今すぐ使いたくなる中国語「人生如棋,落子無悔」

2016/05/04

人生如棋,落子無悔
rén shēng rú qí, lùo zǐ wú hǔi
「人生は棋のようなもの、待ったなし」

「棋」は、象棋(中国将棋)や囲棋(囲碁)のこと。「落子無悔」とは、一度駒や石が置かれたら後戻りはできない、“待ったなし”という意味。人生はまるで碁や将棋のようなもので、局面は進んでゆき、後戻りはできない。囲碁やチェス、象棋、将棋の世界では、駒や石から手を離してからその手を直すことを「悔棋」(待った)という。正式な試合でこれをすると即反則負けとなる。駒や石から手を離した瞬間から手を直すことは許されない。チェスでは一度触った駒は必ず動かすというルールもあり、触ったのに動かさないと反則負けとなる。勝負事においては、一度着手し、決定してしまったなら、もう後戻りはできない。
人生でも、一つ一つの決定がその後の展開に大なり小なり影響を与える。だから、重要な一歩を踏み出す前によく考える必要がある。とはいえ、持ち時間の決められたゲームのように、考慮時間は限られており、いつでもじっくり考えてから決定できるとは限らない。そのため、時には後悔することも生じる。そんな時は、取り返しのつかないことをくよくよ考えるよりも、次の一手を考える方が有益だ。ちなみに、中国語では”三思而後行“(慮熟した後行動せよ。出典:論語・公冶長)と言われる。ただし、魯国の季文子がこう言ったの聞いた孔子は“想兩次就可以了(” 二度考えればそれでよい)と言ったとされる。考え過ぎても先に進めなくなってしまう。

グランド・マスター
作品紹介

一代宗師(グランド・マスター):
20世紀初頭の中国武術界と、詠春拳の達人「葉問」(イップ・マン)を描いたカンフー映画。この作品について、息子・葉準が父・葉問について述べた「功夫不是用来打架的、無論打贏了還是打輸了、其実都是輸、因為你在用自己的所学欺負別人」(カンフーは喧嘩のためのものではない。他人を虐げるためにそれを使えば、勝っても負けてもそれはただの負けでしかない)というカンフー哲学も話題となった。

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