。

 現在の河源も緑や湖が多く、温泉が点在し、野生動物の宝庫でもある。大昔の恐竜たちは安住の地として行き着いたのであろう。学説によると、火山の噴火によって絶滅したらしいが、空を飛べるように進化した翼竜たちは、数千万年を経て姿や形を変え、現在でも生存するのかもしれない。

pteranodon 筆者が都会の喧騒を離れて心の休息を求め訪れる”梧桐山“(羅湖の東にある山)の山麓には、見たことのない鳥が多く棲息する。先日も樹木の上に直径1mくらいの大きな巣を発見した。獣の匂いや気配も感じる。ジュラシックパークの映画で流れるような鳴き声も聞いたことがある。

 ひょっとすると、大鵬半島の海辺で暮らしていた恐竜が、長い距離を歩くのがイヤで、近くの梧桐山あたりで居座って、その子孫が残っているのかもしれない。

 


宮城 紀生深セン在住19年のベテランコンサルタント
宮城 紀生
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