殿方 育児あそばせ!第35回

2022/04/06

殿方育児あそばせ

 

もちろんO次郎は父のクレームによって帰って来た訳ではなく、藤子不二雄の思惑と視聴率が欲しいTV局の事情によって帰って来たのである。と言うか恐らく父は電話すらしていない、と今ならわかる。
前回をご覧になってない方は「なんのこっちゃ」と言う感じであろう。
アニメ「オバケのQ太郎」にて、弟O次郎と兄Q太郎の別れのエピソードを見て号泣している幼い私に、早逝した父がTV局にクレームを入れてやると私を宥め、幼かった私は父に畏敬の念を覚え、このエピソードが「常に子供の味方であれ」という私の子供に対するポリシーの根っこになった、というお話を前回させて頂いたのでした。
さて、私には社会人の長男と、浪人中の長女がいる。まずは長男の話。
胎教で「六甲おろし※1」を聞かされて生を授かった長男は、縦縞の着ぐるみで産湯につかり、幼少期はサンテレビ※2でナイター中継を見た後、トラッキー※3のぬいぐるみを抱いて眠りについた。小学生に上がる頃には、工事現場に置かれた黄色と黒のフェンスを見ただけでテンションが上がる程の阪神ファンとして仕上がった。
「大きくなったら、阪神の選手になりたい」
長男は近所の硬式少年野球チームに、小学三年生で入団することになった。スクリーンショット (864)
実は私には少年野球について軽いトラウマがある。淡路島のド田舎で育った私は、休作中の田んぼで毎日のように友人と草野球をしていた。ある日の事、ド田舎に少年野球チームが出来て、友人たちは挙って参加したが、私は母に認めてもらえなかった。母子家庭として援助を受けている身で、そんな贅沢はさせられない、というのが理由だった。
それ故か、私は長男の少年野球入りが嬉しくてたまらなかった。長男が初めてユニフォームに袖を通した日から、「鉛筆持つ時間あったらバット振れ」「教科書なんか読むな、『野村ノート』読まんかい」会話のほとんどは野球に関するものとなり、「目指せ野球界の亀田親子※4」が二人のスローガンとなった。
野球経験は無いが野球馬鹿だった私は、書籍やネットを駆使して指導し、早朝から夜遅くまで息子の練習につきあった。イングリッシュガーデン風だった庭にはネットゲージとナイターを設置、客間は雨天練習場となった。
その甲斐あってか、長男は早々に頭角を現し、やがて他チームの指導者の間でも名前が挙がるようになり、色んな人から「息子さん、すごい選手になりまっせ」と言われるようになった。有頂天になった私は、プロ入り後の契約金の使い道から、女子アナとのお食事会まで脳内で計画を立てながら、更に厳しい練習を課した。
状況が変わったのは長男が小五の秋、私は仕事の関係で広州へと赴任することになった。
所詮は小学生、私がいなくなれば練習をサボるようになるのではないか? と考えた時、ある事に思い至った。
「叶わなかった俺の夢を長男に押し付けていないか?」
野球漬けの日々。私の指導は完全な昭和式ストロングスタイルだったので、週に一度は泣きながらボールを追っていた長男。実はとっくに「野球選手になりたい」と言った事を後悔しているのではないか? 本物の野球場での試合、ユニフォーム姿、そして父親とのキャッチボール。すべて私が叶えられなかった少年時代の憧れ。手から零れて目を背けていた自分の夢を、長男に押し付けているだけなのではないか。
広州に旅立つ前夜、俺は長男に、「今までようがんばった。がんばったらエエ思いが出来ることはわかったやろ。これからもエエ思いがしたかったら、明日からは自分でがんばりや」と告げた。長男は俺と目を合わさず、グローブにオイルを刷り込みながら「うん」とだけ言った。その横顔は寂しそうにも、安心したようにも見えた。
以下次章

※1六甲おろし プロ野球セ・リーグの一球団、阪神タイガースの球団歌『阪神タイガースの歌』の通称
※2サンテレビ 「いつもあなたのお隣サン」がキャッチフレーズの兵庫県にあるテレビ局
※3トラッキー 阪神タイガースのマスコットキャラ。背番号1985。読売ジャビットや中日ドアラとはバトルの経験あり。
※4亀田親子 父・亀田史郎は独自のトレーニング法で、子・長男興毅、次男大毅、三男和毅をプロボクサーに育て上げた。


スクリーンショット (587)

松浦儀実

1966年兵庫県生まれ淡路島育ち。2009年に小説「神様がくれた背番号」を上梓、同作は漫画化連載され、日本文芸社よりコミックス全三巻発売中。広州駐在十二年目だが臭豆腐とドリアンは未だに食えない。かつて広州に存在したヘヴィメタルバンド「東京女神」でボーカルを務めるがメンバーの帰任であえなく解散。天命を知らないどころか、惑いっぱなしで、恐らく未だ立ってさえいない55歳、阪神タイガース原理主義者。

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