殿方 育児あそばせ!第59回「こんな私でも…」

2022/09/21

殿方育児あそばせ

 こんな私でも君が生まれてきてくれてありがとうと心から思うとは思わなかったはなし

このエッセイの前身の育児特集の記事(2021年7月2日794号)で、私はもともと子どもが好きでもなく、ロマンチックな感覚も持ち合わせていなかったと書いたことがある。今思えば、その頃の私は欠陥品そのものである。

よその子なんて一度として、かわいいと思ったことはないし、完全に“我、関せず”である。子どもとは非論理的でコミュニケーション不能な未知の生物くらいに思っていた。街で見かける、よその子をみて「かわいいー」などと言ってみたり、抱っこしたり、話しかけてご機嫌をとってみたりする――特に女性に多いこの習性を以前の私は、(どれだけ偽善が過ぎるのだ?そういう素晴らしい自分自身に酔っているんじゃないのか?)などと心の中でつぶやき、冷ややかに見ていた――そんな男だった。完全にヤバい奴である。

そんな欠陥品の男でも結婚して子どもが出来ると変わってしまって、今では娘にベタ惚れであり、昨日なんて娘のために熱くなって、クレーンゲームで100元も使ってぬいぐるみを取って来たし、「君はパパが守ってあげる」などとクサイせりふを平気で口に出したりする。よその子に対しても気が向くようになり、(うちの娘ほどではないが)かわいいと思うこともできるようになった。泣いている子どもがいれば、ご機嫌を取ってやさしく話しかけてみたり、助けてあげようとしたりするのである。欠陥品だった私は、子どもを授かって修正されたのだ。

今の時代、結婚は当たり前でなくなり出産、育児も人生の絶対の通過儀礼ではなく、単に選択肢の一つとなりつつあるように思う。正直なところこれらは、今の時代には合わず、生活の自由や家計を考えると全く合理的ではないとすら思える。しかしながら、もしもこのように自身の自由や経済的なこと、合理的であることを優先している人がいれば、一回非合理的になってみる事をお勧めしたい。非合理の先に、きっと満たされる何かがあると思う。私は今、まさにそれを、身をもって経験しているのである。

時が経つのは早く、私の愛する娘、葉子はこの記事が世に出回るころには3歳になっていることだろう。生まれてからほんの数ヶ月でコロナが始まって窮屈な生活を強いられているが、この先コロナが終わったら大きく、大きく羽ばたいてほしいと思う。CaptureCaptureu

 


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神沼昇壱(かみぬま しょういち)

随筆家。広州在住の日本人。2002年に中国に渡り留学と就職を経験。その後、中国人女性と結婚した。2021年現在一児の父として育児に奮闘中。

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