深センものがたり 第2回

2018/08/01

 

住めば都というけれど…

90年前半、地方から大勢の人々が出稼ぎに来た。真っ黒に日焼けした男たちは道路や建設工事の作業員。ほっぺが赤いおさげ髪の10代の女工さんたち。男たちは電線にとまる雀の群れのように道路の分離帯に座り、日雇い集めのトラックを待つ。イミグレを出ると強引な荷物持ちや物乞いたちに取り囲まれる。公衆トイレと街の散歩はとてつもない勇気が必要だった。

ある日本人がインクの残り少ないボールペンをホテルの部屋のゴミ箱に棄てて帰国。その後に日本の自宅へそのボールペンが送られてきたという逸話がある。客室係りの女性が忘れ物だと思ったらしい。純朴な人たちも多かった。

でも、住めば都というけれど、住むなど想像もできない街だった。

羅湖駅

羅湖駅

東門南路金城ビル

東門南路金城ビル

 

カオスの時代

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90年後半、街は更に建設ラッシュ。青空など見えない灰色の街。富豪が急速に増えた。企業経営の家族、アパートや工場の大家に加え、香港や台湾の老板。事件も増えた。地元TVでは連日強盗や殺人や事故やケンカのニュース。危険な街に変貌してゆく。教訓は「人をみたらドロボーと思え」である。

タクシーや小巴※を利用するにもとてつもない勇気が必要。すべてにトラブルが無い日はなかった。

食堂でビールを注文するとナマぬるいビールがくるので「冷えたやつ」と言うと、コップに氷を入れられる…薄くなるやん、そんなん飲まれへんやん普通…。

ちなみに、筆者は香港へ戻って安心した時に財布をスラれた(哀)。

2001年よりこの街の雑居街で住み始めたが、顔見知りになった親しい住民には人情があった。

だけど、住めば都というけれど、百歩譲っても都でなかった。
※小巴とは…公共交通機関の小型バスであるが、窃盗グループが乗車し、客から金銭を強奪する事件が相次いだ。

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建設路

建設路

 

 

 

 

 

 

SARS騒動

SARS

03年に発生したSARS※。何の因果か筆者は発症重点地域のど真ん中に住んでいた。体温が高いだけで病院の伝染病棟に1週間隔離されるので、イミグレの体温チェックでは暑さによる微熱を抑えるために解熱薬を服用(秘密に願う)。上海空港では広東省からの到着便の乗客だけが防毒マスクの係員に耳の穴へ体温計を突っ込まれた(痛)。日本へ出張時の訪問先で「すんません、当社から200mほど離れた喫茶店で商談しましょ」と告げられた。オレはバイキンマンかっ(怒)!

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台湾から香港へのフライトでは、乗客3人だけの時もあった。しかも、3人が中央列にかためられた(乗務員はマスク着用し遠くに離れる)。その2人とは妙に親近感が湧いた。当時利用毎にマイレージポイント3倍くれたけど…。

あの”未知との騒動“をわずか4ヵ月で収束させた政府の対応には関心した。
※SARSとは…文字数の関係によりご自身で検索してもらう。咳をしただけで周囲の人が離れた。

 

このコラムでは深セン発展の歴史の中で筆者が遭遇した出来事をお伝えするのだが、今回は想定以上に文字数が増えたため、続きは次回までお待ちいただきたい。

 

 

 


宮城 紀生

深セン在住15年のベテランコンサルタント
宮城 紀生
[email protected]

 

 

 

WAYA

深セン華日(ワーヤ)コンサルティング
会社設立・運営、法律相談、会計財務税務
深圳市福田区深南大道6021喜年中心A610

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