沈没船から引き揚げられた貴重な遺物を「広東省博物館」で展示

2016/02/12

「神よ、あなたの海はあまりにも広大で、そして私の船はあまりにも小さい」――船乗りに無神論者はいないと言われる。一度海に出たら頼れるものがほかにはないことをみんな知っているからだ。海の底で静かに眠る沈没船は、海を前に飽くなき挑戦を続けてきた人々の偉業と、驕りは禁物であるという人類へのメッセージを伝えているのかもしれない。

 

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沈没船――この言葉は様々なことを連想させる。以前、「もし世界が100人の村だったら」が話題となったが、ある意味、船の中ではそれが具現化される。航海中の船は他の世界と隔絶され、自給自足し、様々な危険に自力で対処しなければならない。船という輸送手段での生活では、限りある物資を計画的に活用し、船乗りたちを上手にまとめ、作業を適切に分担し、蓄積してきた航海術と経験を駆使する。これら全ての要素が整って初めて航海が可能となる。そのため、船は社会の縮図だと言われる。だとしたら、沈没船はいわば当時の社会を知るタイムカプセルのようなものだ。

 

中国の近海には、豊かな天然資源だけではなく、海のシルクロードの黄金期を物語るタイムカプセル―沈没船がまだ眠っている。2007年、広東省汕頭市南澳島三点金の海域で、漁師たちが海に潜り漁をしていたところ、海の底に眠る数百年前の明代商船「南澳1号」を発見した。2010年から2012年にかけて、国家文物局により潜水考古学チームが編成されこの沈没船について三回にわたる調査が実施された。その結果、沈没船の年代が万暦初期であることが確認され、3万点を超える遺物が引き揚げられたられた。南海ではこれまでにも、マレーシア沖で沈没船「万暦号」が発見されている。2004年、南海海洋考古公司が万暦号の潜水調査を実施、遺物700点を採取し、沈没船の年代を万暦後期と確定した。

これらの沈没船に対する調査から、万暦時代(※)の中国では貿易がたいへん盛んで、世界の海をたくさんの船が行き来していたことが明らかになってきた。沈没船「南澳1号」は海洋貿易黄金期を支えた商船の一つとして活躍、当時の主要な輸出品である青花瓷(藍色の柄を焼き付けた陶磁器)、茶、シルクなどを世界各地に送り出していた。

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東アジアの航海・海運は中華の歴史と共に発展してきた。考古学の発見とともに、早くは商・周の時代から海運分野の開拓が始まっていたことがわかっている。広大な大洋を通商路と捉える「海のシルクロード」の考え方は、秦・漢の時代に始まり、随・唐の時代に発展、宋・元の繁栄を経て、明の時代に黄金期を迎えた。黄金期を迎えるまでにこれほど長い時が必要だったことは容易に想像できる。人は海の前にあまりに非力だった。穏やかにみえる大海原が突然荒れ狂い、無数の命と貴重な品物を呑み込んできた。海との付き合い方を学び、造船技術・航海術を蓄積する道のりは消して平坦ではなかったに違いない。船乗りたちは試行錯誤の中で経験を重ね、ようやく南アジア一帯の通商路を確立した。後に、中国、西アジア、そして地中海の各地が海路で結ばれるようになり、人や物が行き交うようになった。こうして黄金期を迎えたとはいえ、当時の多くの船が海に沈んでいった。南澳1号からはこうした東西貿易に挑んできた人々の歴史を知ることができる。

 

現在、広東省博物館では、これらの沈没船から引き揚げられた貴重な遺物が展示され、調査によって明らかになった当時の海洋貿易の実態と変遷を紹介している。タイムカプセルから取り出された実物を目の当たりにするれば、隆盛を極めた往時の海上貿易路「海のシルクロード」がより鮮明になるはずだ。同時に、当時から現在に至るまでたくさんの船が沈んできたことを考えると、どんなに時代が進んでも驕りは禁物であることを感じさせてくれるはずだ。(この展示は3月20日までの予定)

 

※万暦(ばんれき):中国、明の神宗(万暦帝)の年号(1573-1620)。

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