深センものがたり 第45回

2022/05/04

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問わず語り、その四(過去の記事はPPWウェブにて公開中)
※問わず語りとは、誰かに求められた訳でもないのに、勝手に語ることである。

深センの有名ビーチ、実は…スクリーンショット (1003)
大梅沙から背仔角海岸までは、海に沿った路が多く、延々と続く海岸線の持つ多彩な風景は趣きがあり、人も少なくのんびりと歩ける。
大梅沙から東へ半時間ほど歩くと小梅沙へ着く。どちらもただの砂浜ビーチであり、湾内の景色と海水浴以外ではこれと言ったオススメどころではない、と前回のコラムで述べたが、これは失言である(識者の指摘を受けた、申し訳ない)
この地はなにを隠そう(隠すことでもない)、古代に刻んだ貴重な歴史上の地域だった。今回は予定を変更して、大梅沙と小梅沙にまつわる問わず語りを…。スクリーンショット (1008)

先住民が住んだ地
6,700年前の新石器時代に広大な砂丘が広がっていた大梅沙や小梅沙に人類の集落が存在したという当時の遺跡が発見されている。これらの地で発掘された石器の手斧やシャベル、ナイフ、ドリル等のすべてが鋭利に研磨された道具であった。また、陶器製の生活用具もあって、かなり進化した生活レベルだったことが想定される。これは珠江デルタの新石器時代中期の砂丘文化遺跡の代表であり、中国全土の中でも貴重な文化遺跡である。魚介類が豊富な地であり、非常に安定した生活が営まれていたと想像できる(日々海鮮料理?)スクリーンショット (1006)スクリーンショット (1007)

恐竜の生息地
7千万年前、深センには多くの恐竜たちが生息した。多くの骨や足跡の化石が発見されている。生物学では、海中を泳ぎまくっていた恐竜の先祖(魚?)は陸に上がって大きく進化した。大梅沙や小梅沙のあたりを棲み家としていた恐竜たちは、長い年月を経て、食物を求めて草原地帯、森林地帯へ移動した形跡が残っている。この事実は、その先の深セン市北東の河源市が世界でも有数の恐竜が棲息した地域であることが物語っている。
※河源市は恐竜の卵の化石数でギネス登録されている。現在の河源も緑や湖が多く、温泉が点在し、野生動物の宝庫でもある。大昔の恐竜たちは安住の地として行き着いたのであろう。ところが、河源の火山の大噴火によって、学説ではこの地の恐竜は絶滅したらしい。スクリーンショット (1004)スクリーンショット (1009)
(進化の最終体は空を飛ぶ翼竜。大梅沙北西の梧桐山に現在も翼竜が棲む都市伝説もあるが…信じるか信じないかはあなた次第!)

こばなし:小梅沙のサメ
白砂が美しい小梅沙の海水浴場の沖合はサメが出現する。たまに遊泳区域の近くまで近寄ることもあるという。04年、小梅沙の漁師が湾の中で大きなサメを捕獲した(体長1.7m、重さ100kg)。漁師は近くの遊泳区域に陸揚げしたため、物珍しさで現場に居合わせた海水浴客の人だかりができた。この騒動を聞きつけた小梅沙ビーチの管理員が駆けつけたが、漁師はすでに貝殻を売る土産物屋へサメを売ってしまっており(売ったんや!)、土産物屋の店主は解体したサメの肉を一斤3元で店頭販売して完売(すぐ売るんかい!)、残ったのは乾してあるフカヒレ(これも売るんやろ)だけだったという笑い話がある。スクリーンショット (1005)スクリーンショット (1010)
ちなみに、遊泳区域はサメの防御網を二重に設けており、小さなサメも侵入できないように施されているので安全だ…そうだ

 


宮城 紀生深セン在住20年のベテランコンサルタント
宮城 紀生
miyagi@waya.net.cn
 
 
 
 
 
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