広州伝統の七夕「乞巧節」2015年は8月20日

2015/08/18

七夕節

 

送七娘中国の七夕(七夕節)は、「乞巧節」(きこうせつ)とも呼ばれる。旧暦7月6日夜または7日夜、女性たちが庭院(母屋の前の庭)で織女星(しょくじょせい)に”乞求智巧“――細やかな心と器用な手先を得て良縁に恵まれるようにと祈ったことから「乞巧」と呼ばれるようになった。婦人たちが針仕事の上達を願う自然崇拝に起源があるとされ、後に、『牛郎織女』の神話伝説と相まってロマンチックなイベントとなった。現在では「中国情人節」(中国バレンタインデー)として知られている。今年の七夕節は新暦8月20日だ。乞巧節のことを広州人は「七姐誕」とか「摆七娘」、「拜七娘」と呼ぶ。漢の時代から始まり、19世紀中頃から20世紀にかけて盛んに行われるようになった。一度は下火になったが、次第に復活の兆しを見せており、現在では広州市天河区、番禺区、黄埔区などで盛り上がりを見せている。なかでも天河の珠村は、「広州乞巧節」の村として知られる。では、伝統的な広州七夕の様子をのぞいてみよう。

珠村七夕伝統①――摆七娘
摆七娘旧暦7月6日夜、娘たちが鑑賞用の飾り付けをする。玄関前や広間に八仙卓*を置き、香やロウソクを用意し、花や果物、それに臙脂紅粉(エンジ頬紅)などを供えて飾り付ける。これを”摆七娘“と呼ぶ。幸福祈祷だけでなく、古代における”婚活“の場でもあった。広州珠村では明・清の時代からすでに”摆七娘“が盛んに行われており、男たちが”七娘“に扮した娘たちを物色し、気に入った者がいれば仲人を介して話を進めた。
*八仙卓は正方形のテーブルで、伝説的な八仙人に由来する。一辺に2人ずつの8人掛け

珠村七夕伝統②――拝七娘
拜七娘旧暦7月6日と7日の二晩、娘たちはきれいにお化粧をして艶やかに装う。足には自分で刺繍や真珠を施した靴を履き、左手に香木扇子、右手にお香を携える。香を焚いてロウソクを灯し、遥か彼方の星空に対して跪いて拝む。これを”迎仙“と呼ぶ。そして深夜、7回拝み織女に幸福を祈願する。これを”拝仙“と呼ぶ。”拝七娘“の多くは村全体もしくは隣村も合同で執り行う。3年もしくは5年に一回行われ、毎回7日が費やされる。祠堂または神廟内に数10脚のテーブルが用意され、意匠を凝らした作品が陳列される。

 

珠村七夕伝統③――七娘飯
拝七娘七夕の夜、”拝七娘“に参加した娘たち、参加しなかったものの”七娘会“の中で寄付をした娘たちは共に”七娘飯“を食べる。男たちの場合は招かれた者だけが”七娘飯”にあずかれた。これは女性たちの大集会で、嫁いだ女性たちにとっては姉妹たちが一堂に会する数少ない機会だったため、子どもや家族のグチをこぼせる場でもあった。古代の大規模”女子会”といえる。”七娘飯“の献立にもこだわりがあり、「蓮子炒百合」(蓮の実百合炒め)は”百年好合“(夫婦がいつまでも仲睦まじく)の意味が込められている。

 

珠村七夕伝統④――送七娘
送七娘

通常、七夕節の2日目に”送七娘“の儀式が行われる。これは”送仙“と呼ばれる。これが始まると、”七娘服“を身にまとった16〜17歳の珠村”玉女“が”老巧姐“に”十宝“を渡す。続けて”巧姐“たちは七夕が始まる前に七娘を迎えるために作った”七娘盤“を取り、七娘盤の上にある7つの”神仙扇“を取り除く。”七娘衣“と”七娘盤“を焚いて”送仙“の儀式も完了する。織女を仙界に返すとともに、家族圓満、健康祈願、織女に対する感謝を表す儀式でもある。

 

 

 

送七娘

牽牛(けんぎゅう)・牛郎(ぎゅうろう):日本名は「夏彦・彦星」で、天の川の岸で天の牛を飼う牛飼い。わし座アルタイル。
織女(しょくじょ)・七娘媽:日本名は「織姫」で、仙女。こと座ベガ(織女星)。

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