深センものがたり 第18回

2020/01/01


waya title第3季 よもやま話

subtitle 深センにも新年がやってきた。先ずは素直に喜びたい。本年もよろしく。
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さて、このコラムもお陰様で4年目を迎える今年は、発展してきた深セン歴史の中で、筆者自身をはじめ、知人や庶民たちの話題を紹介させていただく。イヤだと申さずお付き合い願いたい。

「哎呀!◯X△☺♨☠♪▲啊~?(広東語)」、
「はぁ〜?」、話しかけられてもまったくわからない。日本国営放送の中国語講座で、1年間学習した(はずだった)普通語を駆使するが、ほとんど通じない。まぁナントカなるやろ、とアパートを決め、家賃を払ってカギをもらった。
筆者が深センに住み始めたのは、2001年の冬。庶民市場近くの路地を入ったアパート。家賃は月1800元。家具屋でイステーブルなど必要なモノを購入(安さに感激)。中国での新生活が始まった。2

それまでの中国滞在中は、ほとんど通訳が帯同したのでトラブル発生は30%。1人になるとトラブル発生率90%に急上昇だ。当時この地区は、市場も食堂もほとんど広東語。辞書片手の買物や外食にはとてつもない苦労をした。
ニュースでは連日多くの事件が報道されていた。街にはスリや強盗、詐欺師、不良な輩がワンサカ。「人を見ればドロボーと思え」と、先住の先輩が教えてくれた。バッグは身体の正面に抱え、ジョギングシューズを履き(ダッシュが命)、車道近くとビル傍らの歩行は避け(前者はバイク強盗、後者は落下物)、常に四方八方に目を配り、……えっ、よく生きてたって? そうなんだ。 “危機察知能力”の本能がちょっとは働いたのだろう。それでもスリに一度、置き引きに一度の被害に遭った。当時多くの日本人も大小被害に遭っていた。

約3年間同じアパートに住んだが、アパートの大家や周辺の住民たちと顔見知りになり、朝夕の挨拶から始まり、生活の中でも多くのサポートをもらった。辛いとか、イヤな事とか、気が滅入る気持ちばかりじゃなく、楽しい、面白い、あ〜来て良かったなと思う事も同じくらいあった。34

当時の深センは、羅湖地区の繁華街がメイン。買物や外食に人々が集まっていた。南山区の蛇口海上世界は欧米外国人の住むエリア。日本企業の巨大な工場があったが、日本人学校も無かったので、多くの日本人は羅湖周辺に住んでいた。
物価も安く、筆者の場合、贅沢しなければ5千元(当時のレートで6万円ぐらい)で1ケ月暮らせた。
※当時の家計簿:家賃1,800+管理光熱費250+食費2,700+交通費雑費を含めて約5千元。

6 食事は自炊やローカルメシ。日本料理店も数軒あったが、多くは“なんちゃって日本料理”だったのと、高いので行かなかった(現在とあまり変わらない料金)。エアコンは部屋に無し(筆者は暑さに強いため)。仕事の移動はバスと歩きで充分。この生活、わざとサバイバルをやったつもりはない。5“郷に従おう”と考えただけである。

さあ、これから始まる“よもやま話”(のような物語)、少しでも興味を感じていただければ幸いである。


宮城 紀生深セン在住19年のベテランコンサルタント
宮城 紀生
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深セン華日(ワーヤ)コンサルティング
会社設立・運営、法律相談、会計財務税務
深圳市福田区深南大道6021喜年中心A610

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